もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】朝鮮学校無償化編[名古屋地裁判決]/CBC

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-その命、見捨てますか?-
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!朝鮮学校授業料無償化訴訟で卒業生らの訴え棄却 名古屋地裁

【4月27日金曜日】
南北首脳会談に世界中が注目するなか、朝鮮学校に関する裁判に、判決です。
朝鮮学校を授業料無償化から外したのは違法だと、国に損害賠償を求めていた裁判。
請求は棄却されました。
この裁判は、愛知県豊明市の愛知朝鮮中高級学校の卒業生10人が、「朝鮮学校を、高校の授業料無償化の対象から外したことは平等権の侵害にあたる」等として、国に慰謝料等550万円の賠償を求めていたものです。
高校の授業料無償化は、日本だけでなくアメリカなど外国人学校も対象ですが、朝鮮学校への適用は拉致問題を理由に除外されていました。

「高校生になってこの問題と直面した時に、差別がずっと続いていることに憤りを感じた。在日朝鮮人皆の権利の問題だと思うので、裁判で必ず勝利できるように」
朝鮮学校の高校3年生の生徒)

27日の名古屋地方裁判所
集まった支援者たちは500人以上。
これまで、全国5か所の裁判所で同様の訴えが起こされ、学校側の勝訴が1件、敗訴が2件と判断が分かれるなか、名古屋地裁の福田千恵子裁判長は、

「学校が偏った観念を植え付ける教育をしている疑いがある、とした国の判断に、間違いはない」

と指摘し、請求を棄却しました。

「この無償化の権利を勝ち取るためにやってきた活動や努力、日本の方々の協力、すべてが踏みにじられたような気持ちになりました」
(原告の卒業生)
「裁判官に(弁護側の)思いを語ったつもり。見事に裏切られたのがこの判決。こんな不当な判決ならば、喜んで戦おうと」
弁護団長・内河恵一弁護士)

原告側は、控訴する方針です。

※「朝鮮学校の教科書は一切秘密なんです。それを萩原 遼さんが何とか入手して日本語に翻訳した。そうしたら朝鮮学校の中で(萩原さんに教科書を渡した)犯人探しが始まった。教科書を知られちゃいけないなんて、こんなの学校じゃありません。秘密結社です」
(西岡 力・救う会会長)
※「朝鮮学校では朝鮮総連幹部や職員の子供が学費を免除されている。また、特待生制度があり、勉学はもちろん、スポーツや上(幹部)に忠実等の理由で無料で朝鮮大学校まで行ける」
(萩原 遼さん)

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
救う会愛知ブログ
http://sukuukai-aichi.at.webry.info/
ブルーリボン豊橋HP
http://www.geocities.jp/teramoto_kokikai/kusanonesyuukai.html
三重県警HP
http://www.police.pref.mie.jp/
救う会三重HP
http://www7.cty-net.ne.jp/~mie/sukuukai/
岐阜県警HP
http://www.pref.gifu.lg.jp/police/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■ベナTVHP
http://www.benamu.org
■ベナTVブログ
http://blog.naver.com/benamu1004
■ベナTVFacebook
http://www.facebook.com/bnatv1004
北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画
https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be
脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画(3)
https://youtu.be/pMC2G7akiiM
■ベナTV(日本語版)
https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo
■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be
■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8
■ベナ救出団:日本語(1)
https://youtu.be/USkALHXYyfI
■ベナ救出団:日本語(2)
https://youtu.be/W9yxZD9sjuM
■ベナ救出団:日本語(3)
https://youtu.be/Mv2kbq4hamU
■ベナ救出団:日本語(4)
https://youtu.be/xpocs10Hx0E
■ベナ救出団:日本語(5)
https://youtu.be/SYT--pNiFqc



《特定失踪者・尹文夫さんについて》
◆氏名:尹文夫
(ゆんふみお)
(Fumio Yung)
◆別名:安村 文夫
(やすむらふみお)
(Fumio Yasumura)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年9月16日
◆生年月日:昭和29(1954)年9月3日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:山口県美祢市
◆当時の身分:無職
◆身長:175cmくらい
◆血液型:B型
◆特徴:右手か左手かはっきりしないが手の甲に3cm程度の切傷
◆失踪場所:新下関駅

【失踪状況】
県立高校を卒業後、朝鮮大学校に入学したが言葉が通じないのと思想的な違和感から中退。
一度山口県美祢の実家に帰るが再度上京してそのまま消息不明。
山口県警HP
http://www.police.pref.yamaguchi.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による安村文夫さん失踪事件の解説】
今月(2017年6月)刊行された『朝鮮大学校研究』(産経新聞出版刊)を読んで、よくもまあ、こういう学校が認可されたものだと半ば呆れ、半ば感心(?)しました。最近の加計学園問題での騒ぎを見るにつけ、「こっちの認可問題の方がよっぽど大事だろう」と思わざるをえません。
左翼都政だった美濃部知事時代のことではありますが、本書には認可の運動をしている最中に学内では北朝鮮さながらの権力闘争が行われていたとも書かれています。文科省も女性の貧困の研究は厚労省に任せて、今からでもしっかりチェックしてもらいたいものです。
ところで特定失踪者の中で1人朝鮮大学校に在籍した人がいます。
安村(尹)文夫さん。
昭和52年(1977)9月16日、新下関駅から新幹線で東京に向かったまま行方が分からなくなりました。当時23歳。
安村さんは山口県立の普通科高校を卒業後朝鮮大学校工学部に入学しました。お父さんが朝鮮総聯から表彰されたこともあったので朝大にはスムーズに入学できたそうですが、言葉が通じないのと思想的な違和感から1年生の途中で退学、実家に戻っていました。ご家族によれば東京には知人は朝大関係者しかいないとのことなので、何か声がかかったのかも知れませんが詳細は不明です。
安村さんが失踪する5年前、昭和47年(1972年)は金正恩キム・ジョンウン)の祖父・金日成(キム・イルソン)の還暦の年でした。『朝鮮大学校研究』にも出てきますが朝鮮総聯はその年朝鮮大学校の学生200人を北朝鮮に送ります。還暦祝いの貢ぎ物で、もちろん片道切符です。
私の中学の1年後輩(在日)も同じ昭和47年、中学2年の夏休みに北朝鮮に行って帰ってきませんでした。夏休みが終わっても登校せず、北朝鮮に行って戻ってこないということは分かったもののそのまま除籍になったようです。このことを知ったのは数年前なのですが、行った経緯は分からないものの、おそらく同じ扱いになったのではないかと思います。
そして安村さん失踪の3日後には久米 裕さん拉致、いわゆる宇出津事件が起きています。翌月には松本京子さん、その翌月には横田めぐみさんが拉致されています。帰還事業と拉致というのは決して無関係ではない、そんな思いもしている次第です。

《特定失踪者・川満敏弘さんについて》
◆氏名:川満 敏弘
(かわみつとしひろ)
(Toshihiro Kawamitsu)
◆失踪年月日:昭和47(1972)年5月
◆生年月日:昭和13(1948)年11月3日
◆性別:男
◆当時の年齢:33歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市港区
◆当時の身分:自動車メーカーの季節労働者
沖縄県出身
◆身長:160cmくらい
◆特徴:
1)痩せ型
2)四角顔
3)浅黒
4)左右いずれかの目頭に切り傷有り
◆失踪場所:愛知県名古屋市か神奈川県

【失踪状況】
季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。
同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。
愛知県名古屋市か神奈川県で働くと言い残し失踪。
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・加藤鈴勝さんについて》
◆氏名:加藤 鈴勝
(かとうすずかつ)
(Suzukatsu Katou)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年10月
◆生年月日:大正11(1922)年2月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:55歳
◆身長:170cm
◆体重:56kg
◆当時の身分:設計技師
◆当時の住所:愛知県名古屋市中村区
◆特徴:背中に7cmくらいのお灸の跡が2つ
◆失踪場所:愛知県名古屋市の自宅から

【失踪状況】
失踪した年の秋、加藤さんから次女・京子さんに弾んだ声で電話があったが、その1~2ヶ月後に失踪。
事件ではないかと警察に届けを出した。
その結果、空き巣に何度も入られており、3人分ほど土足の跡があったが、車、免許証、実印、通帳、鍵、衣服、履物があった。
鍵付きのタンスがこじ開けられていて、中にあったはずの株券が1枚も無くなっていた。

《特定失踪者・山口美好さんについて》
◆氏名:山口 美好
(やまぐちみよし)
(Miyoshi Yamaguchi)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年3月3日
◆生年月日:昭和14(1939)年3月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:大阪府守口市
◆当時の身分:無職(国鉄職員を退職し、仕事を探していた)
◆身長:170cm
◆失踪場所:大阪府守口市

【失踪状況】
失踪前日の夜、大阪で別の仕事を始めると言い出し、その仕事を紹介した人物と兄の家を訪れた。
兄は反対し喧嘩になったが、翌日の朝心配して守口市の下宿先を訪ねると、一切の荷物が整理され、本人はいなくなっていた。
身分証明書や現金等が机の上に残されていた。
失踪後、家族が守口市役所を訪問して住民票を確認しようとしたが、原本が見当たらず、市の助役が謝罪するという出来事があった。
大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・布施範行さんについて》
◆氏名:布施 範行
(ふせのりゆき)
(Noriyuki Fuse
◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月
◆生年月日:昭和29(1954)年2月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市北区
◆当時の身分:アルバイト(プレハブ工事現場)
◆身長:180cm
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:不詳

【失踪状況】
3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。
3カ月前に実家で会ったときとは別人の様相。
「2カ月で帰る」とあったがその後連絡なし。
預金通帳、印鑑も一緒に妹に送付。
昭和53年2月までは実家に電話、手紙あり。同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。
失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。
平成17年1月31日、山形県警に告発状提出。
山形県警HP
http://www.pref.yamagata.jp/police/
沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・佐藤正行さんについて》
◆氏名:佐藤 正行
(さとうまさゆき)
(Masayuki Satou)
◆失踪年月日:昭和61(1986)年10月29日
◆生年月日:昭和33(1958)年12月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市千種区
◆当時の身分:製薬会社勤務
秋田県秋田市新屋出身
◆身長:170cm
◆体重:60cm
◆特徴:
1)やや面長
2)眼鏡とコンタクトレンズを併用
◆失踪場所:愛知県名古屋市千種区の自宅マンション

【失踪状況】
外食店で買い求めた弁当をアパート自室で食事中、部屋着の軽装で外出したまま行方不明。
部屋には財布、自動車免許など一切の身の回りのものは残されていた。
秋田県警HP
http://www.police.pref.akita.jp/

《特定失踪者・安西正博さんについて》
◆氏名:安西 正博
(あんざいまさひろ)
(Masahiro Anzai)
◆失踪年月日:平成8(1996)年4月14日
◆生年月日:昭和43(1948)年9月19日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市名東区
◆当時の身分:会社員(荏原製作所
◆栃木県小山市出身
◆身長:173cm
◆特徴:
1)色白
2)笑うと八重歯
3)髪はくせ毛
4)近視で眼鏡をかけている
◆失踪場所:愛知県名古屋市

【失踪状況】
会社の寮から車で出かけ、そのまま行方不明になる。
最後に姿を見たのは寮の管理人。
日曜日だったので、寮の玄関で「安西君、食事はどうする?」と声をかけたら「食べます」と答え、近所に買い物に行くような感じで車で出かけた。
前日買った単行本3冊が机の上に置いたまま。レシートも挟んであった。
前に実家に電話、「4月下旬に大学時代の友人の結婚式が九州であり、それに出席してから帰省するのでゴールデンウィーク後半に帰る、お土産を買っていく」と話していた。
3ヶ月後、寮を引き揚げるとき礼服の内ポケットに祝儀袋が入っていた。
自ら消息を絶つとは考えられない。
■栃木県警HP
http://www.pref.tochigi.lg.jp/keisatu/

《特定失踪者・塚腰義正さんについて》
◆氏名:塚腰 義正
(つかごしよしまさ)
(Yoshimasa Tsukagoshi)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年11月
◆生年月日:昭和24(1949)年8月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:東京都国分寺市東元町
◆当時の身分:大学生(東京経済大学3年生)
◆身長:163cm
◆体重:58kg
◆特徴:
1)髪はくせ毛
2)左足の甲と脛に2歳の時の火傷の痕がある
◆失踪場所:パキスタン・クエッタか?

【失踪状況】
同年6月、東京を出発して東南アジア一周を目指し1人で旅に出る。
フィンランド、西ドイツ、フランス、イタリア、トルコ、イランなど20カ国を廻り、パキスタン1973年11月8日付の便りを最後に消息を絶つ。
予定ではパキスタン、インド、タイ、ベトナムシンガポールを経て1974年1月に帰国すると便りにあった。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・尾方 晃さんについて》
◆氏名:尾方 晃
(おがたあきら)
Akira Ogata)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年2月14日
◆生年月日:昭和30(1950)年12月12日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:京都市北区衣笠西馬場町
◆当時の身分:立命館大学学生
◆身長:168cm
◆体重:65kg
◆特徴:
1)右胸部と右背中に右胸部にリンパ腺炎の縦型の手術跡あり
2)右手中指第3関節の骨が突起している
◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】
京都市北区の下宿先から失踪。
直前の正月には郷里の岐阜に帰省した。
その後アルバイト先から実家に「アルバイト代を払いたいが、家へ帰っていないか」と電話。
家族が下宿先に行くと、荷物やお金がそのまま残されていた。
2月13日に預金を引き出した形跡がある。
京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・林 雅俊さんについて》
◆氏名:林 雅俊
(はやしまさとし)
(Masatoshi Hayashi)
◆失踪年月日:平成10(1998)年5月12日
◆生年月日:昭和50(1975)年1月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:岐阜県不破郡垂井町
◆当時の身分:岐阜大学大学院生(土木科)
◆身長:169cm
◆体重:50kg
◆失踪場所:福井県丹生郡越前町梅浦の海岸

【失踪状況】
午前9時頃いつもどおりに大学へ車で向かった。22時30分に大学の指導スタッフと別れる。
この日の夜は帰宅しなかった。
それまでも卒論などで朝帰りや泊まり込みがあったので帰宅しなくても不思議ではなかった。
5月13日福井県越前町の海岸に車が止まっているとの電話が四ケ浦駐在所から自宅にある。
車は海岸の釣り場に下りて行くところ(本人は釣りはやらない)で、下りて行く道を塞いだように停まっていた。当日早朝から止めてあった模様。
ドアはロックしてあり、中にパソコン、財布、免許証などすべて置いてあった。座席のリクライニングは倒れていた。
パソコンには次のようなメッセージが残されていた。

[いやあ、もう疲れちゃったよ
少し道をはずしてしまったような気がする
何も考えずにここまできてしまった
このままゼネコンへ入ったとしてもやっていく自信はぜんぜんありません
修論も考えるとぞっとします
今までさんざんわがまま言ってごめんね
先生にもよろしく
このパソコンは○○さんにあげます
本当にすんません]

メッセージの残された時間は13日午前2時04分だったが、友人の証言や多数の遺書を見てきた川人 博弁護士の見解など、本人のものでない可能性が少なくない。
その後無言電話が1~2カ月間続いた。
1回女性の声で「雅俊さんいませんか」という電話があった。
車が置いてあった場所は山下 貢さんの車が置いてあった場所(通称・よびかけ地蔵)から直線距離で10キロほどのところで、置かれていた状況も類似している。
また、北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
福井県警HP
http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・秋田美輪さんについて》
◆氏名:秋田 美輪
(あきたみわ)
(Miwa Akita)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年12月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年1月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:兵庫県川西市湯山台
◆当時の身分:神戸松陰女子大学文学部国文科4回生
◆身長:155cm
◆体重:43kg
◆特徴:両眼とも眼鏡をかけて視力1.2
◆失踪場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)

【失踪状況】
大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。
夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。
翌日朝8時15分兵庫県城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。
当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。
バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。
発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。
地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。
竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。
平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。
秋田美輪さんをただ単に行方不明者とするには、あまりにも不自然ないくつかの疑問点が残されている。
まず、残された美輪さんのバッグの中には急行券があった。
この急行券の使用距離範囲は大阪駅から150km。これではせいぜい城之崎までしか行けず、弁天浜までは30km程度足りない。
この急行券は、当時の改札口を通過したことを示す入挟・押印が無く、未使用のままだった。また、財布の中には定期代の1万8千円がそのまま残っていた。
そして、神戸松蔭女子学院大学内の美輪さんのロッカーの中から、失踪日の数日後に提出することになっていたレポートが発見される。
これらは状況証拠に過ぎないが、それでも単なる行方不明者として考えるには疑問を持たざるを得ない。さらに、美輪さんが行方不明になった前後、現場付近の浜辺でスーツ姿の男が無線機のような機器を使って朝鮮語で交信していたことが『産経新聞』の記事で明らかになっている。
この男は北朝鮮工作員とみられる。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
徳島県警HP
http://www.police.pref.tokushima.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■秋田美輪さんの早期帰国を願う会HP
http://save-akitamiwa.com/top.html

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
(Hiromasa Watanabe)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170cmくらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。
新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
岐阜県警HP
http://www.pref.gifu.lg.jp/police/



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.