【みんな生きている】横田めぐみさん[新潟市]/NKT
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!「取り返して」めぐみさんの母、切実な思い》
横田めぐみさんが拉致されてから39年となる11月15日、新潟市の市民芸術文化会館で開かれた集会にめぐみさんの両親が神奈川県川崎市の自宅マンションから中継で参加しました。
母・早紀江さんは政府に対し、
「拉致されたのが自分の子どもだったらどうするだろうという思いで、拉致被害者を取り返していただきたい」
と切実な思いを語りました。
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■鳥取県警HP
http://www.pref.tottori.lg.jp/police/
■島根県警HP
http://www.pref.shimane.lg.jp/police/
■瀬戸内しおかぜの会ブログ
http://setouchishiokaze.blog.fc2.com/
■瀬戸内しおかぜの会facebook
http://ja-jp.facebook.com/setoshio
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
[松本京子さん生存情報]
北朝鮮に拉致された鳥取県米子市の松本京子さんが、視力低下等のため現在、平壌で入院しているという情報があることがわかりました。
これは韓国の拉致被害者家族でつくる団体「拉北家族会」の崔成龍(チェ・ソンヨン)代表が明らかにしたものです。
崔代表が平壌の消息筋から得た情報によると、拉致被害者の松本京子さんが、視力の極端な低下と痛風により、現在、首都・平壌の朝鮮赤十字総合病院に入院しているということです。
崔代表は、これまでにも、松本さんが金正恩(キム・ジョンウン)委員長の指示で2011年に、北朝鮮の北東部・咸鏡北道清津市から平壌に移住させられたと指摘していました。
また、崔代表は横田めぐみさんの元夫である金英男(キム・ヨンナム)氏が、松本さんたち日本の拉致被害者の管理を担当している国家保衛部等の当局に助言する等関与しているとしました。
◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)
(拉致被害時13歳)
※This person was Abduction by North Korea
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。
※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者・横田めぐみさんの弟)
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
■あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp
◆昭和52(1977)年10月21日
女性拉致容疑事案
被害者:松本京子さん(Kyouko Matsumoto)
(拉致被害時29歳)
※This person was Abduction by North Korea
自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において、我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において、北朝鮮側より、北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成18年11月に松本京子さんが拉致認定されて以降政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■鳥取県警HP
http://www.pref.tottori.lg.jp/police/
《特定失踪者・古都瑞子さんについて》
◆氏名:古都 瑞子(ふるいちみずこ)
(Mizuko Furuichi)
◆通称:古都 洋子
(ふるいちようこ)
(Youko Furuichi)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月14日
◆生年月日:昭和5(1930)年4月8日
◆性別:女性
◆当時の年齢:47歳
◆当時の住所:鳥取県米子市
◆当時の身分:皆生温泉の中居
◆身長:148cm
◆体重:45kg
◆特徴:色白で面長
◆靴のサイズ:23.5cm
◆失踪場所:鳥取県米子市皆生温泉街またはその周辺
【失踪状況】
午後9時に旅館での仕事を終え一時帰宅。
その後普段着に着替え出かける。
自宅には近く東京へ行く切符や、ハンドバッグ、現金、常に持ち歩いていたポケベルも置いたまま。
北朝鮮から脱北した元踊子による目撃証言がある。
平成19年8月21日、米子警察署に告発状を提出。
《特定失踪者・広田公一さんについて》
◆氏名:広田 公一
(ひろたこういち)
(Kouichi Hirota)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年7月21日
◆生年月日:昭和29(1954)年1月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:兵庫県尼崎市武庫元町
◆当時の身分:団体職員
◆身長:173cm
◆失踪場所:鳥取県大山
【失踪状況】
鳥取県大山登山に一人で出かけ、車は大山登山口南川原駐車場に停めたまま失踪。
車に午後6時20分到着のメモを残す。
車内で仮眠したものとして米子警察遭難救助隊が捜索を1週間続けるが手がかりなし。
警察犬は大山寺経堂まで行くがそこからは進まなかった。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
《特定失踪者・矢倉富康さんについて》
◆氏名:矢倉 富康
(やくらとみやす)
(Tomiyasu Yakura)
◆失踪年月日:昭和63(1988)年8月2日
◆生年月日:昭和26(1951)年11月23日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆当時の住所:鳥取県米子市
◆当時の身分:漁師(元エンジニア)
◆身長:165cm~170cmくらい
◆失踪場所:鳥取県美保関と隠岐島の中間地点で漁をする予定だった
【失踪状況】
一人で漁に出発して翌3日朝6時に帰港する予定だったが行方不明。
海上保安庁と漁業組合全員が操業を中止して操業海域を捜索したが手がかりなし。
8月10日に海上保安庁が竹島沖南南東25kmで漁船を発見したが、本人の姿はなかった。
左舷前方に他の船と衝突した痕跡があり、青い塗料が付着していた。
昭和59年まで軍事転用可能な精密工作機械を製作していた優秀なエンジニアで、技術指導のために韓国や東欧を含む欧米などへも頻繁に出張していた。
《特定失踪者・上田英司さんについて》
◆氏名:上田 英司
(うえだえいじ)
(Eiji Ueda)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年11月4日
◆生年月日:昭和24(1949)年7月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:東京都渋谷区
◆当時の身分:予備校生でアルバイト勤務
◆身長:175cm
◆鳥取県西伯郡伯耆町出身
◆特徴:読書が趣味
◆失踪場所:東京都または京都府
【失踪状況】
失踪当日「京都へ行ってくる」と家主に言い残して東京都内の下宿を出て行ったまま行方不明に。
黒いコートを着て、荷物は紙袋一つだったという。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.
横田めぐみさんが拉致されてから39年となる11月15日、新潟市の市民芸術文化会館で開かれた集会にめぐみさんの両親が神奈川県川崎市の自宅マンションから中継で参加しました。
母・早紀江さんは政府に対し、
「拉致されたのが自分の子どもだったらどうするだろうという思いで、拉致被害者を取り返していただきたい」
と切実な思いを語りました。
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■鳥取県警HP
http://www.pref.tottori.lg.jp/police/
■島根県警HP
http://www.pref.shimane.lg.jp/police/
■瀬戸内しおかぜの会ブログ
http://setouchishiokaze.blog.fc2.com/
■瀬戸内しおかぜの会facebook
http://ja-jp.facebook.com/setoshio
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
[松本京子さん生存情報]
北朝鮮に拉致された鳥取県米子市の松本京子さんが、視力低下等のため現在、平壌で入院しているという情報があることがわかりました。
これは韓国の拉致被害者家族でつくる団体「拉北家族会」の崔成龍(チェ・ソンヨン)代表が明らかにしたものです。
崔代表が平壌の消息筋から得た情報によると、拉致被害者の松本京子さんが、視力の極端な低下と痛風により、現在、首都・平壌の朝鮮赤十字総合病院に入院しているということです。
崔代表は、これまでにも、松本さんが金正恩(キム・ジョンウン)委員長の指示で2011年に、北朝鮮の北東部・咸鏡北道清津市から平壌に移住させられたと指摘していました。
また、崔代表は横田めぐみさんの元夫である金英男(キム・ヨンナム)氏が、松本さんたち日本の拉致被害者の管理を担当している国家保衛部等の当局に助言する等関与しているとしました。
◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)
(拉致被害時13歳)
※This person was Abduction by North Korea
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。
※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者・横田めぐみさんの弟)
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
■あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp
◆昭和52(1977)年10月21日
女性拉致容疑事案
被害者:松本京子さん(Kyouko Matsumoto)
(拉致被害時29歳)
※This person was Abduction by North Korea
自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において、我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において、北朝鮮側より、北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成18年11月に松本京子さんが拉致認定されて以降政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■鳥取県警HP
http://www.pref.tottori.lg.jp/police/
《特定失踪者・古都瑞子さんについて》
◆氏名:古都 瑞子(ふるいちみずこ)
(Mizuko Furuichi)
◆通称:古都 洋子
(ふるいちようこ)
(Youko Furuichi)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月14日
◆生年月日:昭和5(1930)年4月8日
◆性別:女性
◆当時の年齢:47歳
◆当時の住所:鳥取県米子市
◆当時の身分:皆生温泉の中居
◆身長:148cm
◆体重:45kg
◆特徴:色白で面長
◆靴のサイズ:23.5cm
◆失踪場所:鳥取県米子市皆生温泉街またはその周辺
【失踪状況】
午後9時に旅館での仕事を終え一時帰宅。
その後普段着に着替え出かける。
自宅には近く東京へ行く切符や、ハンドバッグ、現金、常に持ち歩いていたポケベルも置いたまま。
北朝鮮から脱北した元踊子による目撃証言がある。
平成19年8月21日、米子警察署に告発状を提出。
《特定失踪者・広田公一さんについて》
◆氏名:広田 公一
(ひろたこういち)
(Kouichi Hirota)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年7月21日
◆生年月日:昭和29(1954)年1月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:兵庫県尼崎市武庫元町
◆当時の身分:団体職員
◆身長:173cm
◆失踪場所:鳥取県大山
【失踪状況】
鳥取県大山登山に一人で出かけ、車は大山登山口南川原駐車場に停めたまま失踪。
車に午後6時20分到着のメモを残す。
車内で仮眠したものとして米子警察遭難救助隊が捜索を1週間続けるが手がかりなし。
警察犬は大山寺経堂まで行くがそこからは進まなかった。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
《特定失踪者・矢倉富康さんについて》
◆氏名:矢倉 富康
(やくらとみやす)
(Tomiyasu Yakura)
◆失踪年月日:昭和63(1988)年8月2日
◆生年月日:昭和26(1951)年11月23日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆当時の住所:鳥取県米子市
◆当時の身分:漁師(元エンジニア)
◆身長:165cm~170cmくらい
◆失踪場所:鳥取県美保関と隠岐島の中間地点で漁をする予定だった
【失踪状況】
一人で漁に出発して翌3日朝6時に帰港する予定だったが行方不明。
海上保安庁と漁業組合全員が操業を中止して操業海域を捜索したが手がかりなし。
8月10日に海上保安庁が竹島沖南南東25kmで漁船を発見したが、本人の姿はなかった。
左舷前方に他の船と衝突した痕跡があり、青い塗料が付着していた。
昭和59年まで軍事転用可能な精密工作機械を製作していた優秀なエンジニアで、技術指導のために韓国や東欧を含む欧米などへも頻繁に出張していた。
《特定失踪者・上田英司さんについて》
◆氏名:上田 英司
(うえだえいじ)
(Eiji Ueda)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年11月4日
◆生年月日:昭和24(1949)年7月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:東京都渋谷区
◆当時の身分:予備校生でアルバイト勤務
◆身長:175cm
◆鳥取県西伯郡伯耆町出身
◆特徴:読書が趣味
◆失踪場所:東京都または京都府
【失踪状況】
失踪当日「京都へ行ってくる」と家主に言い残して東京都内の下宿を出て行ったまま行方不明に。
黒いコートを着て、荷物は紙袋一つだったという。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.