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【みんな生きている】日比谷公会堂(1)-3田口八重子さん

本間 勝(田口八重子さんの兄)


■まず被害者を原状復帰させるべき

みなさんこんにちは。
八重子がいなくなってからもう37年。今しゃべった耕一郎が1歳ではいはいをしていた。その時、だまされて連れていかれたんです。
この歴史がもう37年もの長きに渡っています。
その時指令したのが、朝鮮総連の大幹部なんです。それを捜索しようとした時に、なぜか政治的圧力があってストップして真相解明されなかったという実態を忘れないでいただきたいと思います。
今回、「特別調査委員会」という組織のもとに再調査リストを提出する。その委員会のメンバーの中には朝鮮労働党の幹部も入っておりませんし、軍の組織も入っていないんです。
田口八重子は、他の拉致被害者が隠された場所とは違って、軍が管理している。
敵工局という組織にいるということを、兄の飯塚繁雄とともに柏崎に行って、蓮池さんから聞きました。
ということは、軍が管理しているリストから出てくるんではなくて、民間というか、政治に関わった組織(一般国民の住民登録台帳)からこのリストを出していこうとする。ということは、八重子はそこにいるのかということで、非常に危惧しています。こういうことはあってはならない。
2002年に、私たちの拉致された被害被害者の「8人死亡」という嘘をまず撤回せよ!
これは生きていなければ今回は帰れないんです。「前回のいい加減な調査はこうでした」とリストを出す前に謝罪して、詳細を判明させるべきなんです。そういうようにやっていただきたい。
私たち八重子の兄弟は7人いたんですが、昨年9月、八重子の一つ上のお姉ちゃん、千恵子と言いますが、他界しました。八重子との再会もできなくて亡くなったんです。
そして今年5月21日には、私の一つ上の兄、飯塚 進が、旅の途中心筋梗塞で倒れました。署名簿を持ち歩いて、行く先々で八重子の救出を願って皆様に署名をお願いして歩いていた。
私たちの署名運動の中でも常に兄の姿がありました。今年4月の国民大集会にもいたんです。今日は奥さんの綾子さんがいるだけなんです。そのような悲惨さを味あわせた北朝鮮、今でもそのことは許せない。四の五の言わずにすぐ返せ!
全員拉致被害者を返せ!
私は何年か前に、西村眞悟先生に言いました。「日本人を返すのか返さないのかと言う人はいないですか」。「いないねえ」と言っておられました。恫喝力のある眞悟先生でも言えなかった。そういう時代が続いて、今やっとここまできた。
私はドキドキして期待をしています。必ず、「生きている」という回答が出て、「前回はすみませんでした」という言葉とともに本人が現れるのを待っています。
そして、北朝鮮は帰る時に、帰る意思を求めるそうです。「ここの国の方がいいから今更日本に帰らない」と。そのようなことは絶対言わせないで、まず原状復帰です。拉致をしたんです。人さらいをしたんです。犯罪人から原状復帰して、日本に戻ってこの状態を見て判断してほしい。
被害者に家族がいれば、日本政府は面倒を見るよと言っていますので、安心して帰国してくださいということを是非言っていただきたいと思います。
本当に今月が勝負だと思います。この国民大集会は北朝鮮にも届いていると思います。
金正恩キム・ジョンウン)は日本人を返せ!。
ありがとうございます。



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)