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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(5)/山谷えり子編

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山谷えり子自民党拉致問題対策本部長)


■今年こそ結果を出していく

皆様こんにちは。
激しい怒りと寂しさ、そして今年こそ解決していこうという強い思いでお運びくださり誠にありがとうございます。
今総理、そして加藤拉致問題担当大臣が、拉致問題の解決は安倍内閣にとって最重要、最優先課題であると言われました。北朝鮮をめぐる情勢は緊迫しています。だからこそ、今こそ「対話と圧力」、「圧力と対話」、「行動対行動」で解決に向けて強い力を発揮していく時だと思っています。
自民党拉致問題対策本部の中に、アクションプラン検討チームを設けて、日々国連の関係者や北朝鮮の情勢に詳しい人々と意見交換を重ねて、13項目の提言をまとめて、官邸で、総理そして加藤大臣と意見交換をしたところです。
人、物、金、制裁のすり抜けは許さない。再入国禁止対象者を広げる。資産凍結の対象を広げる。そして貨物検査特別措置法を改正してもっと徹底的にやる。
朝鮮学校には去年3.8億円、地方自治体が公的助成をしましたが、本当にそれでいいのか。必要な措置、見直しをはかるべきではないか。これは新しい法律が必要ですが、そのような提言をしたところです。
また安倍内閣のリーダーシップによって、国連には北朝鮮拉致問題と人権問題の調査委員会が作られました。私も大臣の時に400ページ近い報告書が出たものですから、拉致問題というのはこういうことなんです。被害国は12か国、13か国に及んでいますということで、各国の国連大使に働きかけをしました。
各国の認識は非常に高まっています。
そして今年3月の国連人権理事会では、国際刑事裁判所(ICC)に付託するため、専門の人たちを国連に充実させようではないかというところまできています。
また政府、そして特定失踪者問題調査会の皆様が北朝鮮に向けてラジオ放送をしてくださっていますが、さらにそれを中波放送の充実をはかっていく。あるいはアメリカのボイス・オブ・アメリカやラジオ・フリー・アジアに、私も大臣時代に放送局の皆様と交流の時間を持って、この問題を認識してもらいました。今
加藤大臣がそれを引き継いでくださっています。
朝鮮半島有事の時に、しっかりと情報を届ける。そして皆さんの安全を確保するために平和安全法制ができましたので、体制の充実、そして訓練の充実もできてきます。そうしたことも総理にお願いをしてきました。
アメリカが今、北朝鮮テロ支援国家として再指定しようとしています。そこにも拉致問題を入れてほしいと働きかけをしていきたいと思います。安倍総理は本当に長くこの拉致問題の解決に取り組んでこられました。そして戦略性を持っ
ておられます。そして世界中にパイプを持ってもられます。この2、3週間、私も総理そして加藤大臣と何度も何度も話し合いの機会をいただきましたが、本当に今の政府は様々な検討、対応策、そしてそれを実行しています。
何としてもみんなの力を結集して各党、超党派拉致議連、そして各県の知事会、各地方議会の皆さん、そして皆々様とこの激しい怒りを解決に向けて、充実して、広げて、その日を迎えたいと思います。早く被害者の皆様がこの祖国の地を踏むように、そして大きな船で祖国の地を踏むように、家族の皆様と抱き合う日が来るように頑張りぬきたいと思います。
宋日昊ソン・イルホ)国交正常化交渉担当大使は先日、「拉致問題など誰も関心がない」と言いました。とんでもないことです。日本中怒っています。そして今、こういう状況だからこそ皆で心を合わせて拉致問題の解決に向かって、今年こそ結果を出していく。その強い思いで歩いていきたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。

【補足・西岡 力】
自民党の拉致対策本部が政策提言をされたのは2回目で、1回目の13項
目は追加制裁の案でした。それが今ほとんど実現していることを受けて、今後何ができるか。その中で先生は新法という話をされました。そういうことも含めて、北朝鮮が今年中に返さないなら、もっともっと強い圧力をかけるという準備が進んでいるということだと思います。



■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆身長:180cm
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.