もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】横田めぐみさん/JNN

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《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!横田めぐみさん救出願い、都内で祈りの会》

北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんの母親でクリスチャンの横田早紀江さんと友人たちが、めぐみさんの救出を願って東京都内で祈りの会を開きました。

「毎晩台所に立ってあの子(=めぐみさん)がいなくなった(午後)6時半ごろに夕食の支度をするたびに、いつもあの子が歌っていた『埴生の宿』や『おぼろ月夜』を大きな声で絶叫するような声で歌いながら、涙が止まらなくて、その場に座り込んで…めぐみちゃんを帰してください、この日本の土を踏ませてください」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)

横田早紀江さんは、1977年に長女・めぐみさんを北朝鮮に拉致されて以降、新潟市内の教会の牧師の自宅で友人たちと共に聖書を学び、のちにクリスチャンになりました。
会では、最後に横田早紀江さんが作詞した曲「コスモスのように」を全員で歌い、早紀江さんは

北朝鮮は拉致された子ども達を帰すのが当然だ」

と訴えました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015



◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)
(拉致被害時13歳)
※This person was Abduction by North Korea
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者横田めぐみさんの弟)
新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp

《特定失踪者・横田道人さんについて》
◆氏名:横田 道人
(よこたみちひと)
(Michihito Yokota)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年1月27日
◆生年月日:昭和21(1946)年7月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:群馬県碓氷郡松井田町(現・群馬県安中市松井田町
◆当時の身分:会社員
◆身長:173cm
◆体重:68kg
◆失踪場所:群馬県安中市安中のバス停
【失踪状況】
群馬大学工学部応用化学科を卒業し、東邦亜鉛に入社して1年後。
当日は給料日、会社の昼休みに安中駅前郵便局に預金している。
同日残業後午後7時頃、安中市内の電器店にステレオの月賦を支払い、松井田駅行きのバスで帰宅する予定だった。
午後7時30分頃、電器店前のバス停に立っていたのを同店主が見届けたのを最後に行方不明となり、その後全く手がかりなし。
群馬県警HP
http://www.police.pref.gunma.jp/
救う会群馬HP
http://sukuukaigunma.web.fc2.com/
救う会群馬の大野事務局長のところには「めぐみにばかり税金使うんじゃねえよ」「おめえらも、税金でやってるのか」といういやがらせの電話があったそうです。名前を聞くと「北朝鮮市●●町…」とか答えたとのこと。強気の割には結構気にしている人もいるようです。
(荒木和博・特定失踪者問題調査会代表)

《特定失踪者・井上克美さんについて》
◆氏名:井上 克美
(いのうえかつよし)
(Katsuyoshi Inoue)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月29日
◆生年月日:昭和25(1950)年6月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:埼玉県蕨市群馬県前橋市出身)
◆当時の身分:電気工事店勤務
◆失踪場所:埼玉県川口市

【失踪状況】
失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店で飲み(午前0時~1時)、寿司屋で食事をしたあと友人と別れた。
当時泥酔状態。
夜帰宅しなかったので翌30日前実家に電話があり両親も知った。
妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思い電話したとのこと。
運転免許の更新もなし。
連絡も一切なし。
長男が生まれる直前だった。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
群馬県警HP
http://www.police.pref.gunma.jp/
救う会群馬HP
http://sukuukaigunma.web.fc2.com/
救う会群馬の大野事務局長のところには「めぐみにばかり税金使うんじゃねえよ」「おめえらも、税金でやってるのか」といういやがらせの電話があったそうです。名前を聞くと「北朝鮮市●●町…」とか答えたとのこと。強気の割には結構気にしている人もいるようです。
(荒木和博・特定失踪者問題調査会代表)

《特定失踪者・古川了子さんについて》
◆氏名:古川 了子
(ふるかわのりこ)
(Noriko Furukawa)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月7日
◆生年月日:昭和30(1955)年1月1日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:千葉県市原市菊間
◆当時の身分:三井造船社員
◆身長:157cmくらい
◆血液型:B型
◆特徴:
1)中学時代水泳部、高校では卓球部部長。
2)書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。
3)左利き。文字を書くのは左右同じに使える。
4)左眉に途切れたような傷がある
◆失踪場所:千葉県
【失踪状況】
午前中に美容院へ行き、午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。
朝早く家を出て、美容院に「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができた。母親にも浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。
母親は美容院からの電話で、友達にでも会うことになったのだろうと気にしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。
7月に初めて貰ったボーナスは手付かず、預金通帳も置いたまま。
持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。
その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。
北朝鮮工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1991年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。
平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。
平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。
千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/
■古川了子さんを救う会HP
http://2.furukawanoriko.michikusa.jp/

◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.