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【みんな生きている】北海道特定失踪者編/産経新聞

《拉致は人権侵害の総本山!北海道で失踪 女性7人、昭和40年代集中 10~20代「北の指示」か》

北海道では昭和40年代、蘇武てつ子さんの他、10~20歳代の女性6人が行方不明となり、特定失踪者問題調査会(調査会)が北朝鮮による拉致の可能性もあるとみて情報収集をしている。7人のうち6人の失踪は40年代前半に集中しており、調査会は当時、北朝鮮から若い女性の拉致を命じる指示があった可能性も含め、検証を進める。
調査会によると、42年には蘇武さんを含め4人が失踪。1月に釧路市で電話交換手、吉田雪江さん(66歳。失踪当時17歳)、4月に岩内町で家事手伝い、城崎瑛子さん(68歳。失踪当時20歳)、10月に常呂(ところ)町(現北見市)で中学生、岡田優子さん(62歳。失踪当時14歳)が行方不明になった。
43年12月には網走市で高校生、国井えり子さん(63歳。失踪当時17歳)、44年3月に美唄(びばい)市で看護師、長谷川文子さん(63歳。失踪当時17歳)、46年12月に北檜山町(現せたな町)で金物店員、名取志津子さん(63歳。失踪当時19歳)が失踪した。
いずれの女性も自ら行方をくらますような事情はなかった。他の地域では、特定の年代に、特定の年齢層の女性特定失踪者が集中していなくなるケースは見当たらないという。
北海道では昭和30年代初め、北朝鮮工作員が密出入国し、逮捕される事件が起きており、調査会の荒木和博代表は

北朝鮮工作員は早い時期に北海道から上陸してそこで行動したり、本州に渡ったりしていたのではないか。その中で拉致も行われたというように考えれば辻褄が合う」

と話す。
蘇武さんが編み物教室に通っていた点にも、調査会は関心を持っている。調査会の調べでは、編み物や洋裁を習ったり、服飾関係の仕事をしていたりしていた政府認定の拉致被害者や特定失踪者は11人に上る。
拉致被害者の場合では、松本京子さん(66歳。拉致当時29歳)は昭和52年10月、自宅から編み物教室に向かう途中で北朝鮮に連れ去られた。53年7月に拉致され、平成14年10月に帰国した地村富貴恵さん(60歳)はジーンズショップで働いていた。
なぜ、服飾関係に特定失踪者が集中しているのか?
荒木代表は

「『若い女性を連れてこい』という指示があった場合に、物色する場として編み物教室など若い女性の集まる場所が一つの要素だったのではないか」

とみている。

《特定失踪者・蘇武てつ子さんについて》
◆氏名:蘇武 てつ子
(そぶてつこ)
※てつ子さんの「てつ」は「吉」の字を横に2つ書きます。
◆失踪年月日:昭和42(1967)年1月9日
◆生年月日:昭和17(1942)年8月3日
◆性別:女性
◆当時の年齢:24歳
◆身長:158cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:編み物教室生徒
◆特徴:
1)近視で眼鏡使用
2)中肉中背
3)太めの髪質
◆失踪場所:北海道帯広市の自宅

【失踪状況】
1月9日は吹雪のような日であった。
夕方18時頃、孝夫さんが一時帰宅した際にはてつ子さんは在宅であった。
その後孝夫さんは仕事に出かけ、21時頃に妹サトエさんが帰宅した際にてつ子さんはいなくなっていた。
何時も着ていたオーバーは無く、お財布と普段履いていた靴は無くなっていた。
その他、保険証、貯金通帳等は残されてまま。荷物をまとめた形跡や荒らされてもいない。
てつ子さんは当時仕事には就いておらず、2年程市内の編み物教室に毎日通っていた。
失踪後2、3年程、十勝清水の実家に無言電話が年に2、3回続いた「てっちゃん」と呼びかけても返事は無く切れてしまった。
失踪から2年程経って、帯広警察へ失踪届けを出したが事件性が無いとして捜索はしていない。

《特定失踪者・吉田雪江さんについて》
◆氏名:吉田 雪江
(よしだゆきえ)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年1月28日
◆生年月日:昭和24(1949)年2月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆身長:156cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:電話交換手
◆失踪場所:北海道釧路市

【失踪状況】
当日夜、同僚の結婚式があり、午後8時半頃、「新婚旅行への出発を見送りに行く」と時刻表を指して時間を確認して出かけたまま帰らず。
警察の報告では駅で見かけた人はいなかった。
荷物も持っておらず、社内預金もそのままだった。

《特定失踪者・城崎暎子さんについて》
◆氏名:城崎 暎子
(しろさきえいこ)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年4月21日
◆生年月日:昭和21(1946)年7月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆身長:153cm
◆当時の身分:家事手伝い
◆失踪場所:北海道岩内郡岩内町岩内港防波堤

【失踪状況】
失踪当日、朝8時か9時頃、いつものように母親に「服地を買いに町に行ってくる」と言い残して外出した。
同日12時頃、岩内港の防波堤に、本人の靴、かばん、服地、ケーキなどが置いてあるのを地元漁師が発見し、岩内署に連絡した。
遺留品が本人のものと確認できたため、警察がダイバーを出し、付近海底を捜索したが、死体を発見することができなかった。
自殺の動機は考えられない。ましてや昼間の失踪であるので自殺はないと考えられる。
遺留品の「服地」は買い物をしたままの状態だった。どこで買ったかは不明。
遺留品の「ケーキ」は箱に入って残っていた。どこで買ったかは不明。
町に出かけると、いつもケーキを買って帰っていた。
遺留品のケーキも誰かの誕生日のためというものではない。

《特定失踪者・岡田優子さんについて》
◆氏名:岡田 優子
(おかだゆうこ)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年10月23日
◆生年月日:昭和28(1953)年3月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:14歳
◆当時の身分:中学3年生
◆失踪場所:北海道常呂郡常呂町

【失踪状況】
失踪した当日、「ちょっとカゼをひいた」ということで中学校を休んだ。
「少し気分が良くなったので、でかけてくる」といって自宅から外出した。
浜佐呂間から汽車で20分程離れた常呂町内の文房具屋で何かを買っているところを、実家の近所の人が目撃した。
その後、常呂の海岸で本人のカーディガンが見つかった。

《特定失踪者・国井えり子さんについて》
◆氏名:国井 えり子
(くにいえりこ)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年12月12日
◆生年月日:昭和26(1951)年10月11日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の身分:高校2年生
◆失踪場所:北海道網走市内の自宅から

【失踪状況】
失踪する数日前から、家には「学校へ行く」と言って出かけていたが、家族が仕事に出かけたあとで家に戻り、自分の部屋に閉じこもっていた(知人の証言)。
失踪した日の午前7時30分頃、「学校で試験があるのでいつもより早く学校へ行く」といってみかんを半分だけ食べて自宅を出たまま行方不明。
失踪時の服装は高校の制服。
普段かけていた眼鏡は部屋に置かれたままで、日記も2冊あった(日記は警察に提出し、その後処分された)。
衣服などは持ち出した形跡はなかったが、アルバムがなくなっていた。
高校生だったのでお金もそんなにもっていない。家のお金にも手をつけていない。
失踪後、数日してから無言電話が3~4回かかってきた。家族が出ると一方的に切れるものだった。
同様の無言電話が複数の親戚のところにもあった。
脱北者がもたらした写真が、国井えり子さんである可能性がある。
平成17年9月30日、北海道警に告発状を提出。

《特定失踪者・長谷川文子さんについて》
◆氏名:長谷川 文子
(はせがわふみこ)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年3月
◆生年月日:昭和27年(1952)2月22日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の身分:看護師・夜間高校生(当時の勤務先の炭鉱病院は閉鎖、通学していた美唄市内の高校は閉校)
◆失踪場所:北海道美唄市

【失踪状況】
夜の8時か9時頃、勤務先の病院もしくは通学先の高校からの帰宅途中に失踪。
本人が利用していたバスの運転手の証言によれば、友人と一緒にバスに乗り、自宅近くのバス停にて一人で下車したという。
これが最後の目撃情報。友人が誰かは不明。
警察の捜査によっても、なんら痕跡が残っていなかった。
当時、家族がテレビ、ラジオで呼びかけたが、全く手がかりはなかった。
本人が勤務していた美唄炭鉱病院があった美唄炭鉱には、終戦時には最大6,000人もの在日朝鮮人が働いていたが、終戦直後に帰国。

《特定失踪者・名取志津子さんについて》
◆氏名:名取 志津子
(なとりしづこ)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月2日
◆生年月日:昭和27(1952)年2月16日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:金物店勤務
◆特徴:
1)小柄
2)丸顔
◆失踪場所:北海道瀬棚郡北檜山町

【失踪状況】
勤務先であった姉の嫁ぎ先より帰宅途中に失踪。
当時は瀬棚線で通勤していた。
静岡から戻ってくる母が午後7時半頃北桧山駅に列車に乗る予定だったため、いつもより店を出る時間を約1時間遅らせた。
帰り際に「明日母のお土産をもってくるから」と親類に言って店を出た。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。