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【みんな生きている】西岡 力編[インチキ遺骨]/産経新聞

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!西岡 力・救う会会長が北朝鮮の遺骨捏造に言及》

拉致被害者らの再調査をめぐって、北朝鮮が別人の骨を焼いて、その骨に拉致被害者の体液などを混ぜ、被害者の「遺骨」の捏造を検討しているという情報が明らかになった。再調査から7月4日で1年を迎える中、北朝鮮の出方は不明だが、再び日本に対して不誠実な対応を取る恐れもある。これまでも北朝鮮は捏造の可能性が高い書類を示したり、偽の遺骨を提示したりしてきており、被害者家族や支援者の間では緊張感が高まってきている。


■再び被害者「死亡」と嘘をつく恐れも

北朝鮮による「遺骨捏造」情報が明らかになったのは、6月14日に福岡市で開かれた集会だった。被害者の支援組織「救う会」の西岡 力会長が最近、得た情報として明らかにした。
その情報とは、北朝鮮が最近、高温で焼いてDNAが抽出できなくなった骨に、別の人間の体液や排泄物を混ぜ、別の人間の遺骨として偽造するという実験を進めているというものだった。実験が成功しているとするなら、北朝鮮は日本人拉致被害者の「遺骨」として偽造することができるということを意味する。
北朝鮮が今後、どう対応してくるかは不明だ。だが、これまで「死亡」と説明してきた拉致被害者8人について、その説明を変えない方針である場合、“証拠”として偽造した遺骨を提示してくる恐れは十分にある。
過去にも北朝鮮はさまざまな証拠を捏造し、日本に嘘の説明を繰り返してきた“前科”があるからだ。


■遺骨、書類もほとんどがデタラメ

平成14年9月の日・朝首脳会談で、拉致被害者8人について「死亡した」と説明した北朝鮮。その“証拠”として出してきた物証はほとんどがデタラメだった。
例えば、「死亡確認書」とされた書類に関しては、横田めぐみさん(50歳。拉致当時13歳)を除く7人のものが同じ病院から発行されていた。北朝鮮の説明による被害者の「死亡場所」「死亡時期」ともバラバラであったにもかかわらずだ。
7人中3人の書類を重ねてみると、右下にある印鑑は同じ位置に押されている。「死亡時期」が違うのならば、書類も異なる時期に作られているはずだ。それなのに寸分違わぬ位置に印鑑が押されているということは、同じ時に複数の書類を作成した疑いが強い。
この死亡確認書に関し、北朝鮮は2年後の日・朝実務者協議でこう釈明した。「慌てて作ったもので正確でなかった」
そう釈明したのにもかかわらず、同じ協議の場で、北朝鮮は卑劣な行為に出てきた。横田めぐみさんのものとする「遺骨」を提示してきたのだ。その後、日本側のDNA型鑑定で別人のものと判明したものだった。
反省したように見せながら、舌の根も乾かぬうちに日本をだまそうとするのが北朝鮮の手口であることは疑いようがない。こうした過去の行状から、今回の再調査をめぐる報告でも、再び嘘をついてくる恐れがあると家族や支援者は警戒を強めている。


■「私たちは受け取りません」

福岡市で開かれた集会の会場には、家族の危機感を示すように「限界は超えた」という言葉が大きく示されていた。
集会に参加した田口八重子さん(59歳。拉致当時22歳)の兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(77歳)は北朝鮮による再調査報告について

「いろいろ噂を聞くと、『やはり(日本政府)認定被害者はみんな死んでいた。その証拠はここにある』などという。そして(拉致の可能性を排除できない)特定失踪者の何人かの名簿が出てくる。そんな程度ではないか。報告書だけを追いかけていると方向性を間違えてしまう」

と訴えた。
北朝鮮による報告は再び嘘だらけの恐れがある。だからこそ、家族は再調査から1年を迎える7月を前に、報告書ではなく、被害者の帰国だけを求めていることを強調している。
6月16日に開かれた超党派拉致議連の総会では、横田めぐみさんの母、早紀江さん(79歳)が、今後の日・朝協議で北朝鮮が偽の遺骨を出してきた場合、

「『これがあなた方の子供たち(被害者)の遺骨です』と言って、持ってこられても私たちは絶対に受け取りません。そんなもの持って帰らないでください」

と政府に要望した。
北朝鮮が再び捏造した“証拠”を出してくる可能性があることに対する牽制だった。再調査開始から1年を目前に控え、被害者家族は北朝鮮との“情報戦”の最中にいる。

拉致事件に関する北朝鮮の嘘】
北朝鮮が「1979年に死亡した」と日本側に伝えた市川修一さんは、1996年まで金正日政治軍事大学から龍城招待所まで日本語を教えに行っていた。
北朝鮮が「1994年に死亡した」と日本側に通報した横田めぐみさんは、2001年まで平壌の龍城区域の七宝山招待所で暮らしていた。1987年に順安区域招待所に移り、そこで金英男(キム・ヨンナム)氏と会って同居し、結婚した。1993年に夫との不和で離婚した。1994年4月、めぐみさんは義州の49号予防院に入院させられたが、1日後に呼び戻され平壌の49号予防院に入った。1994年9月、対日工作員と再婚。1996年11月に男子を出産した。
北朝鮮が「1986年に死亡した」と日本側に通報した田口八重子さんは、2014年に肝臓の病気で治療を受けていることがわかっている。



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者横田めぐみさんの弟)

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拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。