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【みんな生きている】田口八重子さん/TVS

北朝鮮による拉致問題を考える埼玉県民の集いが9月22日、さいたま市で開かれ、拉致被害者家族の飯塚繁雄さんたちが早期解決を訴えました。
拉致被害者の家族会は、日・朝首脳会談から10年経った9月17日、これまで具体的な進展が無いことから、被害者の早期救出を訴えて緊急声明を出しています。
22日の集会で、埼玉県川口市出身の田口八重子さんの兄で、家族会代表の飯塚繁雄さんは、金正恩キム・ジョンウン)体制となり、日・朝協議が再開した今年が「勝負の年」と改めて強調しました。
また、横田めぐみさんの母・横田早紀江さんは
「他国の侵害で、何の罪もない若者が無理矢理、連れ去られて、今もどこにいるか分からない。この問題は、生きている間に絶対に解決されなければならない」
と涙ながらに訴えました。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。