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【みんな生きている】張成沢編[失脚]/産経新聞

北朝鮮金正恩キム・ジョンウン)第1書記の叔父で、朝鮮労働党行政部長等の要職を務めた実力者の張成沢チャン・ソンテク)国防委員会副委員長(67歳)が失脚し、半島情勢が急速に緊迫化している。正恩氏が側近たちを一斉排除して恐怖政治をエスカレートさせ始めたことで、配下の者たちの間で忠誠心競争が激化。危うい独裁者が核武装を加速させ、暴走を始める危険が出てきた。

軍服姿の係官に両脇を抱えられ、会議場を後にする張成沢氏。
北朝鮮朝鮮中央テレビが9日に公開した映像は、かつてナンバー2の地位にあった実力者が失脚する瞬間を映し出していた。
朝鮮中央通信は、張氏がすべての役職を解かれたことを伝え、その処分の理由として、自らの派閥をつくる「分派」活動や、女性関係の乱れ、麻薬の使用等の「不正腐敗」を挙げた。
ロイヤルファミリーの一員で、情報機関から警察、検察、裁判所までを手中に収める絶大な権益を握っていた張氏。肥大化し過ぎた権力が失墜の背景にあるようだ。

『コリア・レポート』編集長の辺真一氏は

「部分的な市場開放等の経済改革を主導してきたのが張氏だ。正恩氏の教育係のような役割も果たしてきた。それが正恩氏には目障りだったのだろう。決定打となったのは昨年11月に発足した『国家体育指導委員会』。張氏は了承なしに委員長に就任し、正恩氏の逆鱗に触れた。張氏の更迭は、誰であっても権力を奪えない、という正恩氏のメッセージだ」

と指摘する。
張氏の代わりにナンバー2の座に就くとみられるのが、崔竜海(チェ・リョンヘ)朝鮮人民軍総政治局長。核ミサイルの開発を進める軍政治部門のトップが序列2位に上り詰めたことで軍部の発言力が高まるのは必至だ。

「軍部が台頭することで、核ミサイルの開発を急ぎ、拉致被害者問題でも態度を硬化させかねない。ただ、前任者の失敗を見ている崔氏は正恩氏に逆らわず、偉大なるイエスマンとして振る舞うだろう。正恩氏が完全な独裁体制を敷いたといえる」
(辺氏)

心配なのは、核ミサイルで周辺諸国を恫喝する「先軍政治」の暴走だ。
辺氏は

「張氏の失脚で、ブレーキ役はいなくなった。強硬路線に走って、核ミサイルの開発を進める可能性がある。早ければ金正日氏の誕生日を迎える来年2月にも再び人工衛星と称するミサイル発射に踏み切るのではないか」

と危ぶんでいる。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝労働党書記は「北朝鮮金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫キム・ギョンヒ軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)