もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】日比谷公会堂(21)-2増元るみ子さん

平野フミ子(増元るみ子さんの姉)


■私も「盗人猛々しい」と思った

いつも、いつも、ご支援ありがとうございます。
重複になりますが、宋日昊ソン・イルホ)のあの言葉に、私は本当に「盗人猛々しい」と、姉弟で同じことを思ったんだなあと思いました。今までこのような言葉を発したことはありませんが、この時のために私はとっておいたんだという思いがしました。
犯罪国家でありながら、誘拐した人たちを返さない。返すには交換条件がいる、と。あのような上から目線で、本当に日本はどこまでなめられているんだろうかと、テレビを見ながら一人で怒っていました。
まさかまた恫喝外交ですか、揺さぶりをかけてくる。屈することはないと思いますが、心配でなりません。
古屋元大臣が、「本当に今が胸突き八丁だ」と言っておられました。本当にこれが始まりなのか。またこれ以上のことを言ってくるかもしれません。私は不安でなりません。
妹が36年前に拉致されましたが、その2年前の友人の結婚式の時にとったカセットテープから妹の声を聞くことができました。拉致されてから初めて妹の声を聞いたんです。でも私が想像していた妹の声と違っていたんです。それだけ長い時間が経っていたんだということをつくづく感じました。
拉致された時に、北朝鮮の地で、工作員のおじさんに「泣くな」と言われて、布団の中に顔を埋めて声を押し殺して泣いたそうです。その時もう20代後半です。
成人した女性がそのような怖い目にあった。めぐみちゃんに置き換えれば、どんなに怖かったか、驚愕の心境になったかと思うと、想像することもできません。
ですからこの絶好の機会を、対抗措置がある今の時期に、この体制で解決することがかなわなければ、絶対日本は取り戻せないと思います。
ぜひ国民の声を政府にどんどん言って、「拉致被害者を助けろ」、「北朝鮮に負けるな」という強いメッセージを言っていただきたいと思います。
先ほどひとみさんに聞きましたら、10月くらいからだんだん寒くなるそうです。酷寒の地、マイナス20度、30度の土地に、もう拉致被害者を置くわけにはいかないんです。
どうぞ皆さん、私たちも歳をとっていますが、拉致被害者はもっと過酷な環境の中で歳をとっていると思います。日本の心ある人たちが全員、「拉致被害者を取り戻せ」と、官邸に強いメッセージを投げかけていただければと思います。
拉致被害者が帰ってくるその日まで、
どうぞ応援宜しくお願いいたします。
いつも感謝しています。
ありがとうございました。



※「拉致という犯罪を犯した北朝鮮に必要なのは『対話』ではなくて『交渉』。『交渉と圧力』だ」
(故・中川昭一財務相



◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)
被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。