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【みんな生きている】韓国人拷問編

《隠されてきた真実。中国公安当局による韓国人に対する拷問》

■正体不明の注射打たれ殴打

北朝鮮の人権問題に取り組む活動家、チェ・ヨンフンさん(49歳)は7月27日、『朝鮮日報』紙のインタビューに応じ

「金永煥(キム・ヨンファン)さんが中国公安(警察)から電気による拷問を受けたという記事を読んで涙が出た」

と話した。
中国で刑務所に収監されていた当時、受刑者から集団で殴られたことを思い出したからだという。
1997年から中国で重機ビジネスをしていたチェさんは、脱北者の気の毒な事情聞いて脱北者の韓国行きを支援し始めた。
チェさんは2003年1月19日、山東省の煙台港で脱北者約80人を韓国、日本に出国させようとして中国公安当局に逮捕され、拘置所に収監された。チェさんは手足を椅子に縛られた状態で、公安の取り調べ担当者から「事実を話さなければ殺す」「北朝鮮に身柄を引き渡す」等と脅迫されたという。
拘置所に11ヶ月収容されていたチェさんは、その後刑務所に移送されて2006年11月まで服役した。
チェさんは

「収監期間の最後の3ヶ月は地獄だった」

と語った。チェさんは体の具合が悪いわけでもないのに、刑務所内の病院に連れて行かれて注射を打たれたという。
チェさんは

「意識が朦朧としていたところ、受刑者が入ってきて私を死ぬほど殴りつけた」

と証言した。
チェさんは

「刑務所で中国の人権問題を批判し続けたが、それを嫌った刑務官が暴行を命じたのは明らかだ」

と指摘した。
チェさんは半月も受刑者による殴打が続いたため、病院の窓ガラスを割って自殺しようとしたこともある。

「こうして殴られるよりは、死んだほうがましだと考えた」

という。
チェさんは病院から刑務所に戻され、共に過ごした9人の受刑者から代わる代わる殴打されたという。
チェさんは

「3ヶ月も殴られ続け、精神状態がおかしくなった。86Kgあった体重は50Kgに減った」

と振り返った。
チェさんは2006年11月に帰国後、病院で精神分裂症の判定を受け、数ヶ月にわたり精神科の治療を受けたという。また、短期の記憶喪失症も経験した。


■太陽を見るのは月に1、2回

北韓正義連帯のチョン・ペトロ牧師も7月27日、『朝鮮日報』紙の取材に対し

「中国の刑務所に収監されていた当時、太陽の光を月に1、2回しか見ることができなかった。(太陽に当たらず)ビタミンDの不足で、皮膚がしわしわになった」

と証言した。収監中は仏教で瞑想(めいそう)する際の座り方である「結跏趺坐(けっかふざ)」を強要され、1時間に1回しか足を伸ばすことが出来なかったという。
チョン牧師は2003年、脱北者の韓国への出国を支援したところ、北京で中国の公安当局に逮捕されて吉林省延吉市の刑務所に1年半にわたり拘禁された。罪名は「違法越境幇助助罪」だった。
中国公安当局は取り調べ開始から3日間、チョン牧師に睡眠を取らせなかった。机に突っ伏すことも許さなかった。
横の部屋から拷問を受ける声が漏れるのを聞かせ「協力しなければ、無駄死にすることになる」と脅迫した。
チョン牧師の苦しみは延吉刑務所に移送されてからさらに増した。弁護士による接見、外部との連絡は一切禁じられたうえ、狭い監房で下着1枚で雑魚寝させられ、食事も1日に2回、トウモロコシをこねた餅が与えられるだけだった。
チョン牧師は

「日差しがない監房で一日中身動きが取れないことが最もひどい“拷問”だった」

と語った。日光に当たり、体も動かすことができる強制労働がむしろうらやましかったという。
チョン牧師は

「1年半の拘禁期間で韓国の領事担当者が訪ねて来たのは、拘束当時とクリスマスの2回だけだった」

と話した。一方で、アメリカの領事は毎月訪ねて来て、自国民と面会し、中国側から拷問を受けていないかを確認していたという。
チョン牧師は

「毎月家族の便りを聞き、雑誌の差し入れも受けていたアメリカ人がうらやましかった」

と振り返った。
チョン牧師は7月、在韓中国大使館前で金永煥さんに対する電気拷問等の人権侵害に対する謝罪を中国政府に要求した。


■容疑は今でも不明

「中国公安に捕まった理由が何なのか分からないまま、24時間殴る蹴るの暴行を受けた」
脱北した父子の悲劇を描いた映画『クロッシング』で実在の人物として描かれたユ・サンジュンさん(49歳)は、12年前に北朝鮮を脱出し、韓国に定着した。
ユさんは『朝鮮日報』紙の取材に対し

「3月に金永煥さんが中国公安に捕まったと報じられたとき“殴る蹴るの暴行を受けるのだろう”と思った」

と話した。
ユさんは

「私も昨年5月初め、北朝鮮と中国の国境地帯で脱北者の支援活動を行っていたところ、中国公安に逮捕され、25日間強制的に拘禁され、(国外に)追放された」

と説明した。
ユさんは当時、吉林省延辺朝鮮族自治州の和竜市を用事で訪れたが、宿泊先に向かう途中、私服姿で体格の良い複数の男に捕まり、付近の派出所の取調室で殴られたという。
ユさんは何の疑いで殴られているのか分からず、彼らが公安だということも取り調べの途中で初めて知ったという。
公安はユさんを鉄製の椅子に座らせ、手足を縛り、胸には板を当て、上半身を頑丈に固定したあと、手足で暴行を加えたという。
ユさんは

「4人が2人ずつ、2時間交代で24時間殴打した。中国で脱北者の支援活動を行う人物の実名と活動地域を話すよう強要された」

と証言した。
中国公安は、ユさんの携帯電話が鳴ると、側で通話内容を聴き、通話が終わると「相手の身元を話せ」と迫った。
公安はユさんが脱北者の支援活動を行なったという明らかな証拠がつかめなかったことから、25日後にユさんを釈放し、国外追放にした。ユさんは

「自分の容疑が何だったのか、今でも分からない」

と話した。中国公安はユさんを釈放する際「韓国に行っても“何事もなかった”と言え。騒ぐんじゃないぞ」と脅したという。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)