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【みんな生きている】石岡 亨さん・調査報告延期編/NHK[北海道]

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!調査報告延期に石岡 亨さん兄「我慢は限界」》

北朝鮮拉致被害者に関する特別調査委員会を設けてから4日で1年が経ちました。
しかし、調査結果の報告が延期となり、解決に向けた具体的な進展が見られない中、北海道札幌市出身の拉致被害者・石岡 亨さんの兄の章さんは「帰国を心待ちにしている私たち家族の我慢は限界に来ている」と話しています。
拉致問題を巡っては、北朝鮮拉致被害者等の全面的な調査のため特別調査委員会を設置してから4日で1年になります。
北朝鮮は当初、調査は全体で1年程度を目標とするとしていましたが、調査結果の報告の延期を政府に連絡してきていて、拉致問題の解決に向けた具体的な進展は見られていません。
昭和55年に旅先のスペインから連れ去られた札幌市出身の拉致被害者・石岡 亨さんの兄の章さんは、

「再調査でわずかでも進展があると期待していたが何も変わらないまま1年が過ぎてしまった。22歳で行方不明になった亨は再来年には還暦を迎え、帰国を心待ちにしている私たち家族の我慢はもう限界に来ている」

と失望感をあらわにしました。
その上で

「政府には、北朝鮮に振り回されずに覚悟を持って交渉に臨み、事態を前に進めてもらいたい」

と話していました。
警察によりますと、北海道内では他にも拉致の可能性がぬぐえない行方不明者が全国で最も多い84人に上り、捜査や調査が続けられています。

■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/


◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:石岡 亨さん(拉致被害時22歳)
被害者:松木 薫さん(拉致被害時26歳)
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

《特定失踪者・蘇武てつ子さんについて》
◆氏名:蘇武 てつ子
(そぶてつこ)
※てつ子さんの「てつ」は「吉」の字を横に2つ書きます。
◆失踪年月日:昭和42(1967)年1月9日
◆生年月日:昭和17(1942)年8月3日
◆性別:女性
◆当時の年齢:24歳
◆身長:158cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:編み物教室生徒
◆特徴:
1)近視で眼鏡使用
2)中肉中背
3)太めの髪質
◆失踪場所:北海道帯広市の自宅

【失踪状況】
1月9日は吹雪のような日であった。
夕方18時頃、孝夫さんが一時帰宅した際にはてつ子さんは在宅であった。
その後孝夫さんは仕事に出かけ、21時頃に妹サトエさんが帰宅した際にてつ子さんはいなくなっていた。
何時も着ていたオーバーは無く、お財布と普段履いていた靴は無くなっていた。
その他、保険証、貯金通帳等は残されてまま。荷物をまとめた形跡や荒らされてもいない。
てつ子さんは当時仕事には就いておらず、2年程市内の編み物教室に毎日通っていた。
失踪後2、3年程、十勝清水の実家に無言電話が年に2、3回続いた「てっちゃん」と呼びかけても返事は無く切れてしまった。
失踪から2年程経って、帯広警察へ失踪届けを出したが事件性が無いとして捜索はしていない。

《特定失踪者・吉田雪江さんについて》
◆氏名:吉田 雪江
(よしだゆきえ)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年1月28日
◆生年月日:昭和24(1949)年2月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆身長:156cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:電話交換手
◆失踪場所:北海道釧路市

【失踪状況】
当日夜、同僚の結婚式があり、午後8時半頃、「新婚旅行への出発を見送りに行く」と時刻表を指して時間を確認して出かけたまま帰らず。
警察の報告では駅で見かけた人はいなかった。
荷物も持っておらず、社内預金もそのままだった。

《特定失踪者・城崎暎子さんについて》
◆氏名:城崎 暎子
(しろさきえいこ)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年4月21日
◆生年月日:昭和21(1946)年7月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆身長:153cm
◆当時の身分:家事手伝い
◆失踪場所:北海道岩内郡岩内町岩内港防波堤

【失踪状況】
失踪当日、朝8時か9時頃、いつものように母親に「服地を買いに町に行ってくる」と言い残して外出した。
同日12時頃、岩内港の防波堤に、本人の靴、かばん、服地、ケーキなどが置いてあるのを地元漁師が発見し、岩内署に連絡した。
遺留品が本人のものと確認できたため、警察がダイバーを出し、付近海底を捜索したが、死体を発見することができなかった。
自殺の動機は考えられない。ましてや昼間の失踪であるので自殺はないと考えられる。
遺留品の「服地」は買い物をしたままの状態だった。どこで買ったかは不明。
遺留品の「ケーキ」は箱に入って残っていた。どこで買ったかは不明。
町に出かけると、いつもケーキを買って帰っていた。
遺留品のケーキも誰かの誕生日のためというものではない。

《特定失踪者・岡田優子さんについて》
◆氏名:岡田 優子
(おかだゆうこ)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年10月23日
◆生年月日:昭和28(1953)年3月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:14歳
◆当時の身分:中学3年生
◆失踪場所:北海道常呂郡常呂町

【失踪状況】
失踪した当日、「ちょっとカゼをひいた」ということで中学校を休んだ。
「少し気分が良くなったので、でかけてくる」といって自宅から外出した。
浜佐呂間から汽車で20分程離れた常呂町内の文房具屋で何かを買っているところを、実家の近所の人が目撃した。
その後、常呂の海岸で本人のカーディガンが見つかった。

《特定失踪者・国井えり子さんについて》
◆氏名:国井 えり子
(くにいえりこ)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年12月12日
◆生年月日:昭和26(1951)年10月11日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の身分:高校2年生
◆失踪場所:北海道網走市内の自宅から

【失踪状況】
失踪する数日前から、家には「学校へ行く」と言って出かけていたが、家族が仕事に出かけたあとで家に戻り、自分の部屋に閉じこもっていた(知人の証言)。
失踪した日の午前7時30分頃、「学校で試験があるのでいつもより早く学校へ行く」といってみかんを半分だけ食べて自宅を出たまま行方不明。
失踪時の服装は高校の制服。
普段かけていた眼鏡は部屋に置かれたままで、日記も2冊あった(日記は警察に提出し、その後処分された)。
衣服などは持ち出した形跡はなかったが、アルバムがなくなっていた。
高校生だったのでお金もそんなにもっていない。家のお金にも手をつけていない。
失踪後、数日してから無言電話が3~4回かかってきた。家族が出ると一方的に切れるものだった。
同様の無言電話が複数の親戚のところにもあった。
脱北者がもたらした写真が、国井えり子さんである可能性がある。
平成17年9月30日、北海道警に告発状を提出。

《特定失踪者・長谷川文子さんについて》
◆氏名:長谷川 文子
(はせがわふみこ)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年3月
◆生年月日:昭和27年(1952)2月22日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の身分:看護師・夜間高校生(当時の勤務先の炭鉱病院は閉鎖、通学していた美唄市内の高校は閉校)
◆失踪場所:北海道美唄市

【失踪状況】
夜の8時か9時頃、勤務先の病院もしくは通学先の高校からの帰宅途中に失踪。
本人が利用していたバスの運転手の証言によれば、友人と一緒にバスに乗り、自宅近くのバス停にて一人で下車したという。
これが最後の目撃情報。友人が誰かは不明。
警察の捜査によっても、なんら痕跡が残っていなかった。
当時、家族がテレビ、ラジオで呼びかけたが、全く手がかりはなかった。
本人が勤務していた美唄炭鉱病院があった美唄炭鉱には、終戦時には最大6,000人もの在日朝鮮人が働いていたが、終戦直後に帰国。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。