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【みんな生きている】拉致被害者・特定失踪者再調査編/NHK[広島]

スウェーデンで行われた日本と北朝鮮の政府間協議で、北朝鮮が、拉致被害者やいわゆる特定失踪者などの包括的、全面調査を行うと約束しました。
これについて、拉致被害者の家族を支援してきた「北朝鮮に拉致された日本人を救う会広島」は、NHKの取材に対し、一歩前進だとする一方で、北朝鮮側の出方を見極める必要があるという見方を示しました。
この中で、「北朝鮮に拉致された日本人を救う会広島」の安藤宗光会長は、

拉致被害者の家族の心情を考えれば、一歩前進だと思う。ただ、これまでの北朝鮮の態度を考えれば、北朝鮮側の出方をよく見極める必要があると思う。北朝鮮が、本当に意味のある調査を行うのか、拉致被害者をかえす意思があるのか、日本政府は検証できるようにすべきだ」

と述べました。

《特定失踪者・佐々木 薫さんについて》
◆氏名:佐々木 薫
ささきかおる
◆失踪年月日:昭和47(1972)年11月12日
◆生年月日:昭和25(1950)年10月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の身分:調理師
◆当時の住所:広島県広島市中区
◆失踪場所:広島県広島市

【失踪状況】
当時、広島市在住。
1972(昭和42)年11月11日、祭りで広島の実家に帰省。
翌12日、広島市に帰る。
広島市に帰った2~3日後、知人女性に「急に京都に行かなければならなくなった」と電話をかける。
また何日後かに知人女性に「京都から帰れなくなった」と電話を掛けた後、所在不明となる。
1~2ヵ月後、知人女性から実家に「薫さんから京都から(広島市に)戻れなくなったと連絡があったが広島(三和町)に帰っていないか?」旨の電話が実家にある。
1984(昭和59)年、女性から実家に「薫さんは居られますか?」との電話がある。
1991(平成3)年正月、差出人が薫さんになっている年賀状が兵庫県相生市在住の叔父宅に届くが、記載されていた愛媛県今治市の住所は実在の住所だが別人が住んでいた。

《特定失踪者・藤倉紀代さんについて》
◆氏名:藤倉 紀代
(ふじくらきよ)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年3月29日
◆生年月日:昭和42(1967)年4月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:12歳
◆身長:150cm
◆体重:38kg
◆当時の身分:小学校5年生(進級直前)
◆特徴:
1)痩せ形で面長
2)色が黒く髪の毛を腰まで伸ばしていた
◆失踪時の服装:フード付の紺色スモッグに白色セーター
◆失踪場所:広島県広島市南区

【失踪状況】
失踪当日、母親はいつも通り夕刻5時か6時頃、子供たちの夕食を用意して自宅アパートから仕事に出かける。
母親が深夜(2時ごろ)に帰宅すると、二人の姿がなかった。
玄関には鍵がかかっており(鍵は子供たちも持っている)、母親の布団が敷かれ、夕食をとって食器が流しに運ばれているなど、いつもと変わった様子はなかった。
二人とも特別に何かを持ち出したような形跡はなく、服装も普段外出する時の服装。
また所持金は小遣い程度。
自分たちだけで遠出したことはなかった。
また姉は失踪翌日に友達と遊ぶ約束を電話でしていた。
当時警察は誘拐や事故などの線からも200人態勢で捜索を行ったが、全く手掛かりがなかった。

《特定失踪者・藤倉靖浩さんについて》
◆氏名:藤倉 靖浩
(ふじくらやすひろ)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年3月29日
◆生年月日:昭和44(1969)年3月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:11歳
◆身長:140cm
◆体重:30kg
◆当時の身分:小学校5年生(進級直前)
◆特徴:
1)中肉で丸顔
2)色黒
3)坊主頭
◆失踪時の服装:プロ野球の阪急の帽子をかぶり紺色ビニールのヤッケに同色のジーパン、白ズック姿
◆失踪場所:広島県広島市南区

【失踪状況】
失踪当日、母親はいつも通り夕刻5時か6時頃、子供たちの夕食を用意して自宅アパートから仕事に出かける。
母親が深夜(2時ごろ)に帰宅すると、二人の姿がなかった。
玄関には鍵がかかっており(鍵は子供たちも持っている)、母親の布団が敷かれ、夕食をとって食器が流しに運ばれているなど、いつもと変わった様子はなかった。
二人とも特別に何かを持ち出したような形跡はなく、服装も普段外出する時の服装。
また所持金は小遣い程度。
自分たちだけで遠出したことはなかった。
また姉は失踪翌日に友達と遊ぶ約束を電話でしていた。
当時警察は誘拐や事故などの線からも200人態勢で捜索を行ったが、全く手掛かりがなかった。

《特定失踪者・田辺真理子さんについて》
◆氏名:田辺 真理子
(たなべまりこ)
◆失踪年月日:平成8(1996)年9月27日
◆生年月日:昭和43(1968)年11月14日
◆性別:女性
◆当時の年齢:27歳
◆身長:155cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:販売員(ブティック)
◆当時の住所:広島県広島市中区
◆特徴:
1)髪は染めていないが少し赤茶けている
2)コンタクトレンズ使用
◆失踪場所:広島県広島市中区

【失踪状況】
平成8年9月27日午後8時頃、勤務先のブティック閉店後、同僚に売り上げ等のメールを発信し帰宅したものと思われるが、翌日から出勤しないまま行方不明となる。
勤務先のあった広島市中区本通りから自宅までの間の道でいなくなったと思われる。
田辺さんが1人で店にいることが月の半分くらいあり、失踪当日も1人だった。
両親が毎朝モーニングコールをしていたが、28日はいくらしても出なかった。
両親が広島に行き部屋を見たが、帰った様子がない。
現金50万円が置いてあった。

《特定失踪者・酒井勇夫さんについて》
◆氏名:酒井 勇夫
(さかいいさお)
◆失踪年月日:平成11(1999)年12月23日
◆生年月日:昭和45(1970)年5月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆身長:170cm
◆体重:90kg
◆当時の身分:会社員(食品関係機械製造業)
◆失踪場所:広島県広島市

【失踪状況】
平成11年12月18日より同僚2名と広島市の食品会社に出張(牛乳製造ラインの移設作業)。
本人が責任者で作業を行う。
20日に主たる工事が終了したので同僚2名は帰京、以後1名で22日まで微調整作業のため勤務。
23日午前4時46分ホテルをチェックアウトしたが食品会社には出社せず。
同日12時35分にホテルより北東方向17km先の広島県安芸高田市のATMコーナーで1万円、5万円の2回に分けて本人名義の口座から現金が引き出されている(本人かどうかは確認できず)。
以後消息なし。
なお、早朝のチェックアウトはそれまでも同じ(工場ラインの稼働にあわせるため)。

《特定失踪者・和田佑介さんについて》
◆氏名:和田 佑介
(わだゆうすけ)
◆失踪年月日:平成14(2002)年5月7日
◆生年月日:昭和52(1977)年1月30日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆身長:172cm
◆体重:80kg
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:広島県広島市佐伯区
◆失踪場所:広島県広島市佐伯区

【失踪状況】
5月7日、会社から無断欠勤していると連絡がある。
その後行方が分からず。
アパートは、冷蔵庫湯沸しポットなど、全て電気も入れてあり、普通どおりの生活感があり、ちょっと外へ出ると言ったような様子。
携帯電話、銀行通帳、キャッシュカード、ガソリンカード、免許証、タバコ入れは無かった。
失踪前日まで、全く変わった様子はなかった。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。