もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

6月3日アラキ語録

■バット止めたらいいところに

ホッとしました。
結果出さないのに2,000本近いから使ってもらっているんじゃないかと考えた時期もあって、それが今年一番の苦しみでしたね。
今日のヒットは「ちょっとタイミング早いな」と思ってバットを止めたらいいところ飛んでくれた。ウルッとは来たけど、涙は最後までこぼれなかったですね。
試合後のスタンドからの「荒木コール」はありがたかった。応援に来てくれたお客さんには負け試合で申し訳ないという思いで、ベンチを出て四方に頭を下げました。


■「前に飛ばない」他球団だったら…

この2,000本安打には、本当に縁を感じています。
実は1995年のドラフト前、中日からは4位指名の予定と聞いていました。一方で、横浜からは3位。当時の星野監督がくじを2回外して「外れ外れ1位」で指名してもらえなかったら、中日には入団していなかった…と思うと、本当に意味深い。他の球団に行ってたら今はもうやっていないかも知れない。
だけど1位指名には正直「やめてくれ。そんな選手じゃない」って思いました。そんな経緯で入団した当初、打撃で「前に飛ばない」「内野の頭を越えない」とバカにされていました。
でも劣等感はなかった。他人と比べるのではなく「僕は今はここなんだ」と、毎日を精一杯やろうと思っていました。


■まず足、次に守備 生き抜くために

そんな僕がどうやってプロ野球の世界で這い上がってこられたのか。
それは、マイナスをなくして平均値に持って行くよりは、プラスを伸ばしていこうという考え方があったからです。特に下積み時代にお世話になった仁村 徹2軍監督とお兄さんの薫コーチには、自分が生き抜く方法を突き詰めさせられました。
まずは足。「おまえの生きる道はそこしかない」と言われ、「じゃあ日本一の代走になろう」と誓いました。敵地のダイエー(現・ソフトバンク)との2軍戦後、雁の巣球場で50本くらい、二塁からホームに帰る練習をやらされて。それが10ゲーム差を逆転して優勝した2011年9月23日、24日のヤクルト戦での2試合連続の本塁決勝スライディングにつながりました。
守備でもそう。二塁手になりたての頃、ボテボテの三塁線の当たりで三塁手の一塁悪送球を想定してカバーに入り、フェンスに当たる前に直接捕る練習に取り組みました。仁村 徹さんからは「高木守道さんはやろうとして出来なかったけど、荒木の足なら出来る」と言われて。実際に出来たのは2008年7月の阪神戦。チェンのバント処理の悪送球を捕り、ユニフォームがビリビリに破れたことを覚えています。3年間で1回あるかないかのプレー。人によっては気付かれないかも知れない。だけど自分がそれを怠ったことで試合を落とすことはしたくない。そういう気持ちでやってきました。
球団史上最多の281犠打を記録していることも自分らしい点。打てなくてもバントという役割りがあって、打ってくれる周りの人のおかげで試合に出られた。3、4、5番の人が打つ2,000安打とは違うと思います。


■出番が来たからつかめたこと

そうやって自分のプラスを伸ばしていった結果、マイナス面もプラスに変わります。それが打撃です。代走や守備固めで出場していた頃、打席はあっても1つ。その1打席で何とかしようと振り返ったとき、必ず1球は直球が来ていることに気付きました。だったらその1球をとらえようと、毎日、朝と試合後に1時間、ひたすらマシンで速い直球を打ち続けました。それが1998年から3年間取り組んだスイッチヒッターをやめ、右打者に専念することにした2001年のことでした。
翌年にようやくつかんだレギュラーの座。ただ6、7年間ずっと、肩の痛みを抱えていました。ヘッドスライディングでの帰塁を繰り返したことが一番の原因。痛み止め薬のボルタレンを毎日飲みながらマシン打撃も続けていて、その副作用でずっと胃潰瘍でした。でも胃を壊してでも試合に出続けたかった。「バカだよなあ、オレ」って思いながらも、「この場所でもうちょっとやってみたい」と必死でした。


■今は野球が好き 若手に火を点ける

当時は毎日球場に行くのが怖かった。朝起きたら「今日も野球やるのか」とゲンナリしていました。一般的に日曜日の夕方に憂鬱になるサザエさん症候群とは、僕は反対。一番のリラックスタイムで、明日は野球しなくていいんだ、ってホッとしていました。
だけど今は本当に野球が好きだなって、胸を張って言えます。好きだから悩むし、まだまだ上を目指してやっていきたい。遠征先の宿舎で「何であそこであのバッティングしちゃったんだろう」って考えちゃった瞬間、ベッドから立ち上がって部屋でバットを振ってたりすると、自分でも好きだなあって思います。
だから40歳近くになってもモチベーションが落ちることはないんです。チームが強くなっていく中のひとつのピースとしてやっていたい。今日の試合後にみんなに「ここまで来ることが出来たのは練習を続けたから。とにかく練習をいっぱいやって、みんなで強いチーム、つくっていきましょう」と語りました。
ベテランが強い頃の残り火として若い子たちの葉っぱに火を点け、応援してくれる人たちの風が吹いて燃やしてくれる。ちょっと前のスローガンだけど「竜魂燃焼」ってそういう感じでしょう。そんなプレーを見せていきます。