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【みんな生きている】張成沢編[分析]/NHK

張成沢チャン・ソンテク)国防委員会副委員長(朝鮮労働党行政部長)の解任と朝鮮労働党からの除名について、専門家に聞きました。


■伊豆見教授「大きな影響なし」

朝鮮半島問題に詳しい静岡県立大学の伊豆見 元教授は、NHKのインタビューに対し、北朝鮮の体制に大きな影響はないという認識を示しました。
この中で伊豆見教授は、
金正恩キム・ジョンウン)体制を張氏が1人で支えていたとは考えられず、父親が金日成(キム・イルソン)の側近であった崔竜海(チェ・リョンヘ)や、張氏の妻で金第1書記の叔母の金敬姫キム・ギョンヒ)もいる。体制が動揺する可能性は小さい」
として、張氏の失脚によって北朝鮮の体制に大きな影響はないとの認識を示しました。
また、今回の失脚の原因について、
「張氏の姿勢、政策が軍部とは相いれなかった可能性がある。また、健康問題を抱える金敬姫氏が、血のつながる金王朝を維持するために、自分が亡きあとに、張氏が金ファミリーを牛耳ることがないよう、排除したとしてもおかしくない」
と分析しました。
そして、
「張氏の力の源泉は金敬姫氏の夫であったことだが、この3か月間、動静が一切伝わらない金敬姫氏が、12月17日の金正日キム・ジョンイル)総書記の命日に表舞台に出てくるかどうかで、状況が読める部分が出てくる」
として、今月17日の北朝鮮の動きが注目されると述べました。


■韓国の専門家は

韓国の情報機関で長く北朝鮮を担当したカン・インドク元統一部長官は、張行政部長や、金総書記の妹の金敬姫書記に支えられて、金第1書記が権力を強化していくだろうとするこれまでの見方と異なり、今回の動きは、権力に就いてからの2年間で自信を深めたキム第1書記が後見人なしに自力で権力基盤を構築していく決意を示したものだと分析しています。
また、張行政部長に異例の厳しい批判を浴びせたことについては、道徳や倫理面で問題のある古い世代がいては、政権維持の障害になると判断したのではないかという見方を示しました。また、金第1書記は、公安組織や党の組織指導部を掌握しているようだとして、今後、人事等で多少の混乱はあっても、基本的には安定した政権運営をしていくと予想しています。
さらに、金第1書記は、経済の立て直しには外国の知識や資本が必要だと理解しているとしたうえで、改革開放的な思考を持ち、中国との関係も深かったとされる張行政部長が失脚したからといって、強硬姿勢を直ちにエスカレートさせることにはならず、外国の事情や経済をよく知る同世代の若手を起用していくと予測しています。
一方、北朝鮮問題が専門のトングク大学のコ・ユファン教授は、張行政部長が連行される写真まで公開されたことについて、
「不名誉に連行される姿まで公開され、張氏は北朝鮮の歴史から完全に消し去られる人物になるだろう」
と述べ、今後復権するのは難しいのではないかという見方を示しました。
また、
北朝鮮の市民は相当な衝撃を受けただろうし、内部の他の勢力への影響も大きい。“誰であっても野心を見せたり、金正恩体制の障害となれば、張成沢と同じ運命をたどる”ということを見せつけたのではないか」
と述べ、絶対的な権力を示すねらいがあったと分析しました。
そのうえで、コ教授は、
金正恩体制になってから北朝鮮の統治スタイルが大きく変化していて、今回も意思決定の公開性と透明性を示す意味があったと言える。粛清が個人の決定ではなく、党の集団的決定であることをアピールしており、父親の金総書記とは明らかに異なっている」
と述べました。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝労働党書記は「北朝鮮金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫キム・ギョンヒ軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)