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【みんな生きている】アントニオ猪木編/NHK

北朝鮮を訪れていた日本維新の会アントニオ猪木参議院議員が1月16日夜、帰国し、朝鮮労働党で国際関係を統括する金永日キム・ヨンイル)書記が古屋拉致問題担当大臣や日本の国会議員団の北朝鮮訪問に期待を示したことを明らかにしました。
日本維新の会アントニオ猪木参議院議員は、1月13日から16日まで北朝鮮を訪れ、朝鮮労働党で国際関係を統括する金永日書記たちと会談しました。
猪木氏は16日夜、帰国し、羽田空港で記者団に対し、
金永日書記から、日本の国会議員団の訪朝に加え『拉致問題担当大臣もよかったらおいで下さい』ということばがあった」
と述べ、古屋拉致問題担当大臣や日本の国会議員団の北朝鮮訪問に期待を示したことを明らかにしました。
そのうえで、猪木氏は
北朝鮮側は日・朝間の人的交流を再開したいと要望していた。北朝鮮は対話のきっかけを得たいと期待しており、政権与党の自民党にも伝えたい」
と述べました。
一方、猪木氏の北朝鮮訪問について、維新の会の橋下 徹共同代表は大阪市内で記者団に対し、
「いろいろ問題が多い。拉致問題に関する党の考え方と整合性が取れているのか、国会議員団で確認しなければならない」
と述べました。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《特定失踪者・佐々木 薫さんについて》
◆氏名:佐々木 薫
ささきかおる
◆失踪年月日:昭和47(1972)年11月12日
◆生年月日:昭和25(1950)年10月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の身分:調理師
◆当時の住所:広島県広島市中区
◆失踪場所:広島県広島市

【失踪状況】
当時、広島市在住。
1972(昭和42)年11月11日、祭りで広島の実家に帰省。
翌12日、広島市に帰る。
広島市に帰った2~3日後、知人女性に「急に京都に行かなければならなくなった」と電話をかける。
また何日後かに知人女性に「京都から帰れなくなった」と電話を掛けた後、所在不明となる。
1~2ヵ月後、知人女性から実家に「薫さんから京都から(広島市に)戻れなくなったと連絡があったが広島(三和町)に帰っていないか?」旨の電話が実家にある。
1984(昭和59)年、女性から実家に「薫さんは居られますか?」との電話がある。
1991(平成3)年正月、差出人が薫さんになっている年賀状が兵庫県相生市在住の叔父宅に届くが、記載されていた愛媛県今治市の住所は実在の住所だが別人が住んでいた。

《特定失踪者・藤倉紀代さんについて》
◆氏名:藤倉 紀代
(ふじくらきよ)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年3月29日
◆生年月日:昭和42(1967)年4月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:12歳
◆身長:150cm
◆体重:38kg
◆当時の身分:小学校5年生(進級直前)
◆特徴:
1)痩せ形で面長
2)色が黒く髪の毛を腰まで伸ばしていた
◆失踪時の服装:フード付の紺色スモッグに白色セーター
◆失踪場所:広島県広島市南区

【失踪状況】
失踪当日、母親はいつも通り夕刻5時か6時頃、子供たちの夕食を用意して自宅アパートから仕事に出かける。
母親が深夜(2時ごろ)に帰宅すると、二人の姿がなかった。
玄関には鍵がかかっており(鍵は子供たちも持っている)、母親の布団が敷かれ、夕食をとって食器が流しに運ばれているなど、いつもと変わった様子はなかった。
二人とも特別に何かを持ち出したような形跡はなく、服装も普段外出する時の服装。
また所持金は小遣い程度。
自分たちだけで遠出したことはなかった。
また姉は失踪翌日に友達と遊ぶ約束を電話でしていた。
当時警察は誘拐や事故などの線からも200人態勢で捜索を行ったが、全く手掛かりがなかった。

《特定失踪者・藤倉靖浩さんについて》
◆氏名:藤倉 靖浩
(ふじくらやすひろ)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年3月29日
◆生年月日:昭和44(1969)年3月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:11歳
◆身長:140cm
◆体重:30kg
◆当時の身分:小学校5年生(進級直前)
◆特徴:
1)中肉で丸顔
2)色黒
3)坊主頭
◆失踪時の服装:プロ野球の阪急の帽子をかぶり紺色ビニールのヤッケに同色のジーパン、白ズック姿
◆失踪場所:広島県広島市南区

【失踪状況】
失踪当日、母親はいつも通り夕刻5時か6時頃、子供たちの夕食を用意して自宅アパートから仕事に出かける。
母親が深夜(2時ごろ)に帰宅すると、二人の姿がなかった。
玄関には鍵がかかっており(鍵は子供たちも持っている)、母親の布団が敷かれ、夕食をとって食器が流しに運ばれているなど、いつもと変わった様子はなかった。
二人とも特別に何かを持ち出したような形跡はなく、服装も普段外出する時の服装。
また所持金は小遣い程度。
自分たちだけで遠出したことはなかった。
また姉は失踪翌日に友達と遊ぶ約束を電話でしていた。
当時警察は誘拐や事故などの線からも200人態勢で捜索を行ったが、全く手掛かりがなかった。

《特定失踪者・田辺真理子さんについて》
◆氏名:田辺 真理子
(たなべまりこ)
◆失踪年月日:平成8(1996)年9月27日
◆生年月日:昭和43(1968)年11月14日
◆性別:女性
◆当時の年齢:27歳
◆身長:155cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:販売員(ブティック)
◆当時の住所:広島県広島市中区
◆特徴:
1)髪は染めていないが少し赤茶けている
2)コンタクトレンズ使用
◆失踪場所:広島県広島市中区

【失踪状況】
平成8年9月27日午後8時頃、勤務先のブティック閉店後、同僚に売り上げ等のメールを発信し帰宅したものと思われるが、翌日から出勤しないまま行方不明となる。
勤務先のあった広島市中区本通りから自宅までの間の道でいなくなったと思われる。
田辺さんが1人で店にいることが月の半分くらいあり、失踪当日も1人だった。
両親が毎朝モーニングコールをしていたが、28日はいくらしても出なかった。
両親が広島に行き部屋を見たが、帰った様子がない。
現金50万円が置いてあった。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。