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【みんな生きている】北朝鮮人権侵害問題啓発集会・国民大行進編/TVQ

《拉致は人権侵害の総本山!拉致被害者家族、福岡で集会》

「我々家族はもう待てない」。
福岡市で6月14日、北朝鮮による拉致被害者の救済を訴える大規模な集会が開かれました。
会場の福岡市役所には、拉致被害者の早期救済を求める「家族会」や九州各県の「救う会」の関係者たち350人が集まりました。
拉致被害者を巡っては、去年5月の日・朝間協議で北朝鮮が再調査を約束したものの、1年を過ぎた今も進展は見られません。
集会では37年前、鹿児島県で拉致された増元るみ子さんの弟で家族会元事務局長の増元照明さんが、

北朝鮮に投げたボールを投げ返してくる状況を政府が作るべき」

と述べ、出席した山谷えり子担当大臣に国として早期救済に向けた一層の外交努力を求めました。

山谷えり子拉致問題担当大臣
「ご家族からもう限界だという声が聞かれました。なかなか結果を出せていないということは厳しい言葉があって当然と思う」

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)

◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:松木 薫さん(拉致被害時26歳)
被害者:石岡 亨さん(拉致被害時22歳)
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)
被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

《福岡県警公開特定失踪者・寺内正夫さんについて》
◆氏名:寺内 正夫
(てらうちまさお)
◆当時の年齢:24歳(昭和28年当時)
◆当時の住所:福岡県福岡市博多区
◆当時の職業:会社員
◆身長:160cm~165
◆体重:55

【失踪状況】
寺内正夫さんは昭和28年3月13日、出張で訪れていた福岡市博多区の会社の寮から行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・戸内スミ子さんについて》
◆氏名:戸内 スミ子
(とうちすみこ)
◆当時の年齢:19歳(昭和34年当時)
◆当時の住所:福岡県大牟田市
◆当時の職業:不明
◆特徴:
1)丸顔
2)鼻の下に3mmくらいのほくろ

【失踪状況】
戸内スミ子さんは昭和34年1月、自宅を出たまま行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・西崎和子さんについて》
◆氏名:西崎 和子
(にしざきかずこ)
◆当時の年齢:15歳(昭和37年当時)
◆当時の住所:福岡県北九州市門司区
◆当時の職業:中学生
◆身長:145
◆特徴:
1)中肉
2)丸顔
3)色白
4)おかっぱ頭

【失踪状況】
西崎和子さんは昭和37年10月27日、見知らぬ男が西崎和子さん宅を訪れ、家人の前から西崎和子さんを連れ出し、そのまま行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・長谷川久美子さんについて》
◆氏名:長谷川 久美子
(はせがわくみこ)
◆当時の年齢:23歳(昭和39年当時)
◆当時の住所:福岡県嘉麻市
◆当時の職業:飲食店従業員
◆身長:160
◆体重:56
◆特徴:
1)丸顔
2)色白

【失踪状況】
長谷川久美子さんは昭和39年10月25日、「友人と大阪に遊びに行く」と母親に言い残したまま帰宅せず、その後、行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・水上純也さんについて》
◆氏名:水上 純也
(みずかみじゅんや)
◆当時の年齢:20歳(昭和40年当時)
◆当時の住所:福岡県福岡市博多区
◆当時の職業:鉄工所作業員
◆身長:160
◆特徴:中肉

【失踪状況】
水上純也さんは昭和40年1月3日、福岡県古賀市在住の親戚方を訪問するため家を出たまま行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・仲野健二さんについて》
◆氏名:仲野 健二
(なかのけんじ)
◆当時の年齢:18歳(昭和43年当時)
◆当時の住所:福岡県直方市
◆当時の職業:大学生
◆身長:160
◆体重:55
◆特徴:
1)中肉中背
2)右手麻痺

【失踪状況】
仲野健二さんは身体障害者で、右手が麻痺する不自由な身体で大学に通っていましたが、昭和43年5月、自宅に「いつも迷惑をかけるので、名古屋へ働きに行く。きっと帰って来る」という内容の手紙を残して、その後、行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・田川克己さんについて》
◆氏名:田川 克己
(たがわかつみ)
◆当時の年齢:25歳(昭和47年当時)
◆当時の住所:東京都渋谷区
◆当時の職業:理容師
◆身長160
◆特徴:
1)痩せ型
2)浅黒

【失踪状況】
田川克己さんは昭和47年8月頃、当時勤めていた東京都内の理髪店関係者に「店を辞めて九州に帰る。荷物は落ち着いてから取りに来る」と言って店を辞め、その後、行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・堤 和夫さんについて》
◆氏名:堤 和夫
(つつみかずお)
◆当時の年齢:27歳(昭和48年当時)
◆当時の住所:東京都世田谷区
◆当時の職業:無職
◆身長:170くらい
◆特徴:痩せ型

【失踪状況】
昭和48年7月頃、堤 和夫さんは交際していた女性と石川県などへ旅行に行ったあと行方不明となっています。

《福岡県警公開特定失踪者・阿部吉雄さんについて》
◆氏名:阿部 吉雄
(あべよしお)
◆当時の年齢:20歳(昭和49年当時)
◆当時の住所:福岡県若宮市
◆当時の職業:会社員
◆身長:170
◆体重:55
◆特徴:
1)やせ型
2)色白
3)筑豊弁で早口

【失踪状況】
阿部吉雄さんは昭和49年3月14日、北九州市若松区内で飲酒した後、行方不明となっています。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。