【みんな生きている】愛媛拉致議連編/EBC
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!愛媛拉致議連総会開催》
北朝鮮が約束した拉致被害者の再調査の結果報告が7月4日に期限が迫るなか、愛媛拉致議連の総会が6月29日、松山市で開かれ、問題解決への決意を新たにしました。
拉致問題の解決に取り組む愛媛拉致議連の総会には、愛媛県内の特定失踪者の家族も参加。北朝鮮が約束した拉致被害者の安否に関する再調査の報告期限が7月に迫るなか、娘の由美さんが拉致されたとされる大政悦子さんたちも、拉致問題の解決に向け強い決意を新たにしました。
愛媛拉致議連の森高康行会長は、北朝鮮に日本の世論が許さないという強い姿勢で活動していくことを訴えていました。
■救う会愛媛HP
http://www.iyo.ne.jp/sukuukaiehime/
《特定失踪者・大政由美さんについて》
◆氏名:大政 由美
(おおまさゆみ)
◆失踪年月日:平成3(1991)年3月28日
◆生年月日:昭和42(1967)年4月5日
◆性別:女
◆当時の年齢:23歳
◆身長:150cm
◆当時の身分:三重大学研究生
◆愛媛県伊予市出身
◆特徴:下唇の下に縫合跡(2歳6カ月の時に5針くらい)
◆失踪場所:韓国慶州市
【失踪状況】
同年3月に三重大を卒業。考古学専攻。
3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。
現地、慶州警察署で捜索。
1991年3月~1994年10月の間に数回無言電話。
正確な日付は不明だが、午後から夕方にかけてがほとんど。
受話器を取ると人の息、生活音も聞こえず受話器を置くまで一言も話さなかった。
北朝鮮にいるとの複数の不確定情報がある。
《特定失踪者・二宮喜一さんについて》
◆氏名:二宮 喜一
(にのみやよしかず)
◆失踪年月日:昭和37(1962)年9月頃
◆生年月日:昭和13(1938)年1月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:156cm~157cm
◆体重:52kg
◆当時の身分:会社員。夜は専門学校生
◆当時の住所:東京都品川区小山
◆愛媛県西宇和郡保内町出身
◆特徴:
1)やせ形
2)面長
◆失踪場所:東京都品川区
【失踪状況】
「ちょっと頭を冷やしに十和田湖に行ってくる」とメモを残して失踪。
1ヶ月位後に下宿先から「帰ってこないが、実家に帰っていないか」と家族に連絡が来た。
将来は無線通信士を目指していた。
《特定失踪者・山下綾子さんについて》
◆氏名:山下 綾子
(やましたあやこ)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年4月
◆生年月日:昭和17(1942)年9月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:28歳
◆当時の身分:看護師
◆当時の住所:愛媛県今治市石井町
◆失踪場所:愛媛県今治市
【失踪状況】
4月のある日、自宅から出たまま行方不明となった。
翌日、国鉄今治駅(当時)に自転車が置いたままになっているのが発見される。
自宅から勤務先の病院には自転車で通勤しており、鉄道は使っていなかった。
また、その病院も失踪一週間前に自ら辞めていたことがあとからわかった。
自転車の前カゴに桜の小枝が一本入っていた。
普段着のままの外出で、家には預金通帳・印鑑などがそのまま残っていた。
《愛媛県警公開特定失踪者・槙野國貞さんについて》
◆氏名:槙野 國貞
(まきのくにさだ)
◆当時の年齢:19歳(昭和38年当時)
◆当時の住所:大阪府大阪市
◆職業:会社員(運送業)
◆身長:155cmくらい
【失踪状況】
昭和38年12月6日の午後6時30分頃、大阪市内で運送の仕事を終え、同市内の道路上に自動車を放置したまま、行方不明になっています。
《愛媛県警公開特定失踪者・仙波照男さんについて》
◆氏名:仙波 照男
(せんば てるお)
◆当時の年齢:38歳(行方不明当時)
◆当時の住所:愛媛県新居浜市宮原町
◆当時の職業:工員(製作所勤務)
◆身長:170cmくらい
◆特徴:
1)右鼻横にホクロ
2)眼鏡使用
【失踪状況】
昭和43年1月12日、家族に黙って新居浜市の自宅から出て行ったまま行方不明になっています。
《愛媛県警公開特定失踪者・兼井仲由さんについて》
◆氏名:兼井 仲由
(かねいなかよし)
◆当時の年齢:30歳(行方不明当時)
◆当時の住所:大阪府大阪市西成区
◆愛媛県西条市丹原町出身
◆職業:理容師
◆身長:165cmくらい
◆特徴:
1)面長顔
2)浅黒
【失踪状況】
昭和42年頃から大阪市内の理髪店で勤務していましたが、昭和53年4月初旬、荷物をまとめて当時の自宅を出て以来、そのまま行方不明になっています。
◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:松木 薫さん(Kaoru Matsuki)
(拉致被害時26歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:石岡 亨さん(To-o-ru Ishioka)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
《救う会認定拉致被害者・福留貴美子さんについて》
◆氏名:福留 貴美子
(ふくとめきみこ)
(Kimiko Fukutome)
◆失踪年月日:1976(昭和51)年7月18日または19日
◆生年月日:1952(昭和27)年1月1日
◆当時の身分:アルバイト
◆当時の住所:東京都渋谷区恵比寿
◆最終失踪関連地点:海外
【失踪状況】
1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。
1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本 武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。
1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅
【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
《新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
(Hiromasa Watanabe)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
◆新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170くらい
【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.
北朝鮮が約束した拉致被害者の再調査の結果報告が7月4日に期限が迫るなか、愛媛拉致議連の総会が6月29日、松山市で開かれ、問題解決への決意を新たにしました。
拉致問題の解決に取り組む愛媛拉致議連の総会には、愛媛県内の特定失踪者の家族も参加。北朝鮮が約束した拉致被害者の安否に関する再調査の報告期限が7月に迫るなか、娘の由美さんが拉致されたとされる大政悦子さんたちも、拉致問題の解決に向け強い決意を新たにしました。
愛媛拉致議連の森高康行会長は、北朝鮮に日本の世論が許さないという強い姿勢で活動していくことを訴えていました。
■救う会愛媛HP
http://www.iyo.ne.jp/sukuukaiehime/
《特定失踪者・大政由美さんについて》
◆氏名:大政 由美
(おおまさゆみ)
◆失踪年月日:平成3(1991)年3月28日
◆生年月日:昭和42(1967)年4月5日
◆性別:女
◆当時の年齢:23歳
◆身長:150cm
◆当時の身分:三重大学研究生
◆愛媛県伊予市出身
◆特徴:下唇の下に縫合跡(2歳6カ月の時に5針くらい)
◆失踪場所:韓国慶州市
【失踪状況】
同年3月に三重大を卒業。考古学専攻。
3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。
現地、慶州警察署で捜索。
1991年3月~1994年10月の間に数回無言電話。
正確な日付は不明だが、午後から夕方にかけてがほとんど。
受話器を取ると人の息、生活音も聞こえず受話器を置くまで一言も話さなかった。
北朝鮮にいるとの複数の不確定情報がある。
《特定失踪者・二宮喜一さんについて》
◆氏名:二宮 喜一
(にのみやよしかず)
◆失踪年月日:昭和37(1962)年9月頃
◆生年月日:昭和13(1938)年1月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:156cm~157cm
◆体重:52kg
◆当時の身分:会社員。夜は専門学校生
◆当時の住所:東京都品川区小山
◆愛媛県西宇和郡保内町出身
◆特徴:
1)やせ形
2)面長
◆失踪場所:東京都品川区
【失踪状況】
「ちょっと頭を冷やしに十和田湖に行ってくる」とメモを残して失踪。
1ヶ月位後に下宿先から「帰ってこないが、実家に帰っていないか」と家族に連絡が来た。
将来は無線通信士を目指していた。
《特定失踪者・山下綾子さんについて》
◆氏名:山下 綾子
(やましたあやこ)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年4月
◆生年月日:昭和17(1942)年9月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:28歳
◆当時の身分:看護師
◆当時の住所:愛媛県今治市石井町
◆失踪場所:愛媛県今治市
【失踪状況】
4月のある日、自宅から出たまま行方不明となった。
翌日、国鉄今治駅(当時)に自転車が置いたままになっているのが発見される。
自宅から勤務先の病院には自転車で通勤しており、鉄道は使っていなかった。
また、その病院も失踪一週間前に自ら辞めていたことがあとからわかった。
自転車の前カゴに桜の小枝が一本入っていた。
普段着のままの外出で、家には預金通帳・印鑑などがそのまま残っていた。
《愛媛県警公開特定失踪者・槙野國貞さんについて》
◆氏名:槙野 國貞
(まきのくにさだ)
◆当時の年齢:19歳(昭和38年当時)
◆当時の住所:大阪府大阪市
◆職業:会社員(運送業)
◆身長:155cmくらい
【失踪状況】
昭和38年12月6日の午後6時30分頃、大阪市内で運送の仕事を終え、同市内の道路上に自動車を放置したまま、行方不明になっています。
《愛媛県警公開特定失踪者・仙波照男さんについて》
◆氏名:仙波 照男
(せんば てるお)
◆当時の年齢:38歳(行方不明当時)
◆当時の住所:愛媛県新居浜市宮原町
◆当時の職業:工員(製作所勤務)
◆身長:170cmくらい
◆特徴:
1)右鼻横にホクロ
2)眼鏡使用
【失踪状況】
昭和43年1月12日、家族に黙って新居浜市の自宅から出て行ったまま行方不明になっています。
《愛媛県警公開特定失踪者・兼井仲由さんについて》
◆氏名:兼井 仲由
(かねいなかよし)
◆当時の年齢:30歳(行方不明当時)
◆当時の住所:大阪府大阪市西成区
◆愛媛県西条市丹原町出身
◆職業:理容師
◆身長:165cmくらい
◆特徴:
1)面長顔
2)浅黒
【失踪状況】
昭和42年頃から大阪市内の理髪店で勤務していましたが、昭和53年4月初旬、荷物をまとめて当時の自宅を出て以来、そのまま行方不明になっています。
◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:松木 薫さん(Kaoru Matsuki)
(拉致被害時26歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:石岡 亨さん(To-o-ru Ishioka)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
《救う会認定拉致被害者・福留貴美子さんについて》
◆氏名:福留 貴美子
(ふくとめきみこ)
(Kimiko Fukutome)
◆失踪年月日:1976(昭和51)年7月18日または19日
◆生年月日:1952(昭和27)年1月1日
◆当時の身分:アルバイト
◆当時の住所:東京都渋谷区恵比寿
◆最終失踪関連地点:海外
【失踪状況】
1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。
1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本 武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。
1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。
《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅
【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
《新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
(Hiromasa Watanabe)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
◆新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170くらい
【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.