もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】日比谷公会堂(1)-1/田口八重子さん

飯塚繁雄田口八重子さんの兄。家族会代表)


■今年の中盤当りには解決の兆しが見えるように

みなさんこんにちは。
本来ならば、この最高の陽気の中、家族団らんで散歩されるような時期であるにも関わらず、拉致問題がまだ解決していないという実情から、大勢の皆様が、「この問題の解決を早くせよ」という意気込みでお集まりいただいたと思います。毎回大変ありがとうございます。

[これが最終決戦]
こういう集会が幾度となく催され、その都度の経過説明だけに終わってしまっています。私たちは、「最終決戦のとき」という強い決意のもと、もう後がないという思いで「最終決戦」という言葉が出ていると思います。
今、日・朝協議が始まっていますが、なかなかスムースな経過が見られない。こういう状況を、私たち素人はどう分析していいのか分かりませんが、見え隠れするのは、北朝鮮が日本に対して、どうしたら有利な交渉、戦いになるのかということを目論んで、結果的には莫大な資金を取ることに思惑があると思います。
しかしながら、拉致問題というのは、国と国の重要な課題です。まさに北朝鮮が犯罪国、日本が被害国で、被害者も分かっている。従ってすべて無条件で被害者を返しなさいというのが日本側の立場であろうと思います。
そういう強い立場を今後もさらに強くしていかなければならないと思います。
単に北朝鮮の調査報告を出せ、ということだけではないと思います。交渉は、プロセス、過程の一つの手段かもしれなせんが、私たちは被害者本人を一刻も早く返せというのが最終の狙いであり、期待です。
従って、この調査報告に惑わされることなく、拉致問題が最優先されて、解決の方向に行くような交渉、あるいは強い要請が必要だと思います。調査報告というのは、聞くところによると4項目あり、拉致問題が最後になるという噂も聞く中で、我々としては、あるいは日本としては、何としても拉致問題の解決に向けた交渉が最優先という態度を強く出してほしい。もちろん政府も今そういう態度を示しています。
北朝鮮は非常に難しい国です。そういう時、日本として、どういう手立てで、どういう戦略でこれを乗り切っていくのかということを、当然考えておられると思います。

[欲しいのは結果。報告書ではない]
あくまでも最終目的は、被害者が元気な姿で日本の国土、日本の土を踏むこと、そして私たち家族と抱き合うことです。ですから、この目的に対して色々な細かい動きがあると思いますが、それはあくまでも目的に対して本当に直結している問題なのかを考えていただきたい。
北朝鮮から来る報告は、今時点でも信用が置けないわけです。例えば、「報告書を出しました。中味を見たらみんな死んでいました」ということもあるかもしれません。そして遺骨の問題などが最優先されて、日本との協議を有利にしていこうという形もあるかもしれません。
そういうことを考えれば、私たちは報告を求めるのが目的ではなく、あくまで即刻被害者を返せということです。
各家族も、相当長い間苦労され、頑張ってきました。これだけ長くかかれば、当然年齢も高くなりますし、その間、精神的あるいは肉体的な苦痛がどんどん深まってきています。
残念ながら、待っていた家族も、亡くなる方がどんどん出ています。こういう状況がいつまで続くのか。そういうことを考えると、もう一刻の猶予もないことを考え、是非今年の中盤当りには解決の兆しが見える、やっとこれで解決しそうだという兆しがはっきりと見えるように是非していただきたいと思います。
安倍総理はこの拉致問題に関しては、前から考え方、態度、方針が全くぶれずに北朝鮮に強く当たっていく、自らの手で解決すると言われています。そしてまた北朝鮮に対して強い態度で臨んでおられます。
私たちは、北朝鮮がかなり困らなければ日本に歩み寄ってこないという判断もしています。今後の対応に当たっては、制裁もあるでしょう。あるいは国連を含めた取り巻く環境の援助も要るでしょう。色々な方法を駆使して是非、日本国政府が頑張っていただきたいという強いお願いが、今日我々家族の思いです。
皆様方におかれましても、この長くかかっている拉致問題は早く何とかせよという怒りの声が大きくなってきていると思います。いつも言うように、オールジャパンという形で、北朝鮮に向けて強いメッセージと対応を進めていかねければならない時期です。
今日は安倍総理もお見えになっています。最高責任者として、日本人が国家犯罪によって連れていかれた実情、そして家族の思い、これはすべてお分かりになっていると思います。あとは行動あるのみと私たちは思っています。今年は、「最終決戦のとき」という大きな表現の中で、なんとか結果を出すために、それぞれのお立場で頑張っていこうではありませんか。
そしてまたこういう雰囲気を是非北朝鮮に向けて強い怒りのメッセージとして送ろうではありませんか。
宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.