もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(1)-1/田口八重子さん

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飯塚繁雄田口八重子さんの兄、家族会代表)

■拉致を核・ミサイルと切り離して、第一優先でやってもらいたい

この国民大集会は、今年4月に行い、今日はもう2回目になります。2回もやらなければならない理由が、この裏にたくさん隠されておりますが、今日は皆様方が、何とかこの拉致問題を早く解結しようというお気持ちで集まっていただきました。本当にありがとうございます。
この問題については、我々家族は当然ですが、あまりにも長くかかっているこの実態を相当憂いています。しかも、北朝鮮で今生きて待っている人たちは、精神的にも肉体的にも我慢の限界を越しているのではないかという思いです。
そういうことで、我々がいつも言っている「一刻でも早く」、「一日でも早く」というこの願いを、未だに続けています。その状況の中で、皆さんご存知の北朝鮮による度重なる蛮行がありました。
これは核・ミサイル・拉致という3本立ての懸案を解決するという思いがこもっているわけですが、核・ミサイルについては相当難しい問題だと私たちは理解しています。
従って時間もかかる。国際世論がぴしっとまとまり、これに対して北朝鮮が要求をきちんと実行する。そこまで待つのかという気持ちが実はあります。今かけている圧力、制裁は当然ながら必要です。
この制裁をてこにして、拉致問題を先行してできないか。私たちが考えるに、この3つの問題は、拉致と核・ミサイル問題を切り離して、先行して日本の政府として第一優先で是非やってもらいたいという思いです。
この拉致問題は日本が一番重要な課題として位置付け、それに対応する責任が当然あるわけです。そういう意味でも、また先ほど申し上げましたように、北朝鮮で待っているあの人たちの思い、あの人たちの戦いに早く応えられるような形で結果を出していただきたいと考えております。
今年もあと数か月ですが、また来年もということにならないように、是非今年中に解決のめどがつきそうだというところまででもいいので、そういう結果を出していただきたいと心から願う気持ちです。
皆様方におかれましても、この問題については相当なご理解とご支援をいただいています。そして、「早くせよ」という意気込みも強く感じられます。私たちはそれに支えられて、それを糧に頑張るつもりです。
家族もかなり歳をとってまいってきています。そういうことからしても、何としてもここで、国として、総理大臣から「この問題は必ず解決するぞ。被害者を帰国させるぞ」という強い意思表示をいただき、それにベクトルを合わせて我々国民も、それぞれの官庁、自治体、議会、すべてがそれに向かって突き進んでいくような形を作っていただきたいと考えています。
今後とも、健康である限り頑張っていきますので、ご支援を宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)
大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.