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【みんな生きている】北朝鮮人事編/産経新聞

北朝鮮で4月9日に行われた最高人民会議(日本の国会に相当)では、昨年12月の張成沢チャン・ソンテク)前国防副委員長の処刑後、存在感を高めている軍の崔竜海(チェ・リョンヘ)総政治局長が国防副委員長に選ばれ、さらに躍進した。
崔氏は張氏粛清直後、金正日キム・ジョンイル)総書記の追悼大会で金正恩(ジョンウン)第1書記の隣に座り「決意演説」し、忠誠を誓った。
父の崔賢(チェ・ヒョン)元人民武力部長も生前、金日成(キム・イルソン)主席への忠誠心が強く、体を張って反金日成勢力から金主席を守った“革命英雄”として評価されている。崔氏の昇進は金正恩体制と同様に「代を継ぐ」もので、今後、軍以外での崔氏の影響力も強まりそうだ。
内閣では朴奉珠(パク・ボンジュ)首相が再任されたが、中でも注目されるのは、朴宜春(パク・ウィチュン)外相の後任となった李秀勇(リ・スヨン。別名/李哲=リ・チョル)氏だ。
李氏は駐スイス大使、駐ジュネーブ国連事務局常任代表等を歴任。金第1書記や兄の正男(ジョンナム)氏、正哲(ジョンチョル)氏たちのスイス留学中、現地で世話をする一方、父の金総書記の資金管理を担当していたといわれる。金正日・正恩父子との近さと信頼が、外相起用の理由のようだ。
一方、人事では長老格への配慮もうかがえる。退任情報があった86歳の金永南キム・ヨンナム最高人民会議常任委員長の他、国防副委員長の李勇武(リ・ヨンム)氏(89歳)、呉克烈(オ・グクリョル)氏(84歳)たち超高齢幹部は留任しており、金正日時代からの“敬老人事”は踏襲されている。
最高人民会議では崔竜海氏同様、張成沢氏粛清に尽力した人物が抜擢された。国防委員に新たに選任された張正男(チャン・ジョンナム)人民武力部長や、再任の金元弘(キム・ウォンホン)国家安全保衛部長(公安担当)はいずれも張氏の粛清を主導したとされる幹部。
金正恩体制下で初の選挙を経た大規模人事では、“張成沢色”が一掃された半面、張氏粛清での功労者がいずれも厚遇されている。



《参考・朴奉珠首相について》

北朝鮮の経済改革派・朴奉珠元首相が復権(2010年)】

北朝鮮で経済改革の先頭に立っていながら、後に解任された朴奉珠(パク・ボンジュ)元首相(71歳)が復権した。
北朝鮮朝鮮中央放送は8月21日、冷麺が有名の「玉流館」のオープン50周年記念行事について報じた際に「朴奉珠朝鮮労働党中央委員会第1副部長たちが出席した」と明らかにした。2007年4月に首相の地位から平安南道順川ビナロン連合企業所の支配人に左遷されて以来、3年4ヶ月ぶりに平壌へ戻ったことになる。
韓国政府関係者は

朝鮮労働党軽工業部等の経済部処(省庁)の第1副部長に就任したようだ」

とコメントしている。
また、ある脱北者

朴奉珠氏は張成沢チャン・ソンテク)行政部長と親しい関係にある」

と述べた。
張成沢行政部長(国防副委員長)は金正恩キム・ジョンウン)氏の後継人であるとされている。
改革派と目される朴奉珠氏の復帰は、今年3月に保守派の朴南基(パク・ナムギ)朝鮮労働党計画財政部長が貨幣改革(デノミ)の失敗により銃殺されたことと関連して、「非常に注目すべき」と韓国統一部関係者は分析する。最近の北朝鮮では在来市場等が貨幣改革以前にも増して活気を帯びている。
朴奉珠氏と朴南基氏は1990年代以降、「改革」と「計画」を代表するライバルとして競争して来た。朴奉珠氏は若い頃に平安北道竜川郡の竜川食糧工場で支配人を務める等、現場での経験を積んで来た。とりわけ、1983年~1993年には平安北道の南興青年化学連合企業所で責任秘書を務め、その能力が認められて朝鮮労働党副部長に抜擢された。1987年には朴奉珠氏をモデルにした映画も制作された。
一方の朴南基氏は若い頃から朝鮮労働党内で社会主義計画経済に関連する業務を担当し、1984年にはすでに朝鮮労働党軽工業秘書となっていた。
朴奉珠氏は2002年、食糧や生活必需品配給の段階的縮小や企業の独立採算制、労働インセンティブ制等を中心とする「7・1経済改善措置」を実行に移し、2003年9月には首相のポストにまで登り詰めた。
一方の朴南基氏は2003年、それまで5年間務めていた国家計画委員長を解任された。
しかし、改革の雰囲気は2005年から変わり始めた。そのきっかけは市場の広まりだった。2003年に登場した総合市場では韓国の製品まで売られるようになり、「黄色い風」といわれる資本主義の風潮も各地で見られるようになった。
金正日キム・ジョンイル)総書記は2005年7月に朝鮮労働党計画財政部を新たに立ち上げ、朴南基氏をその責任者として任命した。朴南基氏は「内閣が資本主義の幻想を抱いて破壊したものを改め、社会主義の原則に則った経済管理制度を確立させる」と金総書記に報告した。それ以来、2006年からは朴奉珠氏は名ばかりの首相となってしまった。
韓国政府の安全保障関連部処当局者は

朴奉珠氏がすぐに以前のような経済改革に乗り出す可能性はあまり大きくはないが、朴南基氏の銃殺や世襲後継体制の確立といった問題を考慮すると、復帰の時期は注目に値する」

とコメントした。



《参考・李秀勇(李哲)氏について》

【「金総書記の金庫番」、近々スイスから帰国(2010年)】

北朝鮮金正日キム・ジョンイル)総書記の秘密資金・後継者問題・健康問題を一手に管理しているとされる李哲(リ・チョル)駐ジュネーブ代表部大使(75歳)が30年にわたるスイスでの生活に終止符を打ち、今月下旬頃北朝鮮へ帰国する見通しであることが3月10日明らかになった。帰国の背景や後任等についてはまだわかっていないという。
外交関係の消息筋は

「高齢であることに加え、あまりにも長い間スイスに滞在していること等が考慮されたものと考えられる。また、(金総書記の三男の)正恩(ジョンウン)氏に内定したとされる後継者問題に関連したものである可能性も否定出来ない」

と語った。
李大使は1980年、北朝鮮の駐ジュネーブ代表部大使として赴任し、1988年からは駐スイス大使も兼任して来た。さらに2001年からは駐蘭大使・駐リヒテンシュタイン大使も兼任している。
北朝鮮関連の消息筋は

「金総書記の三人の息子は全員スイスで学校に通ったとされている。北朝鮮の“ロイヤルファミリー”が留学生活を送るに当たり、面倒を見続けた李大使は金総書記が最も信頼を寄せる側近の一人だ」

と語った。
とりわけ、正恩氏の場合は李大使の保護の下にスイスの首都・ベルンの郊外にある3階建ての集合住宅で妹の与正(ヨジョン)氏と一緒に生活し、1998年~2000年秋には地元の公立学校に通っていたとされている。
李大使はまた、赴任直後から金総書記の秘密資金を管理していたとして注目されて来た人物だ。
2006年4月、アメリ国務省のクリストファー・ヒル国務次官補(当時)が「北朝鮮6ヶ国協議への復帰を拒み続けた場合、スイスの銀行に開設された金総書記の秘密資金40億ドル(約3,600億円)が入っている口座を調査することも可能だ」という趣旨の発言をした、と『ワシントン・タイムズ』紙が報じたが、李大使は当時声明文を発表し「荒唐無稽な話だ」として秘密資金の存在を否定した。
だが、2008年12月、フランスの日刊紙『ル・ピカール』は「ジュネーブ北朝鮮の秘密資金の管理場所となっており、また同時に世界に開かれた北朝鮮の窓口としての役割も果たしている」と報じ、また、「1991年以降、故・金日成(キム・イルソン)国家主席や金総書記の持病の治療を担当するためにフランスの医師たちを北朝鮮へ招聘する上で李大使が中心的な役割を果たした」と報じた。
なお、李大使はフランス語に精通しているとされている。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)