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【みんな生きている】蓮池 薫さん/NBS

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《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!蓮池 薫さんの目に映る「北の現状」とは?》

北朝鮮をめぐる情勢が緊迫する中、FNNは、2002年に帰国した日本人拉致被害者の蓮池 薫さん(59歳)に単独インタビューを行いました。最新映像から見えてくる北朝鮮の真実。そして、拉致問題への思い。24年間、北朝鮮での生活を余儀なくされた蓮池さんが、危機感をあらわにしました。
今週、新潟県柏崎市で行われた拉致被害者・蓮池 薫さんのインタビュー。
蓮池さんは、強気の発言を繰り返す北朝鮮の姿勢について、

「(北朝鮮の)基本原則が、圧力に対して屈服し始めたら、それは終わりであると。『怖いです』なんて言えるはずない」、
ドナルド・トランプ(Donald John Trump)大統領は、今までと少し違う大統領だから、その辺の不安は、確かにあると思う」

と指摘しました。
大学生だった1978年、柏崎市内で、当時交際していた奥土祐木子さんと一緒に北朝鮮に拉致された蓮池さん。
24年間に及ぶ北朝鮮での不自由な生活の末、2002年10月、帰国しました。
あれから、2017年で15年。
FNNは、今回、蓮池さんに最新の北朝鮮の映像を見てもらいました。
まず見てもらったのは、金正恩キム・ジョンウン)委員長の指示で、わずか1年で完成させたという高層マンション群。
竣工(しゅんこう)式では、海外メディアの前に正恩氏自らが姿を現し、1人でテープカットをしました。
蓮池さんは、

「ケチをつけるわけではないが、内部が、内装がきっちりできて、マンションなら、人がきっちり住めるようになっているのか、事務所なら、仕事が始められるような状況になっているのかは、わからない」

と語りました。
蓮池さんは、全ての部屋が内装まで完成しているかはわからないといいます。
実際、マンション内部は、北朝鮮を訪れていた海外のメディアには公開されませんでした。
続いて見てもらったのは、ちょうど1週間前に行われた金日成(キム・イルソン)主席の生誕105年を祝った軍事パレード。
新型ミサイルや特殊部隊等を次々に公開しました。
市民は、「われわれの立場は明白だ。報復には報復で、全面戦争には全面戦争でやり返す」、「怖くない。ミサイルは、われらの力を見せつけることになる」等と語っていました。
蓮池さんは、この市民のインタビューについて、

「本当にみんなが、もう大丈夫なんだ。戦争が起きても大丈夫なんだと思っているかという、それは別問題だと、わたしは思います」

と語りました。
蓮池さんは、本音と建前は違うと指摘。
それは、北朝鮮で暮らした体験からの言葉でした。
蓮池さんは、

「わたしは現に1994年、クリントン大統領が空爆するという時期に非常に緊張した。いつ戦争が起きるかわからないという状況だった」

と語りました。
1994年、北朝鮮の核開発を察知したアメリカのビル・クリントン(Bill Clinton)政権は、北朝鮮への空爆を計画。
当時、北朝鮮内部では、本当にアメリカと戦争をするのか、緊迫した状況だったということです。
蓮池さんは、

「防空のための灯火規制、昔、日本でもあった、あれですよ。北朝鮮では、黒いカーテンを閉め切って、そこから絶対(光が)漏れないように。みんな、不安そうな顔をしているのを目の当たりにしましたし、わたし自身、子どものことを考えた時に、このまま生き別れになるのではないかと、本当に恐怖を感じていた」

と語りました。
アメリカが空爆を計画した1994年と、現在の状況は似ているという蓮池さん。
一方、緊張状態が続くことで拉致問題の解決にも影響があると、蓮池さんは感じています。
蓮池さんは、

「(拉致問題の解決が)難しくなっているのは事実だとは思う。この大事な時に、核・ミサイルで埋もれてしまったら大変だなと。(拉致被害者は)どんなに不安だと思いますか? その恐怖に近い思い...、恐怖でしょう。そういう恐怖の中で、日々生きていらっしゃる。これはもう、救出しなきゃならない」

と語りました。
拉致問題めぐる交渉が暗礁に乗り上げる中、家族会は3月、新たな提案をしました。
これまですべきでないとしていた、拉致問題解決の際の北朝鮮側への見返りを、条件つきで容認する考えを示したのです。
蓮池さんは、

「交渉ですから、ギブ・アンド・テークになる。向こう(北朝鮮)が拉致問題(被害者)を帰してもらえば、日本は何か見返りを、経済的なものとして、核・ミサイルにつながらない支援、協力も考えていくべきだと、わたしは思っています」

と語りました。
核やミサイル開発につながらないものなら、見返りを与えてもやむを得ないと話す蓮池さん。
拉致被害者の家族が高齢化する中、拉致問題が1日も早く解決するよう願い、今も講演活動等を続けています。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
長野県警HP
http://www.pref.nagano.lg.jp/police/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be



◆昭和53(1978)年7月31日
アベック拉致容疑事案
被害者:蓮池 薫さん(Kaoru Hasuike)
(拉致被害時20歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:蓮池祐木子さん(旧姓奥土)(Yukiko Hasuike)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
蓮池さんは「ちょっと出かける。すぐ帰る」と言って外出したまま失踪。同様に奥土さんも外出したまま失踪。
2人は昭和55年に結婚。平成14年10月に日本に帰国。
娘1人と息子1人は平成16年5月に帰国。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称チェ・スンチョルについて平成18年2月に、また、共犯者である自称韓明一(ハン・ミョンイル)こと通称ハン・クムニョン及び通称キム・ナムジンについて平成19年2月にそれぞれ逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/

[July 31, 1978: Couple abducted]

Abductees: Kaoru Hasuike (20, male, Niigata Prefecture), Yukiko Hasuike (nee Okudo, 22, female, Niigata Prefecture)
Mr. Hasuike disappeared after saying that he was going out and would be back soon. Ms. Okuda also disappeared after saying that she was going out.
The two married in 1980 and returned to Japan in October 2002. Their son and daughter arrived in Japan in May 2006.
The Japanese authorities issued an arrest warrant in February 2006 for a person known as Choi Sun-Chol, a North Korean agent believed to be responsible for their abductions, and in February 2007 also issued an arrest warrant for Han Myeong-Il (a.k.a. Han Geum-Nyeong) and Kim Nam-Jin, believed to be co-conspirators in these abductions. All have been listed with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite them to Japan.

《特定失踪者・中塚節子さんについて》
◆氏名:中塚 節子
(なかつかせつこ)
(Setsuko Nakatsuka)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年6月16日
◆生年月日:昭和20(1945)年6月5日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:東京都文京区
◆当時の身分:印刷会社勤務
◆身長:155cm~158cm
◆特徴:
1)色白
2)富士額
◆失踪場所:東京都文京区の会社の近く

【失踪状況】
仕事を終えて「ちょっと出かけてくる」と同僚の男性と小銭を持ってサンダル履きで出かけたまま行方不明。
おやつでも買いに出た感じだったという。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・白鳥英敏さんについて》
◆氏名:白鳥 英敏
(しろとりひでとし)
(Hidetoshi Shirotori)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年7月
◆生年月日:昭和24(1949)年10月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:長野県松本市
◆当時の身分:信州大学農学部1年
◆身長:165cm~170cm
◆体重:60kg~65kg
◆失踪場所:長野県松本市の下宿先から

【失踪状況】
松本市の下宿先より行方不明。
家主が毎日、下宿から出かけるとき、帰ったときに声をかけていたが、本人が入院中のため留守で、いつごろからいなくなったのか分からない。
退院してきていなくなったのではないかと、家主から家族に連絡があった。
家族が大学に行き調べた結果、7月中旬頃大学の図書館で見かけた人がいることが分かった。
父宛ての最後のはがき(昭和44年6月25日付)では、学生紛争中ではあるが少しはクラスで勉強したり、クラブでコロナ観測所に行くこと、6月30日の夕方に帰ること等が書いてあった。
学生運動に熱中している様子もなく、家出する理由もない。
部屋の中も暮していたままで食事のあとがそのままで、食器も洗わずに置いてあった。

《特定失踪者・小宮山広明さんについて》
◆氏名:小宮山 広明
(こみやまひろあき)
(Hiroaki Komiyama)
◆失踪年月日:平成7(1995)年6月19日
◆生年月日:昭和39(1964)年11月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:長野県坂城町
◆当時の身分:工場勤務
◆身長:167cm
◆体重:60kg
◆特徴:左ひじに手術痕
◆失踪場所:長野県埴科郡坂城町

【失踪状況】
平成7年6月19日、車両で自宅を出た後、行方不明。
詳細不明。
当日他の家族は家にいなかった。

《特定失踪者・菊地寛史さんについて》
◆氏名:菊地 寛史
(きくちひろし)
(Hiroshi Kikuchi)
◆失踪年月日:平成10(1998)年4月5日
◆生年月日:昭和52(1977)年11月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:長野県佐久市
◆当時の身分:自動車会社勤務
◆身長:166cm
◆体重:56kg
◆失踪場所:研修の宿泊施設(長野県長野市サイクリングターミナル)

【失踪状況】
新人研修中に寮から行方不明。
4月5日、宿泊部屋が一緒だった同僚に「ジュースを買ってきてくれ」と頼み、同僚がジュースを買って部屋に戻るといなくなっていた。
荷物、免許証、財布、スーツ、靴等も残したままだった。
平成10年~13年くらいまでの間に時々数回だけ鳴って切れる電話があった。
そのほとんどが非通知だった。こちらが出たとたんに切れる電話もあった。
平成15年くらいからは、ほとんどそれも無くなった。

《特定失踪者・渋谷浩邦さんについて》
◆氏名:渋谷 浩邦
(しぶやひろくに)
(Hirokuni Shibuya)
◆失踪年月日:平成10(1998)年8月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年3月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆当時の住所:神奈川県厚木市
◆当時の身分:県庁職員
◆身長:168cm
◆特徴:
1)太り気味
2)むち打ちで寒いと痛みが出る
3)趣味は山とスキー、全国の山を登っている
◆失踪場所:長野県白馬山中

【失踪状況】
8月2日、「5日夜か6日の朝に帰宅する」と言い残して長野県白馬に登山に出かける。失踪当日午後1時頃、「大町市の黒部観光ホテルに着いたので、これから山に行く」と電話があった。
白馬山荘に2泊し、4日の朝5時頃1人で出たが、方角は不明。車でホテルまで行き、荷物を預けて、そこからバスで乗ったのをホテルの客が見ている。
5日、ホテルから自宅に電話が入る。
平成11年3月頃までヘリを何回かとばして捜す。車の中には着替えたものがあった。
預金が引き出された形跡なし。
失踪した年の暮れ頃から平成13年まで無言電話や不審な電話あり。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.