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【みんな生きている】ステルス戦闘機編

《米軍ステルス機に対応出来なかった朝鮮人民軍

核活動の再開宣言に新型ミサイル発射の兆候と恫喝手段を総動員して対決度を高める北朝鮮に、アメリカは米・韓合同軍事演習やグァム基地への最先端MD配備等で高度な軍事的牽制を強めている。連日の応酬は核戦争シミュレーションも想起させる激しさだ。しかし、金正恩キム・ジョンウン)第1書記が強面を続けるほど、その言動には恐怖心が滲んでいるようにも見える。
3月末から数日間、ステルス戦闘機F22が加わった米・韓の演習だが、実はF22が金第1書記を震え上がらせる「秘密訓練」を行っていたのでは、との指摘が出ている。


■轟音と振動が平壌の空に響きわたる秘密作戦とは

米・韓合同軍事演習「フォールイーグル」(野戦機動演習)にステルス戦闘機F22が参加する理由は、平壌への威嚇にあるとされる。アメリカは軍事演習を使って、もうひとつの重要な対北朝鮮心理作戦「作戦計画5030」(北朝鮮動揺計画)を行っているとされるからだ。
その中身は、レーダーに捕捉されないステルス戦闘機を平壌上空に送りこみ、急降下や急上昇で威嚇するというものだ。
米軍が同演習にステルス機(当初はF117)を投入したのは2005年から。
同年の夏、平壌上空に侵入する「5030」の秘密作戦があったことをスクープしたのは、日本の軍事専門家・惠谷 治氏だった。
惠谷氏は言う。

「この年、F117は平壌上空から金正日キム・ジョンイル)総書記の住む宮殿めがけて急降下、急上昇を繰り返した。爆撃機の爆音と振動はものすごい。金総書記は本当の恐怖というものを体験したはずだ」

惠谷氏のスクープはその後、予期しない形で裏付けられている。米・韓合同軍事演習に参加していたF117のパイロットが米軍事専門誌に「私にとって最も記憶に残る任務は北朝鮮の領空をかき回したことだ…その任務のことを考えると、気が遠くなるような感じだ」(エアフォース・タイムズ)と証言したのだ。
北朝鮮は、通常なら国際社会に『米帝が領空侵犯の暴挙』等と騒ぐはずだが、これまで一切、反応してこなかった。
これは「捕捉不能なステルス戦闘機に北朝鮮空軍機は緊急発進すらできなかった」(惠谷氏)からだと分析されている。
今回、F222機が沖縄県嘉手納基地から「フォールイーグル」に参加のため韓国北部の京畿道烏山の米軍基地に到着したのは3月31日だった。その後、訓練に従事し、4月3日には沖縄に帰還している。
最高速度マッハ2.5、戦闘行動半径約2,200km。
惠谷氏は

「F22は平壌に侵入しただろう」

と推測する。
平壌では1日、最高人民会議が開かれていた。2日には「寧辺の核施設再稼働」宣言も行われている。アメリカが対北朝鮮心理作戦を仕掛けるには絶好の時期だったはずというわけだ。
3日にF22が帰還したあと、北朝鮮は4日朝、「朝鮮半島は一触即発の険悪な情勢が形成された」「今日、明日にもアメリカに向けた攻撃を強行することもある」(朝鮮人民軍総参謀部報道官)と、さらにヒステリックなまでの対米威嚇を行っている。


■2億円をかけて飛んできたステルス爆撃機B2

朝鮮半島にはF22到着の3日前に、ステルス戦略爆撃機B2が韓国に飛来していた。B2は核爆弾なら16個を搭載可能で、14tもある大型爆弾「バンカーバスター」も運べる。北朝鮮の核ミサイル基地攻撃には最適の爆撃機である。
B2は3月27日夜、アメリカ・ミズーリ州ホワイトマン空軍基地から約15時間をかけて韓国中西部、全羅北道郡山の韓国空軍射撃場にやってきた。アフガニスタン空爆イラク戦争での実戦で性能は実証済み。これまでも演習に参加しているが、秘密裏に行われてきた。
しかし、今回は米・韓合同司令部が公表した。狙いは北朝鮮を牽制。韓国への「核の傘」の目視化だ。アメリカ航空機の中でも最も高価で、一機20億ドル(1,900億円)とされるB2の今回の作戦費用は約2億円といわれている。威力を見せつけるように一度も着陸せず、模擬爆弾投下訓練後はそのままアメリカに帰還した。北朝鮮の対応は慌てた様子がありありだった。
深夜、29日午前零時半から金第1書記が作戦会議を招集。会議で金第1書記は首都・ワシントンを含む「戦略軍アメリカ本土攻撃計画」を示し、ミサイル部隊に「待機命令」を出し、会議の模様を朝鮮中央通信で報じさせた。その後、30日に「休戦状態」を自ら破棄する「南北は戦時状態」との特別声明を出した。
米軍によるステルス度の高いB2やF22が北朝鮮領空のそばを急襲するたびに金第1書記は烈火のように猛反発し、凍り付くような恐怖を覚えているのだろう。
韓国を人質にとった北朝鮮の恫喝と米韓の軍事牽制の睨み合いは、日々、危険度を増している。



北朝鮮による拉致の分析]
惠谷 治

過去の北朝鮮による拉致事件を分析すると、以下のような8つの目的が浮かび上がってくる。
また、拉致事件の状況を見ると、拉致は3つの方法で実行されている。

《拉致の目的》
1.秘密隠蔽のため
2.背乗り(はいのり。身分盗用のこと)のため
3.工作員として活用するため
4.工作員現地化教育の教官として活用するため
5.拉致被害者等の配偶者にするため
6.特殊技能者(専門家)を必要としたため
7.反北朝鮮活動を阻止するため
8.対南(対韓国)宣伝に利用するため

《拉致の方法》
(1)遭遇拉致
工作活動を目撃される等、不都合の口封じの色合いが強い。
上記目的の1や7にあたる。
(2)条件拉致
拉致の対象者に「工作員として使えること」
・「特殊技能を持っていること」
・「対韓国への宣伝に使えること」
等条件がついている場合を指す。
上記目的の2~5、及び8にあたる。
(3)人定拉致
文字通り、対象者を特定して拉致すること。
上記目的の5~7にあたる。
基本的には特定の個人を拉致するが、「若い女性」あるいは「背乗り対象者」という条件拉致であっても、対象者を最終的には限定しなければならず、朝鮮労働党作戦部や朝鮮労働党調査部との共同作戦となる。

北朝鮮による拉致及び拉致未遂事件】

《第1期》
北朝鮮建国から朝鮮戦争休戦まで
1946年7月31日
金日成(キム・イルソン)国家主席
南朝鮮(韓国)からインテリを連れてくることについて」
韓国人拉致指令を出す。

《第2期》
朝鮮戦争休戦から対南工作検閲まで
この時期は金日成政権下で朝鮮労働党3号庁舎が中心となって犯行に及んだ。
対南工作検閲とは工作の「見直し」を指す。
1963年5月12日
石川県志賀町高浜の沖合で寺越昭二さん・寺越外雄さん・寺越武志さんを拉致。
この事件について、金日成政治軍事大学のオ・グホ教官は
「寺越事件はオレがやった。オレが日本人拉致の元祖だ。たくさんやった。ここ(大学)にいる日本人(拉致被害者)はみんな知っている」
と学生たちの前で発言。
1969年11月
金主席、3号庁舎拡大幹部会議の席上
「日本人拉致を容認」
する発言をする。
1970年3月31日
よど号」、平壌に着陸。
1970年8月8日
加藤久美子さんを拉致。
1973年7月7日
古川了子さんを拉致。
1974年6月中旬頃
渡辺秀子さんの2児を拉致。
※渡辺秀子さんは殺害され、2児の拉致を指示した洪寿恵(ホン・スヘ。日本名・木下陽子)には2007年4月に逮捕状が出ている。

《第3期》
金正日キム・ジョンイル)総書記が対南工作機関を掌握した以降
この時期は金正日政権下で朝鮮労働党3号庁舎が中心となって犯行に及んだ。
※1975年~1976年にかけて、北朝鮮では工作機関の活動の検閲(活動の見直しと工作員の選別及び再教育)が行われたため、拉致行為は基本的には行われていない。
1976年7月中旬頃
福留貴美子さんが「モンゴルに行く」と言って出国。その後に拉致。
1977年9月19日
石川県能登半島宇出津から久米 裕さんを拉致。
1977年10月21日
松本京子さんを拉致。
1977年11月15日
新潟県寄居浜付近から横田めぐみさんを拉致。
1978年6月6日
中華料理店「来大」の店員だった田中 実さんをウィーン経由で拉致。
※実行犯は韓竜大(ハン・ヨンデ)と曹廷楽(チョ・ジョンガリ)の2人。
1978年6月29日
東京都豊島区から田口八重子さんを拉致。
1978年7月7日
福井県小浜市から地村保志さん・浜本富貴恵さんを拉致。
1978年7月31日
新潟県柏崎市の中央海岸付近から蓮池 薫さん・奥土祐木子さんを拉致。
1978年8月5日
韓国の仙遊島海水浴場から金英男(キム・ヨンナム)さんを拉致。
※金英男さんはキム・ヘギョンさんの父親。
1978年8月12日
鹿児島県日置郡の吹上浜から市川修一さん・増元るみ子さんを拉致。
1978年8月12日
新潟県佐渡島から曽我ひとみさん・曽我ミヨシさんを拉致。
1978年8月15日
富山県高岡市の雨晴海岸でカップル拉致未遂事件。
※1978年はタイ人・中国人・韓国人・マレーシア人・シンガポール人・レバノン人・ルーマニア人・フランス人・イタリア人・オランダ人・ヨルダン人を拉致している。
1979年8月頃
東京都山谷地域から小住健蔵さんを拉致。
1979年頃
金田竜光さん失踪。
※金田さんの失踪については田中 実さんの「君もこっちに来ないか」の手紙が引き金になっていることから、金田さんも拉致である可能性が高い。
1980年5月中旬頃
マドリード松木 薫さん・石岡 亨さんを拉致。
よど号ルート拉致)
1980年6月20日
宮崎県青島海岸の児童公園から原 敕晁さんを拉致。
1983年7月15日
コペンハーゲンから有本恵子さんを拉致。
よど号ルート拉致)

《第4期》
・国家保衛部中心による中・朝国境周辺での拉致
1997年8月15日
韓国から丹東経由で呉益済(オ・イクチェ)さんを拉致。
※呉さん拉致事件ファン・ジャンヨプ氏亡命に対する「報復拉致」。
2000年1月16日
中国延辺から金東植(キム・ドンシク)牧師を拉致。
2002年9月17日
金正日総書記、拉致を認めて謝罪。

以上