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【みんな生きている】横田めぐみさん/HBC

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《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!横田めぐみさん拉致から38年、北朝鮮の写真は“不本意な表情”》

横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから11月15日で38年になります。
北朝鮮の特別調査委員会が拉致の調査を始めて1年4か月ですが、これまで北朝鮮側は、「めぐみさんは死亡した」と主張しています。しかし、横田 滋さん夫妻は、「生きている」という報告が届くことを待ち続けています。


■高齢化する拉致被害者家族

「老化現象が激しい、どちらも急に疲れ果てるし」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)
「そんなに変わらないと思います」
(横田 滋さん。拉致被害者横田めぐみさんの父)
「そう言うから余計、見ているのがしんどい」
横田早紀江さん)

横田 滋さんは14日、83歳の誕生日を迎えます。
長女・めぐみさんが北朝鮮に拉致された前日、滋さんの誕生日プレゼントに贈った「櫛」。滋さんは今も大切にしています。

「向こう(=北朝鮮)に必要な人だから、日本に帰さないのではと思ったり…」
(横田 滋さん)


■蓮池 薫さん「インチキ報告書を受け取っちゃダメだ」

先月、横田さん夫妻も足を運んだ蓮池 薫さんの講演。
蓮池さんは、

「『8人死亡』とする北朝鮮の主張は信じるに値せず、これを覆す調査報告書でなければならない」

と訴えました。

「(拉致被害者に関し北朝鮮は)“8人死亡・4人未入国”と。北朝鮮は今なお同じような報告書を出そうとしている。こういった報告書は絶対受け取ってはならない」
(蓮池 薫さん)

そして、横田さん夫妻も報告書を待つしかない日・朝協議の現状に苛立ちを募らせています。

「ああいう交渉的なやり方では難しい。いつまでたっても、そういう形で(報告書を)持ってきても、やっぱり前のままで『そうだった』と言われればどうにもならない。(Q.“8人死亡”と?)『(その)ままですよ』と言われたらね」
横田早紀江さん)


■「写真のめぐみは本当のめぐみではない」

北朝鮮がこれまでに公開してきた横田めぐみさんの写真。
早紀江さんはこのうち、明るい家族写真に見える1枚が「本当の自分ではない不本意な表情」と初めて明かし、北朝鮮で生きる娘の苦しみを思いやりました。

「ウンギョンちゃんが赤ちゃんの抱っこしている時の顔は、キッとした顔をして笑っているけど、本当には笑っていない。不本意な顔をしていると思った。不本意というか、『本当の自分ではない』というか、一生懸命作り笑いをしている。痩せているしね、こんな(あごが)細くて、つらい感じですね。親が見るとね」
横田早紀江さん)

13歳の少女だっためぐみさんは、もう51歳になりました。あれから38年、横田さん夫妻は

「経験した人にしかわからない年月の重さ」

と話し、娘の救出を訴え続けています。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015



◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)
(拉致被害時13歳)
※This person was Abduction by North Korea
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者横田めぐみさんの弟)
新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp

◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:石岡 亨さん(To-o-ru Ishioka)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:松木 薫さん(Kaoru Matsuki)
(拉致被害時26歳)
※This person was Abduction by North Korea
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日・朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
熊本県警HP
http://www.police.pref.kumamoto.jp/

《特定失踪者・佐賀直香さんについて》
◆氏名:佐賀 直香
(さがなおか)
(Naoka Saga)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年8月1日
◆生年月日:昭和45(1970)年3月21日
◆性別:女性
◆当時の年齢:6歳
◆当時の住所:北海道根室市
◆当時の身分:北海道根室市立北斗小学校1年生
◆特徴:左右どちらかの臀部に火傷痕がある
◆失踪場所:北海道根室市本町

【失踪状況】
昭和51(1976)年8月1日午後1時ころ、「遊びに行く」と言って自宅を出て、棒切れを持って自宅前で遊んでいる直香さんを母親が目撃したのを最後に行方不明となった。
その後近くのデパート前の道路を棒切れを持った直香さんが歩いていたのを目撃されている。
また、根室市梅ヶ枝町または緑町付近で住民から目撃されている。

《特定失踪者・武山京子さんについて》
◆氏名:武山 京子
(たけやまきょうこ)
(Kyouko Takeyama)
◆失踪年月日:平成4(1992)年6月12日
◆生年月日:昭和10(1935)年12月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:56歳
◆当時の住所:北海道札幌市清田区
◆当時の身分:会社員
◆身長:145cm
◆体重:48kg
◆特徴:
1)面長
2)左手第四指(薬指)第一関節欠損
3)第三指(中指)第二関節変形
◆失踪場所:北海道浜益郡浜益村幌と床丹の間の山林

【失踪状況】
6月12日午前8時ころ、浜益郡浜益村の通称大阪山にタケノコ採りに入り失踪。
大捜索するが遺留品は全くなし。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.