もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】日比谷公会堂(6)松原 仁編

松原 仁(民主党国対委員長。元拉致問題担当大臣


■外務省だけちょろまかけせても話は進まない

今日はこの拉致問題がいよいよ勝負所に来た中でたくさんの方がお集まりです。
私は、北朝鮮はきちっと認識するべきだと思っています。かつて10年以上前、5人の拉致被害者が戻ってきた。その時、北朝鮮はそれで解決ができると思っていた。
しかし、極めて不誠実な死亡診断書を出し、5人を戻したことによって、日本国民は北朝鮮に対してすさまじい怒りを覚えた。私も、そして今日この場におられる皆様も同じように怒りを覚えたわけです。このトラウマを北朝鮮はきちっと認識すべきです。
今回の再調査が、いい加減な調査であり、偽死亡診断書をまた出してくるようなことがあれば、偽遺骨をまた出してくるようなことがあれば、そして何らかの結論を出すとしても、それが極めて中途半端なものであれば、我々は同じような怒りを、大きく、大きく、北朝鮮に対して抱くということを彼らは認識をすべきです。
従って、誠実な回答、今日この場には特定失踪者の家族の方もいらっしゃいますが、そういう方々を含め、誠実な回答を北朝鮮は我々に出さなければいけない。
まずこれを申し上げたい。
2つ目に、交渉の現場が重要です。外務省が北朝鮮と交渉している。外務省はそのことの司かもしれない。本来であれば犯罪ですから、犯罪に対応するのは必ずしも外務省である必要はないのであります。
しかし、外務省が今やっているということであれば、それは大いに頑張っていただきたい。しかし、外務省が判断するだけではなくて、その判断は、先ほど安倍総理も言ったように、ここにいるオールジャパンで、家族会や救う会や調査会、拉致議連、様々な立場の人がオールジャパンで、そのことに対しては判断するんだ、その後ろがあるんだという認識のもとに、外務省には全力で汗を流していただきたい。
翻って、北朝鮮の交渉担当者に強く言いたいことは、彼らにとってもそれぞれ家庭があるだろう。彼らはこの環境の中で、日本側が既に様々な意味において譲歩をし、また譲歩を用意している。安倍政権がそこまで歯を食いしばって、この問題の解決に対して真剣になっているということは、当然北朝鮮の執行部は知っているだろう。
そして今、中国との関係において張成沢チャン・ソンテク)粛清からこじれ、北朝鮮政府は、まさにこの問題解決を必死になって思わなければいけない立場です。そのことを考えているならば、交渉現場の北朝鮮側の人間も、自分たちの家族のことも考えて、もっと真剣にやれと私は言いたいわけです。
そのことによって、この問題は初めてドアを開け、初めて現実と光を見るだろうと思っています。
大事なことは、こういった集会に集まる皆様の一人ひとりの思いが何よりの圧力であり、そしてオールジャパンであるということが目先の外務省だけちょろまかせたって話は進まないぞ、ということを彼らが認識することが極めて重要だと思っています。
共に戦いましょう。



《特定失踪者・二宮喜一さんについて》
◆氏名:二宮 喜一
(にのみやよしかず)
◆失踪年月日:昭和37(1962)年9月頃
◆生年月日:昭和13(1938)年1月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:156cm~157cm
◆体重:52kg
◆当時の身分:会社員。夜は専門学校生
◆当時の住所:東京都品川区小山
愛媛県西宇和郡保内町出身
◆特徴:
1)やせ形
2)面長
◆失踪場所:東京都品川区

【失踪状況】
「ちょっと頭を冷やしに十和田湖に行ってくる」とメモを残して失踪。
1ヶ月位後に下宿先から「帰ってこないが、実家に帰っていないか」と家族に連絡が来た。
将来は無線通信士を目指していた。

《神奈川県警公開特定失踪者・上野希久さんについて》
◆氏名:上野 希久
(うえのきく)
◆当時の年齢19歳(昭和31年当時)
◆当時の住所:東京都品川区
◆当時の職業:会社員
◆身長:158cmくらい
◆体重:50kgくらい
◆特徴:額と顎に2cmくらいの縫い傷

【失踪状況】
昭和31年3月、東京都品川区内の下宿先から出掛けたまま行方不明になっています。

《特定失踪者・藤田 慎さんについて》
◆氏名:藤田 慎
(ふじたしん)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年
◆生年月日:昭和6(1931)年9月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆身長:165cmくらい
◆当時の身分:三菱重工に勤務
◆失踪場所:東京都大田区蒲田本町(姉夫婦の当時の居住地)

【失踪状況】
長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。
次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。
また、弟にお金を借りに来る。
その後音信不通。
失踪から数年後、兄夫婦宅(埼玉県川口市仲町)に年賀状が届く。字体は達筆(本人の字体に似ていた)。差出人の名前がなかった。消印は世田谷だったようである。
昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田 進さんの叔父にあたる。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・林 かな子さんについて》
◆氏名:林 かな子
(はやしかなこ)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年11月22日
◆生年月日:昭和35(1960)年9月7日
◆性別:女性
◆当時の年齢:25歳
◆身長:158cm
◆血液型:B型
◆当時の身分:会社員
◆特徴:
1)色白
2)歯の治療個所は左上4本目と6本目
◆特技:
1)英語、英文オペレーターの仕事に堪能
2)フランス語もかなりできる
◆失踪場所:東京都大田区の自宅

【失踪状況】
会社の上司に「風邪気味なので21、22日両日休ませて欲しい」と了解を求めて休み、そのまま失踪した。
ほとんど何も持たず普段着姿で出かけた模様。
失踪の数日前母親に「トイレットペーパーを買っておいて」と言っていた。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《警視庁公開特定失踪者・松井ヨシ子さんについて》
◆氏名:松井 ヨシ子
(まついよしこ。旧姓・小池)
◆年齢:36歳(昭和49年当時)
◆住所:東京都大田区
◆職業:主婦
◆身体的特徴:身長145くらい

【失踪状況】
昭和49年3月、自宅を出たまま、行方不明になっています。

千葉県警公開特定失踪者・水村真紀子さんについて》
◆名前:水村 真紀子
(みずむらまきこ)
◆身長:164cm
◆血液型:B型
◆31歳:(平成12年当時)
◆当時の住所:東京都大田区大森西
◆特徴:天然パーマ
◆当時の身分:無職

【不明の状況】
平成12年9月9日、旭市内の入院先から、行方不明となっています。