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【みんな生きている】小池百合子編[朝鮮学校]/ITC

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《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!「朝鮮学校調査報告書」再掲載を指示 小池都知事「大切な資料」》

朝鮮学校朝鮮総連の強い影響下にある」等とする東京都の調査報告書について、小池百合子知事が都のウェブサイトに再び掲載するよう、指示していたことがわかりました。
朝鮮学校調査報告書」は、都内で朝鮮学校を設置・運営する「東京朝鮮学園」の教育実態等について東京都がまとめたもので、「朝鮮学校朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容や学校運営について、強い影響を受ける状況にある」等としています。
2013年から東京都のウェブサイトに掲載されたあと、リニューアルにともない2016年2月に削除されていましたが、小池知事の指示を受け、9月2日に再び掲載されました。
小池知事は

「大切な資料ということで、再掲載したということです」

と述べました。
また、朝鮮学校への補助金について、小池知事は、引き続き支給しない方針を明らかにしました。

※「朝鮮学校の教科書は一切秘密なんです。それを萩原 遼さんが何とか入手して日本語に翻訳した。そうしたら朝鮮学校の中で(萩原さんに教科書を渡した)犯人探しが始まった。教科書を知られちゃいけないなんて、こんなの学校じゃありません。秘密結社です」
(西岡 力・救う会会長)
※「朝鮮学校では朝鮮総連幹部や職員の子供が学費を免除されている。また、特待生制度があり、勉学はもちろん、スポーツや上(幹部)に忠実等の理由で無料で朝鮮大学校まで行ける」
(萩原 遼さん)

■東京都HP
http://www.metro.tokyo.jp/
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015



◆昭和52(1977)年9月19日
宇出津(うしつ)事件
被害者:久米 裕さん(Yutaka Kume)
(拉致被害時52歳)
※This person was Abduction by North Korea
石川県宇出津海岸付近にて失踪。
北朝鮮側は、久米さんの入境を完全否認している。
捜査当局は主犯格である北朝鮮工作員、金世鎬(キム・セホ)について、平成15年1月逮捕状の発付を得て国際手配しており、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
平成18年2月の日・朝包括並行協議では、北朝鮮側は、金世鎬について「かかる人物は承知していない」としつつ、我が方からの関連情報提供を前提に、同人特定のための調査を行う旨回答している。
石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

《特定失踪者・明石靖彦さんについて》
◆氏名:明石 靖彦
(あかいしやすひこ)
(Yasuhiko Akaishi)
◆失踪年月日:昭和50(1975)年5月18日
◆生年月日:昭和35(1960)年6月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:14歳
◆当時の住所:石川県珠洲市蛸島
◆当時の身分:中学3年生
◆身長:165cmくらい
◆体重:55kgくらい
◆血液型:B型
◆失踪場所:石川県珠洲市蛸島町鉢ヶ崎海水浴場付近

【失踪状況】
朝、「すぐ帰る」と言って自転車で出たまま帰宅せず。
鉢ヶ崎海水浴場付近で自転車が発見され、沖合にボートが浮いていてその中に靖彦さんの草履と靴下があった。
ボートは倉庫に保管されていたもの。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による明石靖彦さん失踪事件の解説】
北朝鮮の拉致を疑わせる事案には度々変な遺留品が登場します。例えば昭和50年(1975)に失踪した明石靖彦さんのケース。失踪後海上で発見されたボートの中に本人の遺留品がありました。
当時町内会長で捜索に当たった方からお話しを伺いましたが、ボートの中には本人の草履と海水パンツがあったとのこと。前の記録は草履と靴下だったので、他の証言と合わせ明石さんの件については他のことも含め今回入手した情報とこれまであった情報を突き合わせなければなりませんが、海水パンツだったとすれば5月18日の能登で海水浴をするはずもなく、海水パンツを脱いで海に飛び込むとも思えません。最初の情報の靴下だったとしても靴下を履いた上に草履を履くとも思えません。どちらにしても不自然です。
これらは本人が海難事故で死亡したことを偽装するためのものである可能性があります。山本美保さんや秋田美輪さんの海岸に落ちていたバッグも本人が自殺したように見せかけるものでしょう。
しかし、何か頓珍漢なところが北朝鮮のやることです。「いちおうマニュアルでは『偽装工作をせよ』と書いてあるが、何人拉致しても何もしてこないんだから、とりあえず何か置いとけば良いだろう」といういいかげんなやり方だったのではないか。そんな気がしてしかたありません。

《特定失踪者・七條 一さんについて》
◆氏名:七條 一
(しちじょうはじめ)
(Hajime Shichijou)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月10日
◆生年月日:昭和23(1948)年8月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:東京都杉並区方南町1-24-12 三枝アパート
◆当時の身分:明治大学政経学部政治学科3年生
◆身長:165cm
◆靴のサイズ:24.5cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)右利き
3)眼鏡着用
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:石川県金沢市

【失踪状況】
北陸方面を旅行。
8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市ユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。
9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市ユースホステルに再度宿泊。
10日朝出発し、以後消息不明。
「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。
2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。
事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
徳島県警HP
http://www.police.pref.tokushima.jp/

《特定失踪者・安達俊之さんについて》
◆氏名:安達 俊之
(あだちとしゆき)
(Toshiyuki Adachi)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年6月20日
◆生年月日:昭和38(1963)年1月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:石川県白山市
◆当時の身分:会社員(金沢国際ホテル)
◆身長:168cm
◆特徴:中肉中背
◆失踪場所:石川県石川郡鶴来町の友人宅を出てから

【失踪状況】
失踪当日、車で母親を歯医者に送りそのまま出勤。午後6時頃、同僚の女性とともに友人宅を訪れるが、友人は不在で家人が対応。
その後午後7時~7時半の間、別の友人が白山町交差点で助手席に女性を乗せている俊之さんの車とすれ違ったのが最後の目撃情報。
その日は帰ってこなかったが、それまでも2~3日家を留守にすることがあったので両親も特段気にとめなかったが、22日か23日に勤務先から無断欠勤しているという連絡があって失踪に気づいた。
通帳も印鑑も持たず、まとまった金銭も持っていない。自動車も見つかっていない。
28日夕方、自宅に電話があり、「俊之つかまっているよ」との内容。幼い女の子のようなたどたどしい言葉だった。
その10分後にも無言電話があった。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.