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【みんな生きている】林 雅俊さん/NHK[岐阜]

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《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!北朝鮮が調査中止で行方不明者家族は》

北朝鮮は2月12日夜、拉致被害者を含む日本人の行方不明者の調査を全面的に中止し、調査を行う「特別調査委員会」を解体すると発表しました。
北朝鮮に拉致された可能性を排除できないとされる岐阜県出身の失踪者の父親は「調査に望みを持っていたので本当に残念です。」とショックを隠しきれない様子でした。
北朝鮮は12日夜、朝鮮中央テレビ等国営メディアを通じて、日本政府が核実験や事実上の長距離弾道ミサイルの発射を強行した北朝鮮に対し、独自の制裁措置を決めたことを非難した上で、

拉致被害者を含む日本人行方不明者の調査を全面的に中止
▼調査にあたる特別調査委員会を解体

を一方的に発表しました。
これを受けて、北朝鮮に拉致された可能性が排除できないとされる岐阜県垂井町出身の林 雅俊さんの父親・俊雄(69歳)さんは13日、取材に応じ、

「特別調査委員会の発足で本当に息子が帰ってくるのではないかと期待していたので残念の一言です」

とショックを隠しきれない様子でした。
そして

「これで諦めたら北朝鮮の思うつぼなので政府には今まで以上に粘り強く交渉してほしい。そして、いつか息子が帰ってくることを待つしかないです」

と話しました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
岐阜県警HP
http://www.pref.gifu.lg.jp/police/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015



《特定失踪者・林 雅俊さんについて》
◆氏名:林 雅俊
(はやしまさとし)
◆失踪年月日:平成10(1998)年5月12日
◆生年月日:昭和50(1975)年1月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:岐阜県不破郡垂井町
◆当時の身分:岐阜大学大学院生(土木科)
◆身長:169cm
◆体重:50kg
◆失踪場所:福井県丹生郡越前町梅浦の海岸

【失踪状況】
午前9時頃いつもどおりに大学へ車で向かった。22時30分に大学の指導スタッフと別れる。
この日の夜は帰宅しなかった。
それまでも卒論などで朝帰りや泊まり込みがあったので帰宅しなくても不思議ではなかった。
5月13日福井県越前町の海岸に車が止まっているとの電話が四ケ浦駐在所から自宅にある。
車は海岸の釣り場に下りて行くところ(本人は釣りはやらない)で、下りて行く道を塞いだように停まっていた。当日早朝から止めてあった模様。
ドアはロックしてあり、中にパソコン、財布、免許証などすべて置いてあった。座席のリクライニングは倒れていた。
パソコンには次のようなメッセージが残されていた。

[いやあ、もう疲れちゃったよ
少し道をはずしてしまったような気がする
何も考えずにここまできてしまった
このままゼネコンへ入ったとしてもやっていく自信はぜんぜんありません
修論も考えるとぞっとします
今までさんざんわがまま言ってごめんね
先生にもよろしく
このパソコンは○○さんにあげます
本当にすんません]

メッセージの残された時間は13日午前2時04分だったが、友人の証言や多数の遺書を見てきた川人 博弁護士の見解など、本人のものでない可能性が少なくない。
その後無言電話が1~2カ月間続いた。
1回女性の声で「雅俊さんいませんか」という電話があった。
車が置いてあった場所は山下 貢さんの車が置いてあった場所(通称・よびかけ地蔵)から直線距離で10キロほどのところで、置かれていた状況も類似している。
また、北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
福井県警HP
http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・塚腰義正さんについて》
◆氏名:塚腰 義正
(つかごしよしまさ)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年11月
◆生年月日:昭和24(1949)年8月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:東京都国分寺市
◆当時の身分:大学生(東京経済大学3年生)
◆身長:163cm
◆体重:58kg
◆特徴:
1)髪はくせ毛
2)左足の甲と脛に2歳の時の火傷の痕がある
◆失踪場所:パキスタン・クエッタか?

【失踪状況】
同年6月、東京を出発して東南アジア一周を目指し1人で旅に出る。
フィンランド、西ドイツ、フランス、イタリア、トルコ、イランなど20カ国を廻り、パキスタン1973年11月8日付の便りを最後に消息を絶つ。
予定ではパキスタン、インド、タイ、ベトナムシンガポールを経て1974年1月に帰国すると便りにあった。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・尾方 晃さんについて》
◆氏名:尾方 晃
(おがたあきら)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年2月14日
◆生年月日:昭和30(1950)年12月12日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:京都市北区
◆当時の身分:立命館大学学生
◆身長:168cm
◆体重:65kg
◆特徴:
1)右胸部と右背中に右胸部にリンパ腺炎の縦型の手術跡あり
2)右手中指第3関節の骨が突起している
◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】
京都市北区の下宿先から失踪。
直前の正月には郷里の岐阜に帰省した。
その後アルバイト先から実家に「アルバイト代を払いたいが、家へ帰っていないか」と電話。
家族が下宿先に行くと、荷物やお金がそのまま残されていた。
2月13日に預金を引き出した形跡がある。
京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。