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【みんな生きている】日比谷公会堂(3)安倍晋三編

安倍晋三内閣総理大臣。政府拉致問題対策本部長)


■肉親を抱きしめる日が来るまで、私たちの使命は終わらない

家族会・救う会拉致議連・知事の会・地方議連主催の国民大会の開催に当たりまして、一言御挨拶を申し上げたいと思います。
ご家族の皆様にとりまして、何回こうした集会を重ねれば、子供たちは、家族は帰ってくるのだろう、そういうお気持ちなんだろうと、このように思います。
しかし今日、こうして全国各地からこの問題を解決すべきだ、北朝鮮に対してしっかりと要求していこうというお気持ちでこの会場に集まっていただいた。まさに、この皆様の声は、今交渉している私どもにとって、交渉力を強めていく力になるのは間違いないわけであります。
私も初当選以来、この北朝鮮の問題、特に拉致問題にずっと関わってまいりました。なかなか北朝鮮は真実を話さない、そして、約束を実行しないという問題があります。かつては日本は、対抗手段をほとんど持っておりませんでした。今行われている制裁のための法律はほとんどかつてはなかったのでございますが、しかし、我々有志と共に制裁を行うための法律を作り、現在も制裁を行っています。
この制裁においては、国際社会と共に制裁を行い、北朝鮮にこの問題を国際社会との間の問題を解決しなければ、北朝鮮の未来はない、こう思わせるためのものであります。そして同時にまた交渉において、この制裁を解除するかどうかということも、重要な交渉の力になっていくわけであります。そうした交渉力を駆使しながら、私たちは解決をしていかなければならないと、こう決意をしているところでございます。
かつて2007年、第1次安倍政権時代に、6者協議において、北朝鮮が核開発、プルトニウムから抽出した核を作っていく、これを事実上放棄するから、重油の支援、そして人道支援を要求したことがございました。100万トンの支援を、6者協議の北朝鮮以外の5か国で行う。配分は、1国当たり20万トンでありました。
その決定がなされたのでございますが、私は、日本政府としては拉致問題が解決をしていないという中において、20万トンの重油の提供はできないとお断りをしたわけであります。結果としては、残念ながら、北朝鮮はその後、核を放棄するというこの約束を果たすことはなかったのでありました。
大切なことは、しっかりと行動対行動の原則で交渉を進めていくことではないか、このように思います。
私も総理就任以来、49か国を訪問し、200回にわたる首脳会談を行いましたが、その度に必ず相手国に対して、この拉致問題を説明し、支持と協力をいただいております。平沼会長を初め、拉致議連の皆様も世界に出かけていき、また、ご家族の皆様も大変な御努力をいただき、国際社会の理解は10年前と比べても、格段に高まっている、このように思います。
その結果、北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)が、拉致問題を含む北朝鮮の人権侵害を「人道に対する罪」に該当すると断じたところでございます。
こうした国際圧力を高めていきながら、この拉致問題の全面解決に向け、全力を挙げていかなければならないと、このように思います。
拉致問題の解決は、安倍政権の最重要課題の1つでございます。この問題については、政府だけでは力が足りないわけであります。どうか党派を越えて、議員の皆様ともそして日本全体で協力をしていく必要がある、このように思っております。古屋大臣時代に作りました各党との連絡会において、それぞれ各党としっかりと協力を重ねながら、この問題、全面解決に向けて頑張っていく次第でございます。
この度の改造におきまして、今まで自民党の本部長でありました山谷さんに担当大臣になっていただき、古屋さんには党の本部長となっていただき、政府と自民党、与党、そして野党とも連携をしながら、この問題に全力で取り組んでまいります。
そして、だんだん時間がなくなっていくことも事実でございます。ご家族の皆様、年を経るごとにお歳を召されていくわけでございます。被害者のご家族の皆様に、ご自身の手で肉親を抱きしめる日が来るまで、私たちの使命は終わらない、この気持ちで全力で今後とも取り組んでいくことをお誓いいたしまして、御挨拶とさせていただきたいと思います。
一緒にみなさん頑張りましょう。



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

救う会認定拉致被害者・福留貴美子さんについて》
◆氏名:福留 貴美子
(ふくとめきみこ)
◆失踪年月日:1976(昭和51)年7月18日または19日
◆生年月日:1952(昭和27)年1月1日
◆当時の身分:アルバイト
◆当時の住所:東京都渋谷区恵比寿
◆最終失踪関連地点:海外

【失踪状況】
1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。
1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本 武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。
1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。

新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。