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【みんな生きている】特定失踪者・北朝鮮人権ネットワーク編/OTV

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!北朝鮮拉致問題で「特定失踪者・北朝鮮人権ネットワーク」が発足》

北朝鮮による拉致問題で、新団体が発足しました。
9月24日に設立会見を行った「特定失踪者・北朝鮮人権ネットワーク」は、北朝鮮によって拉致された疑いのある、いわゆる「特定失踪者」の家族と安倍晋三首相との面会や、政府が認定した拉致被害者家族に行っているのと同等の情報提供、また、交渉の現状説明を行うよう訴えています。
設立された新団体は、ストックホルム合意に基づく北朝鮮による拉致被害者再調査報告の履行も求めていくことにしています。

■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



《特定失踪者・川満敏弘さんについて》
◆氏名:川満 敏弘
(かわみつとしひろ)
(Toshihiro Kawamitsu)
◆失踪年月日:昭和47(1972)年5月
◆生年月日:昭和13(1948)年11月3日
◆性別:男
◆当時の年齢:33歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市港区
◆当時の身分:自動車メーカーの季節労働者
沖縄県出身
◆失踪場所:愛知県名古屋市か神奈川県

【失踪状況】
季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。
同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。
愛知県名古屋市か神奈川県で働くと言い残し失踪。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・仲里次弘さんについて》
◆氏名:仲里 次弘
(なかざとつぐひろ)
(Tsuguhiro Nakazato)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年5月
◆生年月日:昭和25(1950)年11月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:神奈川県
◆当時の身分:自動車会社季節工終了後
◆身長:161cm~162cm
◆失踪場所:神奈川県から失踪したと思われる

【失踪状況】
陸上自衛隊に入隊し、約2カ年間の訓練を受けたあと、沖縄へ帰郷。
その後自動車工場に3ヶ月の季節労務に就くために再び上京し、契約期間の就労を終えたあと連絡が途絶えた。
昭和52年5月には神奈川県茅ヶ崎市にあった断食道場に20日間いたことがわかっている。
警察に行ったり、全国版新聞での尋ね人の広告を出したり、職業安定所での登録の確認等、東京・神奈川を中心に歩き回るが、手がかりは何一つ見つからない。
2002年8月に男の声で「次弘はおばさんの世話で北朝鮮に行った。“ちゅうさん”と呼ばれていた。元気でいると思いますよ」などと早口で話す不審電話が実家にあった。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

《特定失踪者・濱端俊和さんについて》
◆氏名:濱端 俊和
(はまばたとしかず)
(Toshikazu Hamabata)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年4月10日
◆生年月日:昭和34(1959)年9月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:福井県敦賀市
◆当時の身分:会社員(原子力発電所の定修工事)
沖縄県出身
◆身長:155cm
◆体重:50kg
◆特徴:左顎下にアザ
◆失踪場所:福井県敦賀市敦賀駅

【失踪状況】
沖縄県出身で地元の会社から横浜の建設会社に研修生として派遣されていた。
昭和58年3月末に大飯原発の定修工事が完了し、美浜原発の定修工事に転出するため、3月30日に横浜の本社に到着。
工事の機材を積み込んで4月2日に美浜に向け出発、3日着。
4日から美浜原発定修工事作業準備。
9日同じ沖縄出身の同僚と日帰りでアメ横まで洋服を買いに行く。
10日その同僚をパチンコに誘うが同僚が行かなかったので一人でタクシーを呼び、当時宿泊していた敦賀市内の寮を出たまま失踪(タクシーは敦賀駅前で降りたことが確認されている)。
ジャンパー姿で出掛けており、免許証、貯金通帳、保険証などの荷物すべて置いたまま。
広島に友人に預けた車があったがそれもそのまま。
10月23日Yという女性から沖縄の実家に電話があり、9月末にご主人が行方不明になった。行方が分からないかとの問い合わせがあった。
濱端さんとは神奈川県内にある自動車工場で知り合ったとのこと(濱端さんは昭和55年4月から10月までここに季節工として勤務)。
お母さんが電話を受け、息子も行方不明になっていると伝え、電話番号を聞いたが教えてもらえなかったという。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
福井県警HP
http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・下地才喜さんについて》
◆氏名:下地 才喜
(しもじさいき)
(Saiki Shimoji)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年4月
◆生年月日:昭和37(1962)年7月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:東京都杉並区
◆当時の身分:アルバイト
沖縄県那覇市出身
◆身長:165cm
◆失踪場所:東京か?

【失踪状況】
東京都内の居酒屋でアルバイトをしていた。
昭和60年4月に「ラジカセを月賦で買うから保証人になってほしい」と母親に電話したのを最後に行方がわからず。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)
(拉致被害時13歳)
※This person was Abduction by North Korea
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者横田めぐみさんの弟)
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.