もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】日比谷公会堂(4)山谷えり子編

山谷えり子拉致問題担当大臣


■共に苦しみ、怒り、歩いてきた

こんにちは。
拉致被害者のご家族、支援者の皆様とは、これまで長きにわたって共に苦しみ、怒り、歩いてきました。内閣府拉致問題担当政務官として、また拉致議連の事務局長として、また自民党拉致問題対策本部長として歩いてきましたが、この度拉致問題担当大臣を勤めさせていただくことになりました。
今週の水曜日(9月10日)に、ジュネーブの国連の場で、この拉致問題の解決を訴え、昨日帰ってきたばかりです。総理のお話しにもありましたように、国連の人権理事会の場に、北朝鮮の人権問題と拉致問題の解決をするための特別な調査会(COI)を、安倍内閣のリーダーシップにより、昨年作っていただきました。
昨年の夏、私は自民党拉致問題対策本部長として、また拉致議連事務局長として(ヒアリングに応じ)、平沼会長も細かく色々な状況をご説明されましたが、マイケル・カービー(Michael Kirby)委員長は、「ただのきれいな報告書では終わらせない。具体的な行動を促して結果を出していく。問題を解決する。そういう報告書を出したい」とおっしゃられました。
そしてこの2月に386ページのすばらしい報告書が出て、今年の3月に高いレベルの、各国連携して具体的な行動に進むための決議が採択されました。
それから6か月、国連の場で、具体的な次の行動に移るための基調講演シンポジウムをし、そして各国の大使ともお会いしながら年末の国連総会に向けて、国連の場でどのような議論を、そして決議をしていくかということで連携を強めてきました。
私としては、第一に、圧力に重点を置いた「対話と圧力」の姿勢を貫き、拉致問題の完全触決に向けて、外務大臣と緊密に連携しつつ、政府一体となって、総合的に取り組みます。
そして第二に、帰国された拉致被害者の方々が、日本で安心して暮らしていける環境を、柔軟、かつきめ細かくできる限りのことをやるという方針のもと、必要な措置を着実に進めていきたいと思います。
拉致問題に関しては、周知のとおり、この数か月の間に日朝政府間協議を通じて大きな動きが出てきました。
5月末、北朝鮮は、全ての日本人の包括的かつ全面的な調査を約束したのに続いて、7月4日にはその調査を行うための特別調査委員会を立ち上げました。北朝鮮側は、本年夏の終わりから秋の初め頃に第一回の通報を行うこととしています。
ようやく、北朝鮮との協議のドアをこじ開けることができた。まさにこれからの北朝鮮側とのやりとりは、大変厳しい状況が予想されます。
政府としては、北朝鮮が誠意ある具体的な動きをとるよう強く求め、北朝鮮側の約束した調査が全ての拉致被害者の帰国につながり、拉致問題の一刻も早い解決が図られるよう、全力を尽くしたいと思います。
拉致被害者の安全確保、そして全ての拉致被害者の一日も早い帰国、これが大原則、大方針です。そのためにも、ここにお集まりの皆様と世論の力が大きな後押しになります。
政府として、すでに帰国された拉致被害者の方や、これから帰国される拉致被害者の方々が、日本で安心して暮らせる環境をきめ細かく整備することも、拉致問題解決のためには必要不可欠であります。
そのために、今般、全ての閣僚で構成する政府の拉致問題対策本部において、「拉致被害者等への今後の支援策の在り方」の中間報告を承認しました。
この中間報告は、現行の拉致被害者等給付金の敢扱いをどうするか、新たな老後の支援策、新たな拉致被害者の帰国に向けての施策の三本柱からなっています。
拉致被害者の方ご本人のみならず、配偶者、お子さん、お孫さんを含めたご家族に対して、老後の所得補完を含む経済的支援の他、生活相談や雇用機会の確保などきめ細かい支援策を用意しています。
その内容については、平成27年度予算の概算要求に反映させました。来年3月までには、法制化が必要な部分について、場合によってはこの秋の臨時国会も視野に入れ、拉致被害者等支援法を議員立法で改正することを、与党を初め各党に働きかけているところです。
以上については、北朝鮮に向けた短波ラジオ放送で発信しています。現在北朝鮮にいる拉致被害者の皆様が、ふるさとで安心してご家族、ご友人と再会し、過ごすことができるよう政府・与野党ともに連携し、準備万端取り組みます。
なお、紹介させていただきますが、この北朝鮮向け短波ラジオ放送収録に当たっては、これまで以上に拉致被害者ご家族や政府のメッセージを北朝鮮に向けて発信していくために、ラジオ放送用の音声収緑機械を導入しました。いつでも収緑に応じることが可能です。拉致被害者のご家族の皆様、友人の皆様、ご遠慮なく申し出ていただきたいと思います。
最後に、国民大集会の中で示される、拉致問題の早期解決という国民の総意と、オールジャパンによる取組みが北朝鮮に対するメッセージとなります。皆様お一人おひとりのお力添えをいただきながら、政府として解決に取り組んでいく所存です。
宜しくお願いいたします。



◆昭和53(1978)年7月7日
アベック拉致容疑事案
被害者:地村保志さん(拉致被害時23歳)
被害者:地村富貴惠さん(旧姓:濱本)(拉致被害時23歳)
「二人でデートに行く」と言って出かけて以来、失踪。
2人は昭和54年に結婚。
平成14年10月に日本に帰国。
娘1人と息子2人は平成16年5月に帰国。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)について、平成18年2月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

※「(拉致実行犯に担がれて)一歩一歩下りるとき、犯人の肩がお腹にめり込んで痛かった」
(地村富貴恵さんの証言)

《特定失踪者・河合美智愛さんについて》
◆氏名:河合 美智愛
(かわいみちえ)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年4月2日
◆生年月日:昭和38(1963)年12月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆身長:169cm
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:福井県越前市
◆特徴
1)おでこが広い
2)口元に小さなホクロ
3)右膝外側に10cm程度のあざ
◆失踪場所:福井県武生市(現越前市

【失踪状況】
失踪前日から地元の繊維会社に勤め始めていた。
昼食のために会社から一旦帰宅して昼食を取った後、会社に向かったが会社には着かずそのまま行方不明となった。
乗っていた自家用車(カローラ)も見つかっていない。
失踪後、1~2回、実家に無言電話がかかってきたが、名前を呼びかけると直ぐに切れた。
平成6年頃、宮城県内で目撃情報があります。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

救う会認定拉致被害者・福留貴美子さんについて》
◆氏名:福留 貴美子
(ふくとめきみこ)
◆失踪年月日:1976(昭和51)年7月18日または19日
◆生年月日:1952(昭和27)年1月1日
◆当時の身分:アルバイト
◆当時の住所:東京都渋谷区恵比寿
◆最終失踪関連地点:海外

【失踪状況】
1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。
1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本 武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。
1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。

新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。