もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】金正男編[捜査員証言]/TYS

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-その命、無駄にするんですか?-
《人殺しの前に、拉致被害者を返せ!「事件直前、正男氏が米国籍の人物と接触」捜査員証言》

【1月30日火曜日】
去年2月、北朝鮮金正男キム・ジョンナム)氏がマレーシアで殺害された事件の裁判で1月29日、マレーシア警察の捜査員が「事件直前、正男氏がアメリカ国籍の人物と接触していた」と証言しました。
この事件は去年2月、クアラルンプール国際空港金正男氏が顔等に猛毒の神経剤VXを塗られて殺害されたものです。29日、クアラルンプール近郊の高等裁判所で、殺人罪に問われている女2人の公判が開かれました。
証人尋問でマレーシア警察の捜査員は、

「正男氏は事件4日前にマレーシアのランカウイ島でコリア系アメリカ人男性と接触。その日に正男氏のパソコンからUSBメモリーを使って複数のデータが移された形跡があった」

と証言しました。
捜査員は、この男性の身元については不明だとしていますが、別の捜査関係者はJNNの取材に対し、

「情報機関の関係者とみられる」

と話しています。
殺害された当時の正男氏の所持品にUSBメモリーは含まれていなかったということです。証言した捜査員は、ランカウイ島での行動が事件の背景にある可能性もあると指摘しています。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
山口県警HP
http://www.police.pref.yamaguchi.jp/
救う会山口HP
http://sukuukaiyamaguchi.blog.fc2.com/
■「山口県特定失踪者家族会」を支援する会ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/kazetomo55
■瀬戸内しおかぜの会ブログ
http://setouchishiokaze.blog.fc2.com/
■瀬戸内しおかぜの会facebook
http://ja-jp.facebook.com/setoshio
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画
https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be
脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画(3)
https://youtu.be/pMC2G7akiiM
■ペナTV(日本語版)
https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo
■ペナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be
■ペナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8



《特定失踪者・河田君江さんについて》
◆氏名:河田 君江
(かわたきみえ)
(Kimie Kawata)
◆失踪年月日:平成2(1990)年2月7日
◆生年月日:昭和41(1966)年8月15日
◆性別:女性
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:山口県豊浦郡豊浦町(現・山口県下関市
◆当時の身分:縫製工場勤務
◆身長:152cm~153cm
◆体重:47kg~48kg
◆血液型:B型
◆靴のサイズ:23.5cm
◆特徴:
1)ボブカット
2)左手の甲に3歳頃の火傷の跡(5cmくらい)
◆特技:手が器用。高校で和裁を中心に学習していたので浴衣、羽織などを作っていた
◆失踪場所:山口県豊浦郡豊浦町から下関の間

【失踪状況】
退勤後自宅近くで買い物したのち不明に。
2月20日頃、本人の乗っていた車が萩市島根県益田市の中間の国道沿いの駐車スペースに止まっているのが見つかる。
本人は運転時、ヒールのときは裸足で運転するほど汚すのが嫌いだったが、車が見つかったとき、運転席に泥、助手席にシダの葉、少量だが本人の血が付いたカミソリが見つかっている。
免許証、通帳などはそのまま。
その後預金の引き出しなし。
実家へ来るはずが全く逆の方向へ行っている。
2月18日に本人の声で知人に架電して「ごめんね」と言っている。
車内にあったレシートなどによると、8日午後1時34分に島根県出雲市でパン等を購入。
同日午後7時11分、長門市内のコンビニでおむすびを購入。
午後7時36分、同市内でカミソリ、チョコレートを購入。
午後7時37分、同市内弁当屋でのり弁1個を購入している。
島根県警HP
http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・西村京子さんについて》
◆氏名:西村 京子
(にしむらきょうこ)
(Kyouko Nishimura)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年12月27日
◆生年月日:昭和37(1962)年12月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:25歳
◆当時の住所:山口県吉敷郡小郡町(現・山口市
◆当時の身分:洋装店店員
◆身長:163cmくらい
◆血液型:AB型
◆失踪場所:山口県山口市湯田温泉

【失踪状況】
失踪前日夜、職場の同僚の女性(Aさん)と2人だけの忘年会を市内で行い、近くの別の飲食店で2次会を行った。
そこで男性(B氏)と知り合い、27日午前3時頃、Bさんの車に同乗するのをAさんが目撃したのを最後に2人とも失踪した。
B氏も現在まで行方不明。
車も見つかっていない。

《特定失踪者・宮脇留義さんについて》
◆氏名:宮脇 留義
(みやわきとめよし)
(Tomeyoshi Miyawaki
◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日
◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:山口県光市
◆当時の身分:製鉄所社員
◆身長:165cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)骨組みがっちり
3)手足大きめ
4)左目尻に1cmくらいの傷あり
5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり
6)話し方に時々鹿児島弁が出る
◆失踪場所:山口県光市

【失踪状況】
鹿児島県出身。
福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。
事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/
■福岡県警HP
http://www.police.pref.fukuoka.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・村本宣夫さんについて》
◆氏名:村本 宣夫
(むらもとのぶお)
(Nobuo Muramoto)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年3月24日
◆生年月日:昭和7(1932)年8月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:38歳
◆当時の住所:山口県岩国市
◆当時の身分:運転手・事務・雑用
◆身長:162cmくらい
◆失踪場所:山口県岩国市

【失踪状況】
岩国市の下宿先から失踪。
免許、お金など全部置いてあり、普段着のまま。
乗用車も新車に乗り換えたばかり、夫婦生活、人間関係に特に変わったことはなかった。
行く先を告げずに遊びに行くことはなかった。
失踪後、連絡一切なし。

《特定失踪者・国広富子さんについて》
◆氏名:国広 富子
(くにひろとみこ)
(Tomiko Kunihiro)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年8月2日
◆生年月日:昭和27(1952)年2月9日
◆性別:女性
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:山口県宇部市
◆当時の身分:看護師
◆身長:152cm
◆体重:48kg
◆血液型:O型
◆特徴:左こめかみから頬にかけうす茶色のあざ(化粧で隠れるほど、1cmくらいのあざ)
◆失踪場所:山口県宇部市笹山

【失踪状況】
午後8時半頃、母親にたばこを買いに行くのを頼まれ、自宅から数十メートル先のたばこ屋に300円のみを持ってサンダル履きで家を出たまま消息不明。
平成16年1月29日、山口県宇部警察署に告発状提出。

《特定失踪者・尹文夫さんについて》
◆氏名:尹文夫
(ゆんふみお)
(Fumio Yung)
◆別名:安村 文夫
(やすむらふみお)
(Fumio Yasumura)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年9月16日
◆生年月日:昭和29(1954)年9月3日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:山口県美祢市
◆当時の身分:無職
◆身長:175cmくらい
◆血液型:B型
◆特徴:右手か左手かはっきりしないが手の甲に3cm程度の切傷
◆失踪場所:新下関駅

【失踪状況】
県立高校を卒業後、朝鮮大学校に入学したが言葉が通じないのと思想的な違和感から中退。
一度山口県美祢の実家に帰るが再度上京してそのまま消息不明。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による安村文夫さん失踪事件の解説】
今月(2017年6月)刊行された『朝鮮大学校研究』(産経新聞出版刊)を読んで、よくもまあ、こういう学校が認可されたものだと半ば呆れ、半ば感心(?)しました。最近の加計学園問題での騒ぎを見るにつけ、「こっちの認可問題の方がよっぽど大事だろう」と思わざるをえません。
左翼都政だった美濃部知事時代のことではありますが、本書には認可の運動をしている最中に学内では北朝鮮さながらの権力闘争が行われていたとも書かれています。文科省も女性の貧困の研究は厚労省に任せて、今からでもしっかりチェックしてもらいたいものです。
ところで特定失踪者の中で1人朝鮮大学校に在籍した人がいます。
安村(尹)文夫さん。
昭和52年(1977)9月16日、新下関駅から新幹線で東京に向かったまま行方が分からなくなりました。当時23歳。
安村さんは山口県立の普通科高校を卒業後朝鮮大学校工学部に入学しました。お父さんが朝鮮総聯から表彰されたこともあったので朝大にはスムーズに入学できたそうですが、言葉が通じないのと思想的な違和感から1年生の途中で退学、実家に戻っていました。ご家族によれば東京には知人は朝大関係者しかいないとのことなので、何か声がかかったのかも知れませんが詳細は不明です。
安村さんが失踪する5年前、昭和47年(1972年)は金正恩キム・ジョンウン)の祖父・金日成(キム・イルソン)の還暦の年でした。『朝鮮大学校研究』にも出てきますが朝鮮総聯はその年朝鮮大学校の学生200人を北朝鮮に送ります。還暦祝いの貢ぎ物で、もちろん片道切符です。
私の中学の1年後輩(在日)も同じ昭和47年、中学2年の夏休みに北朝鮮に行って帰ってきませんでした。夏休みが終わっても登校せず、北朝鮮に行って戻ってこないということは分かったもののそのまま除籍になったようです。このことを知ったのは数年前なのですが、行った経緯は分からないものの、おそらく同じ扱いになったのではないかと思います。
そして安村さん失踪の3日後には久米 裕さん拉致、いわゆる宇出津事件が起きています。翌月には松本京子さん、その翌月には横田めぐみさんが拉致されています。帰還事業と拉致というのは決して無関係ではない、そんな思いもしている次第です。

《特定失踪者・花田昭博さんについて》
◆氏名:花田 昭博
(はなだあきひろ)
(Akihiro Hanada)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年9月24日
◆生年月日:昭和41(1966)年4月5日
◆性別:男性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:広島県大竹市
◆当時の身分:高校3年生
◆身長:169cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)左眉毛上に米粒大のほくろ
3)一重瞼
◆失踪場所:当時居住していた自宅から

【失踪状況】
失踪当日自宅テーブルの上に「釣りに行きます」との書置きを残し、朝5時~6時頃家を出たまま行方不明となる。
本人は留守にするときには必ず書き置きをしていた。
当日は学校は休みだった。
1週間後、自宅から33km離れた山口県大島大橋山口県柳井市と大島郡周防大島町間の大畠瀬戸に架かる橋)の中央近く車道部分に本人の自転車と釣り竿が放置されていた。
釣りが趣味だったが、通常はほとんど1人で出かけており、たまに2歳年上の友人と行ったこともあった。通常行く先は自転車で行ける範囲の大竹海岸だった。
本人が小学生のとき、お父さんとお父さんの知人、その子供たちで大島大橋を渡って島内に入り釣りをしたことが何度かあるが1人で大島まで釣りに行ったことはなかった。
自宅には小遣い7,000円~8,000円が残されていた。
間違い電話の可能性はあるが失踪後何度か無言電話はあった。
広島県警HP
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.