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【みんな生きている】ラオス脱北者追放編(1)

ラオス政府、脱北者9人を北朝鮮へ追放》

コッチェビ」と呼ばれる浮浪児・孤児出身の脱北者9人が中国国境を越え、5月10日にラオスに到着したものの、ラオス政府は9人を国外追放の形で北朝鮮の関係者に引き渡したことが、28日までに分かった。南北は脱北者9人がラオスに到着した直後からこれを認知し外交戦を展開したが、ラオス政府は北朝鮮側の言い分を聞き入れた。
北朝鮮は27日、脱北者の引き渡しを受けるなり、飛行機に乗せて中国に移送するという異例の措置を取った。このため「今回の脱北者の中に、韓国をはじめ他国に引き渡されてはならない人物が含まれていたのではないか」という見方も出ている。


■外交戦で北朝鮮に押された韓国

28日に脱北者団体などが発表したところによると、15歳から23歳までの男性7人、女性2人は、韓国人牧師夫婦の支援を受けて北朝鮮を脱出した。9人は今月10日、中国南部から国境を越えてラオスに入り、警察に捕まった。逮捕直後、牧師が在ラオス韓国大使館に救命を要請すると、大使館側は「我々が解決する。取りあえず外部には知らせるな」と語ったという。
牧師と9人の脱北者は、16日にラオスの首都ビエンチャンに移送された。これまでラオス政府は、脱北者を逮捕したら1~2週間以内に韓国側へ身柄を引き渡していたが、今回は過去の慣例に従わなかった。ラオス政府は27日、9人の脱北者を「出発地の近隣国(中国)」に国外追放した、と韓国大使館に事後通知した。
北朝鮮民主化ネットワーク等北朝鮮の人権に関する団体は

脱北者が移民局に18日間収容されている間、在ラオス韓国大使館員は面会にさえ来なかった」

と発表した。
脱北者は27日午後、中国・雲南省昆明に到着し、現在は北京に滞在中という見方もある。
ある消息筋は

北朝鮮の外交官旅券を所持した数人が、脱北者と共に移動している。北朝鮮の当局者が直接護送しているものとみられる」

と語った。
北朝鮮側はラオスを離れる前、脱北者たちに合法的な旅行証明書や旅券等を持たせた。このため、9人は近く北朝鮮に送還される可能性が高いと懸念される。


■異例にも飛行機での送還許容したラオス。なぜか?

北朝鮮脱北者問題に素早く介入し、9人の引き渡しを受けた後、飛行機に乗せて連れていったのは異例のことといえる。ラオス政府も慣例を破り、空港でそのまま飛行機に乗せていくことを許容した。
北朝鮮に詳しい消息筋は

「かつて金正日キム・ジョンイル)総書記は、脱北者について『背信者はどこにでも行け』という態度を取っていたが、金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党第1書記が登場した後、取り締まりや統制が強まった。在ラオス北朝鮮大使館は、こうした変化に合わせて熱心に動いているようだ」

と語った。
実際、韓国入りした脱北者の数は、金総書記が死亡した2011年には2,706人を記録したが、金正恩政権が発足した12年には1,509人に減り、今年3月の時点で320人程度にとどまっている。
今回の事件の背景には、北朝鮮ラオスの伝統的な友好関係もあるといわれている。
とはいえ今回の事件では、いつものように引き渡されると考えた韓国政府当局が安易な対応を行い、脱北者北朝鮮送還の危機に陥れたと指摘されている。また、脱北者のおよそ9割が「北朝鮮→中国→ラオス(その後、タイまで行くケースもある)」ルートを利用していることから、今後脱北者の送還に少なからぬ問題が生じるのではないか、という指摘もある。
北朝鮮民主化ネットワーク等北朝鮮の人権に関する団体は、28日夕に声明を発表し

「韓国政府は一行が逮捕されたというニュースが伝えられても、18日間にわたって一行を放置し、速やかな措置を取らず、現在脱北者9人は生命を脅かされている。一行が北朝鮮に送還されたら厳しい迫害を受けることになるだろう」

と主張した。

【コチェビ】
家族や親戚等の身寄りがなく路上生活をしながら物乞いをする人を指す北朝鮮の表現。
「コチェビ」の語源は複数あるが、「流浪、遊牧、さすらい」という意味のロシア語「コチェビエ(кочевье)」に由来するというのが最も有力。
北朝鮮の外交官や海外駐在員たちは帰国後に必ず「思想総和」を行なわなければならない。1989年旧ソ連崩壊後、1990~1992年の間にロシアから帰国した北朝鮮の外交官たちは「旧ソ連社会主義を放棄したことにより、人民生活が破綻し浮浪者が急増した。彼らを見て我々式(北朝鮮社会主義を最後まで守らなければと確信した」という回答が流行した。
北朝鮮の外交官は小型ビデオカメラでロシアの浮浪者の姿を撮影し、ロシアの実態として説明したりもした。その際、「コチェビエ」という単語が北朝鮮の幹部たちに初めて紹介されたと伝えられる。
1995年の春、飢えに苦しむ地方住民が平壌に移動し始め、彼らの姿を見た幹部たちが「我が国にもコチェビエが誕生したか」と嘆き、一般住民の間に「コチェビ」という言葉が広く使用されるようになった。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)