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【みんな生きている】拉致被害者・特定失踪者再調査編/NHK[鹿児島 ]

安倍晋三総理大臣は5月29日、記者団に対し、スウェーデンで行われた日本と北朝鮮の政府間協議で、北朝鮮拉致被害者や、拉致された可能性が排除できない、いわゆる特定失踪者の包括的、全面調査を行うと約束したことを明らかにしました。
これについて拉致被害者の市川修一さんの兄の健一さんは

「ニュースを見て驚いている。これは大きなチャンスなので政府は拉致問題の解決に向けて前に進めてほしい。被害者の親の世代は高齢化が進んでいて本当に時間がなく、全員の帰国を果たしてほしい」

と話しています。

◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)
被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

《特定失踪者・田中正道さんについて》
◆氏名:田中 正道
(たなかまさみち)
◆失踪年月日:平成5(1993)年6月7日
◆生年月日:昭和23(1948)年6月28日
◆性別:男
◆当時の年齢:44歳
◆身長:168cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:建設業(鍛冶工、鳶職)
◆当時の住所:茨城県久慈郡金砂郷村
◆特徴:やせ型
◆特技:測量、ガス、足場、玉掛の技術を持っている
◆失踪場所:千葉県習志野市

【失踪状況】
5月16日、「急性アルコール中毒になり入院した」との連絡が千葉県の病院から鹿児島に住む家族にあった。
入院中病院より連絡があり「身内が近くにいないので、他の人より長く入院させるから」と言われ、6月3日まで入院した。
退院前に主治医から鹿児島の妹に電話があり「そろそろ退院する。妹の世話にはなりたくないと言っているので、病院の方で仕事を紹介します」と言われた(後に主治医は「そういう話はしていない」と言っている)。
6月2日、本人より「明日退院するので、免許の更新に茨城に行ってくる」と連絡があった。
6月6日、茨城県交通協会で講習を受けたことは免許証にて確認。
6月7日千葉市内の友人宅に寄り、「今から仕事に行く」と言って出ていったのが最後。
同年6月11日、本人の車が習志野市内の路上に放置してあるとの連絡があった。車は慌てたように斜めに放置、キーがついたまま、ドアの鍵も開いており、後輪がパンクしていた。
車内には免許証、保険証、預金通帳印鑑、入院時の下着類、仕事着、アドレス帳があった。車が置かれたのは10日夜半か11日早朝と思われる。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・加藤義美さんについて》
◆氏名:加藤 義美
(かとうよしみ)
◆失踪年月日:平成7(1995)年2月15日
◆生年月日:昭和18(1943)年11月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:50歳
◆当時の住所:鹿児島県鹿児島市喜入町
◆当時の身分:船員
◆身長:164cm
◆体重:56kg
◆特徴:歩行時に左足を引きずる
◆失踪当時の服装:グレーの作業ズボン、グレーのハイネック
◆失踪場所:鹿児島県熊毛郡上屋久宮之浦港

【失踪状況】
港湾工事のため、屋久島に作業台船で来ていた。
2月14日午後7時30分頃から船内で焼酎1~2杯を飲み、午後8時前、他の船員3名と4人で宮の浦のスナックで午後10時頃まで飲む。
本人が酒に酔ったため、午後11時頃仲間の1人がタクシーで船まで送る。
本人が岸壁から船へかけてある木の橋を渡って船に入るところまで見届けられたのが最後。
翌朝午前8時頃、本人が起きてこないので、部屋を見たが部屋にいなかった。
1階食堂に本人が外出時来ていたジャンパーと履いていた靴だけが残っていた。

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による加藤義美さん失踪の解説】
1万キロ現地調査の最後は屋久宮之浦港、加藤義美さん(平成7年2月15日失踪)についての調査でした。時間的なこともあり、まだ調査し残した部分はあるのですが、現場を見ながら皆で議論していて共通の疑問が一つ持ち上がりました。
それは、なぜ警察はこれを事件ととらえなかったのだろうか?ということです。
加藤さんは泊まっていた作業台船から宮之浦の市街に同僚と飲みに行き、その後途中で別れてタクシーで港に戻ったのは確認されているものの、朝8時に同僚が気付いたときには船にいなかったということでした。船の居室には財布の入ったジャンパーと靴が残されていたと言います。
いないことが分かった3時間後には奥さんの名前で屋久島警察に捜索願が出されており、その後警察・消防団・潜水作業員などによる捜索が行われています。現場に行くと分かりますが、ここで誤って足を滑らせておぼれたとしても、外海にでることはほとんど考えられません。海は澄んでおり、遺体でもあれば直ぐに見つかると思いますが、捜索では遺留品一つ見つかっていません。
しかもジャンパーと靴だけが船内にあったということですから、船に戻ったと偽装した線も考えられます。加藤さんは酒が強く、周りを引き留めても飲むようなタイプだったとのこと。その加藤さんが自分から先に戻るというのも不思議です。当然事件という可能性は考慮されてしかるべき(北朝鮮による拉致でなかったとしても)なのですがなぜそうなっていないのか不思議です。
海に落ちたのでないとすると加藤さんはどこに行ったのか、今回の調査でもまだこれから調べなければならないことがいくつも出てきています。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。