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【みんな生きている】元工作員成敗編(2)

《元工作員の男に家庭を破壊された女性の怒りと悲しみと憎しみ》

「刃物でずたずたに刺し殺しても憤りは収まらないと思う」
3回目の試みでようやく脱北に成功したAさん(女性)は、韓国の検察でも憤りを鎮めることができなかった。
Aさんは

「必ず韓国に行って、家族をばらばらにした『敵』を見つけ出して復讐することだけを考えて生きてきた」

と語った。
Aさんは2004年末、夫と生後7か月の息子と共に脱北を試みたが、途中で夫と息子を失った。それも、同じ脱北者にだまされてのことだ。


脱北者が別の脱北者をだますことも

Aさん一家を悲劇に追い込んだのは、北朝鮮国家安全保衛部(秘密警察)の元工作員の男(48歳)だ。
男は2001年に保衛部の工作員に選ばれ、中国との国境地帯で脱北者を探し出す任務に就いた。
男は工作員でありながら、カネを稼ぐために脱北のブローカー役も務めた上、北朝鮮内の骨董品を中国に持ち出して中国人に売るという密貿易までしていた。この事実が発覚しそうになると、男は2003年7月、中国・上海の韓国総領事館を通じて脱北し、韓国にやってきた。
男は2004年12月、北朝鮮に残っていた家族の安全を確認するために、脱北前に親しくしていた咸鏡北道の保衛部幹部に電話をかけた。その直後、男は北朝鮮に戻り、この幹部から「中国にいる脱北者たちを北朝鮮に連れ戻せ」との指令を受けた。
2日後、男は中・朝国境を流れる豆満江(中国名:図們江)の中国側にある図們市で、脱北した軍人2人とAさんの家族3人に会い「モンゴルを経由してソウルに行けるようにしてやる」とだまし、近くに待機していた保衛部の工作員4人に引き渡した。
男は2005年6月、これらの経緯を知った中国の公安(警察)の調査を受け、韓国に追放された。だが、韓国の捜査機関は男が具体的に何をしたのか明確な証拠がないとして、特別管理だけにとどめた。
男は2010年、北朝鮮にいた妻と子ども2人を韓国に呼び寄せ、首都圏で一緒に暮らし始めた。男は日雇い労働者として生計を立て、2人の子どもは現在、それぞれ大学と高校に通っている。


北朝鮮に連れ戻された脱北者のうち3人は死刑に

その間に、男の協力によって中国から北朝鮮に連れ戻された脱北者の軍人とAさんの夫たち計3人は政治犯収容所で死刑に処された。
Aさんは

「幼い息子は知らない家族に養子として引き取られ、どこにいるか分からない」

と話した。
Aさん自身は懲役6年を宣告され、教化所(刑務所に相当)に入れられた。家族崩壊に追い込まれたAさんは「死んだ方がましだ」と思い、20日間の断食を試みたり、自殺を図ったりしたが、いずれも失敗に終わった。
刑期を終えて出所したAさんは昨年2月、再び脱北を試みたが途中で捕らえられ、咸鏡北道穏城郡の集結所(強制拘禁施設)に再び収容された。ここでAさんは、3,000元(約4万9000円)の賄賂を渡して釈放された。
Aさんは今年3月、3回目の脱北を試みて成功し、ラオス、タイを経て韓国にやって来た。そして、すぐさま全ての事実を捜査機関に告白し、当局は追加捜査を経て6月21日に元工作員の男の身柄を拘束した。
男はすぐに一連の犯行を認め「常にあの事件が心に引っ掛かっていて、Aさんの家族と軍人たちに本当に申し訳ないと思っていた。罰は甘んじて受ける」と話しているという。
検察の関係者は

「男は今さら懺悔しているが、男がもたらした結果があまりに残酷過ぎて、犠牲になった人たちが気の毒だ」

と語った。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)