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【みんな生きている】田口八重子さん[訪米]/FNN

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《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!拉致被害者家族、アメリカでシンポジウム出席 早期救出訴え》

北朝鮮による拉致被害者の家族たちが5月2日、アメリカ・ワシントンで、被害者の早期帰国に向けた協力をあらためて呼びかけました。
田口八重子さんの長男・飯塚耕一郎さんは、

拉致問題は、これ以上、時間をかけていい問題ではないのです。全ての拉致被害者が、いち早く祖国に帰れるよう、ご協力をお願いします」

と述べました。
田口八重子さんの長男・飯塚耕一郎さんと加藤勝信拉致問題担当相たちは2日、ワシントンで行われた北朝鮮の人権問題に関するシンポジウムで講演しました。
その中で、加藤拉致問題担当相は、

「国際社会からの圧力で、北朝鮮を対話の場に引っ張り出していくことが必要だ」

と強調しました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015

[集会のお知らせ]
北朝鮮人権侵害問題啓発集会&国民大行進in九州」
◆日 時:平成28年6月5日13:00~
◆場 所:福岡市役所15階講堂
福岡市中央区天神1-8-1
http://www.city.fukuoka.lg.jp/
◆参加費:無 料
◆登 壇:家族会より飯塚繁雄代表他5名参加予定。救う会全国協議会の西岡 力会長も参加予定です。
◆主 催:北朝鮮に拉致された日本人を救出する九州連絡協議会
◆後 援:福岡県、福岡市、佐賀県鳥栖市熊本県長崎県大分県、宮崎県、日本会議福岡ほか多数予定



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(Yaeko Taguchi)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

《特定失踪者・古川了子さんについて》
◆氏名:古川 了子
(ふるかわのりこ)
(Noriko Furukawa)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月7日
◆生年月日:昭和30(1955)年1月1日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:千葉県市原市菊間
◆当時の身分:三井造船社員
◆身長:157cmくらい
◆血液型:B型
◆特徴:
1)中学時代水泳部、高校では卓球部部長。
2)書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。
3)左利き。文字を書くのは左右同じに使える。
4)左眉に途切れたような傷がある。
◆失踪場所:千葉県

【失踪状況】
午前中に美容院へ行き、午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。
朝早く家を出て、美容院に「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができた。母親にも浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。
母親は美容院からの電話で、友達にでも会うことになったのだろうと気にしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。
7月に初めて貰ったボーナスは手付かず、預金通帳も置いたまま。
持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。
その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。
北朝鮮工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1991年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。
平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。
平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。
千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
■古川了子さんを救う会HP
http://2.furukawanoriko.michikusa.jp/

《特定失踪者・加瀬テル子さんについて》
◆氏名:加瀬 テル子
(かせてるこ)
(Teruko Kase)
◆失踪年月日:昭和37(1962)年4月
◆生年月日:昭和19(1944)年5月4日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:千葉県旭市蛇園
◆当時の身分:家事手伝い
◆身長:158cm
◆血液型:O型
◆特徴:
1)細面
2)右目下内側に赤あざ有り
◆失踪場所:千葉県海上郡海上

【失踪状況】
午後、自宅からパーマに出かけてそのまま行方不明。
所持金はパーマ代のみ。
翌日に新宿コマ劇場へ観劇に行く約束を叔母としていた。
脱北者北朝鮮から持ちだしたとされる写真が鑑定の結果、加瀬テル子さんである可能性が極めて高いことが判明。
また同じ脱北者が「同一の人物」とするもう一枚の写真も、加瀬テル子さんである可能性がある。
平成16年12月17日、千葉県警に告発状提出。
千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/

《特定失踪者・関谷俊子さんについて》
◆氏名:関谷 俊子
(せきやとしこ)
(Toshiko Sekiya)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日
◆生年月日:昭和32(1957)年5月19日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:千葉県市原市徳氏
◆当時の身分:薬品会社勤務。定時制高校在学中
◆身長:160cm
◆血液型:A型またはO型
◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】
親類の男性と幼馴染の同級生(女性)と千葉市内の飲食店で飲食後、親類の男性が「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。
店の従業員は男性の兄と妹。
男性の乗っていた車も発見されていない。
関谷さんは古川了子さん(昭和48年失踪)と同じ高校で3学年下。
古川事件の1年後の同じ7月の失踪。
千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

《特定失踪者・原 哲也さんについて》
◆氏名:原 哲也
(はらてつや)
(Tetsuya Hara)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年3月
◆生年月日:昭和37(1962)年5月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:東京都江戸川区小岩
◆当時の身分:無職(食品会社を退職した直後)
◆身長:158cm
◆体重:42kg
◆血液型:O型
◆特徴:
1)喫煙飲酒少々
2)胸に縦10cm位のキズあり
3)前腕部に骨折痕
4)左足の太ももに手のひら大のおできの痕
◆失踪場所:沖縄県。東京都江戸川区に居住。

【失踪状況】
3月初め、友人と二人で沖縄に行き、知人宅に寄った後、消息不明。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.