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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(6)/松原 仁編

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松原 仁(民進党拉致問題対策本部長代行、元拉致問題担当大臣拉致議連幹事
長)

■まずストックホルム合意を破棄せよ

私は、今政府がやるべきことは、一義的にストックホルム合意を破棄することだと思っています。一番問題は何かと言えば、この合意がなされた時に、極めてこれはおかしい、これでは拉致問題は解決しないのではないかという声が、家族会や救う会、そして議連の中からも上がりました。
その内容も極めて問題で、拉致・核・ミサイルについて当然我々は言っているわけですが、いわゆる日本人妻の問題や骨の問題が一緒に並んでいる。これ自体が、まったくもって拉致問題の本質をすりかえる議論のもとになるのではないかという危機感を多くの同志が持ったのは当然です。
しかもこのストックホルム合意がなされてからこれまでの時間の経過の中で、相手は特別の調査委員会を作ると言いますが、作る必要なんかないんです。初めから分かっているんです。作ると言うならば、死んだ人が生きていたというためのレトリックとしては必要だろう。
しかし、それを止めるという馬鹿げた茶番劇にこれ以上付き合う必要はないということです。我々は怒っているんだということが、どのようにしてあの国に伝わるのかということがポイントです。
もちろん皆さんがこうやって砂防会館に集まり、怒りを出すのは大変重要なことですが、少なくとも政治の世界においてこのストックホルム合意を破棄しない限りにおいては、私は日本が本気で怒っていると北朝鮮は考えないのではないかと思っています。
従って私は、ストックホルム合意を破棄してほしいということを、かねてから言っているわけです。その上で、ストックホルム合意を作ったのは誰なのか。もちろん内閣全体という話です。しかし、その中心にあるのは、一貫して外務省であるのを我々は承知しています。
中山恭子さんも言っていますが、外務省ではなく違うところが、本気で、命がけで専門的にこれをやって解決することでなければ、私は外務省もいいことをやっていると思います。
しかし、拉致においては、私は外務省が前面に出ている限り、北朝鮮がどこまでこの問題に向き合う気があるのか極めて疑問を感じています。そういうことを含めると、まずストックホルム合意の破棄、これは外務省の面目が潰れることになるかもしれない。しかし、潰れるようなことをやってきたわけですから、政府においては、北朝鮮に対する怒りをこめてこれを破棄するところからまずスタートする。
制裁を強化することも必要かもしれませんが、怒りを伝えるためには、破棄しなければいけないと思っています。
言うまでもなく、今拉致被害者の家族の皆さんは高齢化し、本当にある意味において戻ってこられた時にお互い抱き合って迎えられるのか。そういう状況になりつつあると危惧の念を持っています。時間との戦いです。
環境的には、北朝鮮が今暴走してなかなかこの問題が簡単にいかない状況にあります。しかし、我々は北朝鮮に向かって、どういうふうなことをすれば、日本が一定の解決と見なすのかということをやらなければならない。内々加藤大臣のもとでやっていると思いますが、北朝鮮と交渉をするには具体的なそういうことを提示する必要がある。


■週に1度はテレビで拉致問題を扱え

私は自分の拉致担当大臣時代から言っていましたが、それを提示しながら具体的なアクション・プログラムを作っていくことが必要だと思います。同時に、拉致問題の風化ということが言われている中で、北朝鮮拉致問題が風化してしまうのを待っているわけです。風化しないことを示すために、私は加藤大臣にご理解をいただいて、拉致問題を恒常的に、例えばテレビ等で週1回扱うというようなことをやって、常に北朝鮮に対しメディアを通しての圧迫も必要ではないかと思います。
こういうことをやっていく中で、我々が本気で怒っている、真剣であるということが北朝鮮に伝わる。今のタイミングは北朝鮮が暴走していますが、そういうことを通して拉致問題に真摯に向き合うことになると思っています。
北朝鮮に対しては私は怒りを持っていますが、この場にいる加藤大臣にご理解をいただきながら、ストックホルム合意を止めることから我々はキック・オフして、これからの若干の時間の中で、全力で時間との戦いをすべきだと思っています。
私もそういうことであれば、全力で支援をしていきたいと思っています。
ともに頑張りましょう。
終わります。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆身長:180cm
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.