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【みんな生きている】田口八重子さん/NHK

北朝鮮による拉致問題を考える市民集会が埼玉県さいたま市で開かれ、特定失踪者の家族が「政府から拉致認定されていない特定失踪者についても関心を持って欲しい」と訴えました。
さいたま市浦和区で開かれた集会には約500人が集まり、始めに、拉致被害者田口八重子さんの兄で家族会代表の飯塚繁雄さんが講演し、
「長い間、拉致問題が蔑ろにされている状態だ。政府は問題の長期化を反省し、強い姿勢で臨んで欲しい」
と訴えました。
続いて、昭和51年に埼玉県川口市の自宅を出たまま行方がわからなくなり、北朝鮮による拉致の疑いが濃厚な特定失踪者・藤田 進さんの弟の隆司さんが講演しました。
藤田隆司さんは
「スイスにある国連人権理事会が兄の事案について調査を進めている」
と報告したうえで、
「政府に拉致認定を受けていない兄のようなケースの問題にも関心を持ってもらいたい」
と訴えました。
国連人権理事会は北朝鮮に対して情報を提供するよう求めているということで、隆司さんは
「今後の北朝鮮の反応を関心を持って見ていきたい」
と話していました。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

《藤田 進さんについて》
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった。
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。