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【みんな生きている】田中正道さん/NHK

北朝鮮に拉致された可能性があるとされる特定失踪者の男性の家族が、男性の行方が分からなくなってから20年となる6月7日、鹿児島県霧島市の会合に出席し、一日も早い問題の解決を訴えました。
特定失踪者は民間の団体・特定失踪者問題調査会(調査会)が、失踪当時の状況などから北朝鮮に拉致された可能性があるとしている人たちのことで、鹿児島県関係では11人います。
7日、霧島市役所で市の幹部が集まって開かれた拉致問題解決に向けた取り組みを協議する会合に、市内に住む特定失踪者の家族・村岡育世さんが出席しました。
村岡さんの兄で、特定失踪者の田中正道さんは、千葉県習志野市で行方がわからなくなってから7日で20年になります。
会合の中で村岡さんは
拉致被害者全員が日本の地を踏むことを願わずにはいられません。帰ってきたら霧島の温泉で体を休めてもらいたい」
と述べ、一日も早い問題の解決を訴えました。
また、会合では問題解決に向けて、引き続き夏祭り等多くの人が集まる場所で市の職員が募金や署名の活動を行うことや、市民に拉致問題への関心を持ってもらうために、新たに国や県と一緒に催しを開くこと等を確認しました。
村岡さんは
「この20年は長く辛い日々が続いています。家族が高齢になっているので兄には一日も早く帰ってきてほしい」
と話していました。

《特定失踪者・田中正道さんについて》
◆氏名:田中 正道
(たなかまさみち)
◆失踪年月日:平成5(1993)年6月7日
◆生年月日:昭和23(1948)年6月28日
◆性別:男
◆当時の年齢:44歳
◆身長:168cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:建設業(鍛冶工、鳶職)
◆特徴:やせ型
◆特技:測量、ガス、足場、玉掛の技術を持っている
◆失踪場所:千葉県習志野市

【失踪状況】
5月16日、「急性アルコール中毒になり入院した」との連絡が千葉県の病院から鹿児島に住む家族にあった。
入院中病院より連絡があり「身内が近くにいないので、他の人より長く入院させるから」と言われ、6月3日まで入院した。
退院前に主治医から鹿児島の妹に電話があり「そろそろ退院する。妹の世話にはなりたくないと言っているので、病院の方で仕事を紹介します」と言われた(後に主治医は「そういう話はしていない」と言っている)。
6月2日、本人より「明日退院するので、免許の更新に茨城に行ってくる」と連絡があった。
6月6日、茨城県交通協会で講習を受けたことは免許証にて確認。
6月7日千葉市内の友人宅に寄り、「今から仕事に行く」と言って出ていったのが最後。
同年6月11日、本人の車が習志野市内の路上に放置してあるとの連絡があった。車は慌てたように斜めに放置、キーがついたまま、ドアの鍵も開いており、後輪がパンクしていた。
車内には免許証、保険証、預金通帳印鑑、入院時の下着類、仕事着、アドレス帳があった。車が置かれたのは10日夜半か11日早朝と思われる。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・園田 一さんについて》
◆氏名:園田 一
(そのだはじめ)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月30日
◆生年月日:大正7(1918)年2月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:53歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:養鶏場勤務
◆失踪場所:鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中

【失踪状況】
妻(トシ子さん)とともに車で正月に帰省する次女を迎えに宮崎空港へ行く途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。
都城市へ寄ってから国道269号線を走って行く」と言っていた。
失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。
平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。

《特定失踪者・園田トシ子さんについて》
◆氏名:園田 トシ子
(そのだとしこ)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月30日
◆生年月日:昭和4(1929)年9月7日
◆性別:女性
◆当時の年齢:42歳
◆身長:155cm
◆当時の身分:養鶏場勤務
◆失踪場所:鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中

【失踪状況】
夫(一さん)とともに正月に帰省する次女を迎えに宮崎空港へ行く途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。
都城市へ寄ってから国道269号線を走って行く」と言っていた。
失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。
「トシ子」は戸籍名だが、「敏子」を使うこともある。
平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。

《特定失踪者・羽生弘行さんについて》
◆氏名:羽生 弘行
(はぶひろゆき
◆失踪年月日:昭和31(1956)年10月23日
◆生年月日:大正6(1917)年11月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:38歳
◆身長:165cm
◆当時の身分:半農半漁
◆失踪場所:鹿児島県熊毛郡屋久

【失踪状況】
屋久島の栗生川の船着場から漁船で海上へ出たあと、他の乗組員4名とともに行方不明。

《特定失踪者・宮脇留義さんについて》
◆氏名:宮脇 留義
(みやわきとめよし)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月中旬~下旬
◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆身長:165cm
◆当時の身分:製鉄所社員
◆特徴:
1)中肉中背
2)骨組みがっちり
3)手足大きめ
4)左目尻に1cmくらいの傷あり
5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり
6)話し方に時々鹿児島弁なまりが出る
◆失踪場所:山口県光市

【失踪状況】
鹿児島県出身。
福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の八幡製鉄所(現在の新日鉄住金)で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。
事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。

《特定失踪者・日高信夫さんについて》
◆氏名:日高 信夫
(ひだかのぶお)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年9月
◆生年月日:昭和19(1944)年11月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:155cm
◆体重:50kg
◆当時の身分:印刷工
◆特徴:印刷機による事故のため、右手人指し指第2関節と中指第1関節欠損
◆失踪場所:東京都台東区上野駅

【失踪状況】
当時東京都新宿区の印刷会社に勤務していたが、「大阪で新しい仕事場が決まった」というので、友人が上野駅まで見送りに行った。その後行方不明。
平成18年11月6日、警視庁に告発状を提出。

《特定失踪者・佐藤益一さんについて》
◆氏名:佐藤 益一
(さとうますいち)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日
◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)
◆失踪場所:大阪府池田市か?

【失踪状況】
6月13日に「淡路島に遊びに行く」と連絡があった。背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。
池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。

《特定失踪者・竹屋恵美子さんについて》
◆氏名:竹屋 恵美子
(たけやえみこ)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年9月27日
◆生年月日:昭和31年(1956)9月8日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:155cmくらい
◆当時の身分:無職
◆特徴:左足が若干不自由
◆失踪場所:兵庫県加古川市

【失踪状況】
メーカーに勤めていたが失踪1か月ほど前に「神戸の六甲山付近のパン屋で働く」といって会社を辞めた。
失踪当日母から10万円をもらってバッグ一つで出て行った。
数日後「着替えを取りに行くから」とだけ母親に電話があり、それ以来連絡がない。

《特定失踪者・種田 誠さんについて》
◆氏名:種田 誠
(たねだまこと)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年5月
◆生年月日:昭和25(1950)年2月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆当時の身分:焼肉料理店チーフ
◆失踪場所:京都府

【失踪状況】
「職を変えたい」と家族に電話があり、金銭だけは持って出たようだが、着替えなど身の回りのものは残したまま。

《特定失踪者・日高満男さんについて》
◆氏名:日高 満男
(ひだかみつお)
◆失踪年月日:平成元(1989)年2月23日
◆生年月日:昭和33(1958)年8月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆身長:171cm
◆当時の身分:港湾土木作業員
◆失踪場所:鹿児島県鹿児島郡十島村諏訪瀬島周辺海域

【失踪状況】
漁船大昭丸に1人で乗り込み、元浦港南西漁場で操業。
午後2時頃他の漁船に目撃されているのが最後。
日没後も帰港しないので諏訪瀬島の漁船、海保巡視船、航空機による捜索を行った。
翌24日諏訪瀬島切石港沖合で無人のまま漂流している船を発見。
船は燃料切れだったが、トローリングをしていた状態で糸も垂れたままだった。
不明となった1~2年後無言電話あり。毎日深夜12~1時、1カ月くらい続く。無言だが無線(モールス)のような音が聞こえた。
その日出漁したのは15~16隻。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。