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【みんな生きている】日比谷公会堂(1)-2田口八重子さん

飯塚耕一郎(田口八重子さんの長男。家族会事務局次長)

みなさんこんにちは。
本日はいい晴天にもかかわらず、お越しいただきありがとうございます。
今年に入って、2月から様々なことが大きく動いています。対北交渉、対北政策にあたって2点申し上げたいことがあります。
1点目は本日のスローガンにもある通り、「8名死亡」、これを白紙に戻すという前提の協議で物事を進めない限り、物事は進まないということを、北朝鮮にも日本政府にも是非とも理解いただきたい。
この「8名死亡」を白紙に戻すということは、北朝鮮が誠実に被害者の帰国に向けて動く態度を示せということです。この点を全員が理解しなければ物事は始まりません。
仮に、数名が帰ってきましたとか、他の条件を付けられたとしても、それは単純なごまかしです。ですから、「8名死亡」を白紙に戻すということを絶対ご理解いただきたいと思います。
もう1点ですが、3月28日に、協議が始まる前に外務省の方ともお会いしましたが、その時、協議結果については「行動対行動」の原則に基づいて進めるとおっしゃっていました。
外交上の最低限のルールですので結構ですが、北朝鮮の行動というのは、被害者の帰国につながるような行動でなければ日本は何も行動しないということでいってほしいと思っています。
皆さん思い出していただきたいと思います。2008年夏にもその協議が行われ、日本が先行して制裁解除を進めようとした時がありました。そんなことではいけません。絶対に北朝鮮の行動を引き出した上で日本の行動を行うべきだと思っています。
改めて日本政府の方々、特に協議に従事される方々に理解していただきたいんですが、この交渉は核やミサイルとは違うんです。我々の家族の命がかかっている交渉なんです。
ある意味、救えないという言い方はおかしいんですが、交渉如何によっては、我々の家族の命が踏みつぶされてしまう。もう日本には帰ってこれないという最悪の事態が待っているかもしれないんです。それほどの緊張感で、命をかけて協議に従事していただきたいと思っています。
以上です。



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)