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【みんな生きている】朴奉珠編/ANN

北朝鮮張成沢チャン・ソンテク)氏が握っていた対外貿易の権限等が朴奉珠(パク・ポンジュ)首相に引き継がれる可能性があることが明らかになりました。


《政治部・千々岩森生記者報告》
張氏はこれまで、中国を中心に北朝鮮の対外貿易を取り仕切ってきました。
今回、登場したこの朴首相は、これまで経済の改革路線を進めてきた人物です。
金正恩キム・ジョンウン)体制になった今年の4月に、6年ぶりに首相に復帰していました。
張氏とのルートで北朝鮮側と接触を続けてきた関係者によりますと、張氏が失脚した後、先週、平壌を訪問した際に、北朝鮮政府の高官から、朴首相が張氏を引き継ぐと伝えられたということです。
北朝鮮としては、張氏と同じ改革路線の人物にスムーズに引き継ぐことで、体制に動揺はないとアピールする狙いもありそうです。



《参考・朴奉珠首相について》

北朝鮮の経済改革派・朴奉珠元首相が復権(2010年)】

北朝鮮で経済改革の先頭に立っていながら、後に解任された朴奉珠(パク・ボンジュ)元首相(71歳)が復権した。
北朝鮮朝鮮中央放送は8月21日、冷麺が有名の「玉流館」のオープン50周年記念行事について報じた際に「朴奉珠朝鮮労働党中央委員会第1副部長たちが出席した」と明らかにした。2007年4月に首相の地位から平安南道順川ビナロン連合企業所の支配人に左遷されて以来、3年4ヶ月ぶりに平壌へ戻ったことになる。
韓国政府関係者は

朝鮮労働党軽工業部等の経済部処(省庁)の第1副部長に就任したようだ」

とコメントしている。
また、ある脱北者

朴奉珠氏は張成沢チャン・ソンテク)行政部長と親しい関係にある」

と述べた。
張成沢行政部長(国防副委員長)は金正恩キム・ジョンウン)氏の後見人であるとされている。
改革派と目される朴奉珠氏の復帰は、今年3月に保守派の朴南基(パク・ナムギ)朝鮮労働党計画財政部長が貨幣改革(デノミ)の失敗により銃殺されたことと関連して、「非常に注目すべき」と韓国統一部関係者は分析する。最近の北朝鮮では在来市場等が貨幣改革以前にも増して活気を帯びている。
朴奉珠氏と朴南基氏は1990年代以降、「改革」と「計画」を代表するライバルとして競争して来た。
朴奉珠氏は若い頃に平安北道竜川郡の竜川食糧工場で支配人を務める等、現場での経験を積んで来た。とりわけ、1983年~1993年には平安北道の南興青年化学連合企業所で責任秘書を務め、その能力が認められて朝鮮労働党副部長に抜擢された。1987年には朴奉珠氏をモデルにした映画も制作された。
一方の朴南基氏は若い頃から朝鮮労働党内で社会主義計画経済に関連する業務を担当し、1984年にはすでに朝鮮労働党軽工業秘書となっていた。
朴奉珠氏は2002年、食糧や生活必需品配給の段階的縮小や企業の独立採算制、労働インセンティブ制等を中心とする「7・1経済改善措置」を実行に移し、2003年9月には首相のポストにまで登り詰めた。
一方の朴南基氏は2003年、それまで5年間務めていた国家計画委員長を解任された。
しかし、改革の雰囲気は2005年から変わり始めた。そのきっかけは市場の広まりだった。2003年に登場した総合市場では韓国の製品まで売られるようになり、「黄色い風」といわれる資本主義の風潮も各地で見られるようになった。
金正日キム・ジョンイル)総書記は2005年7月に朝鮮労働党計画財政部を新たに立ち上げ、朴南基氏をその責任者として任命した。朴南基氏は「内閣が資本主義の幻想を抱いて破壊したものを改め、社会主義の原則に則った経済管理制度を確立させる」と金総書記に報告した。それ以来、2006年からは朴奉珠氏は名ばかりの首相となってしまった。
韓国政府の安全保障関連部処当局者は

朴奉珠氏がすぐに以前のような経済改革に乗り出す可能性はあまり大きくはないが、朴南基氏の銃殺や世襲後継体制の確立といった問題を考慮すると、復帰の時期は注目に値する」

とコメントした。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)