もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】日比谷公会堂(6)/松原 仁編

松原 仁(民主党拉致問題対策本部長代行。元拉致問題担当大臣


■「朝鮮総連の競売を取りやめてくれ」と北朝鮮筋が接触してきた

拉致問題の解決のために、今日もたくさんの方々にお集まりいただき、そのみなさんの力で、何としても早期の解決を一緒になって、オールジャパンで頑張っていきたいと思います。

4点申し上げたい。

[1点目。拉致はテロだ。テロを許すな!]
1点は、我々がもう1回、明快に認識をしなければならないことは、私たちが
何回かアメリカに行って国務省関係者と話した時に、リチャード・アーミテージ(Richard Lee Armitage)氏(元国務副長官)が、「拉致は現在進行形のテロである」と。
今、IS=イスラミック・ステイツという問題があるが、あそこが現在進行形のテロを犯しているのならば、北朝鮮による日本人拉致問題は今も続く、現在進行形の拉致であり、テロであり、このテロを行っている国を我々は許すことはできない。彼らは今、進行しているテロをしているんだということを、我々はもう1回怒りの根底にもたなければいけないと思っています。

[2点目。北朝鮮に圧力をかけてビシビシ締め上げろ!]
2つ目。今、古屋さんからいいお話がありました。拉致の解決は圧力がなければ解決しません。私がこの場所で何回も言っているように、かつてアメリカのジョージ・ブッシュ(George Walker Bush)さんによる「北朝鮮悪の枢軸」発言があって、北朝鮮側は極めて冷や汗をかき、アメリカの圧力、脅しによって拉致被害者5人が日本に帰国することができたわけです。
そういった圧力がなければ北朝鮮は対話をしません。張成沢チャン・ソンテク)という、まさに中国の代貸のような北朝鮮の政府高官が一昨年処刑され、中国の北朝鮮に対する圧力が高まる中で、北朝鮮は12年前と同じような状況になり、拉致の問題を含め議論しなければならない環境に追い込まれました。
それから約1年半が経過して、張成沢ショックは、中・朝間ではあの時よりは収まっているかもしれない。時間が経てば経つほど、拉致問題に関する強力な圧力は減ってしまう。その中で古屋さんが言うように、アメリカにおいて再び北朝鮮はテロ国家であるという決議が上がれば、これはブッシュさん以来の強力な圧力になる。
そして中国の張成沢処刑による圧力とダブルになって、拉致問題に対して彼らが対話をせざるをえない原点になると思っています。
こういう動きに対しては、党派に関係なく私も応援したいと思うし、今日皆さんと一緒になって、アメリカが同盟国として、北朝鮮に対して強い決議を上げることに期待し、また行動しようではありませんか。
宜しくお願いいたします。

[3点目。外務省、ヘタレはダメだ!]
3点目。このストックホルム合意。ここまで不誠実な北朝鮮の態度があった時に、ストックホルム合意に関して、私たちはどのようにしてこれを否定というか、棚上げというか、「違うんだよ」と言う。今日安倍さんがここに来て、強いメッセージを出しましたから、彼らも理解しているかもしれません。
しかしこれは、外務省も分かった上で、ストックホルム合意に関しては、徹底的に「そういうことなんだよ。違うんだよ」と北朝鮮側に言う必要があると思います。

[4点目。朝鮮総連中央本部の建物内の財産を差し押さえろ!]
4点目。私が拉致問題担当大臣の時に、北朝鮮側が私に様々なルートで接触する時に、彼らが言いたいことは1点でした。「朝鮮総連の中央会館をなんとかしてくれ。競売を取りやめてくれ」と。「日本は三権分立だからできませんよ」と言っても、「本気で拉致を解決しようと思うならできるはずだ」と。こんな議論があったわけです。
私は、彼らにとって、彼らの様々な面子、また彼らの実態から見て朝鮮総連がそこにあるということが彼らにとって大きなポイントです。逆に言えば、これは司法が三権分立の中でやることではあるけれど、この部分は日本にとって大きな切り札だと認識しています。
翻って今どうなったか。今、中央会館は競売でグリーンフォレストが買って、現に今、競売期間中も含めて、朝鮮総連が活動している。国の資金を使ったあの銀行の問題を含め、整理回収機構が今600億円を超えるお金をまだ回収していない段階で、誰がどう考えても一杯食わされた話になっている。許せないと私は思っています。
私は先般、質問主意書を出しました。例えば朝鮮総連の中に様々なビデオカメラがある。生活に最低限必要というものでなければ、全部回収機構が差押えすることができるわけです。それぐらいのことをやって、徹底的に揺さぶっていかなければ、彼らは今、収まったと安心しています。
安心させてはいけない。私はチェックは必要だと考えています。朝鮮総連をあのグリーンフォレストが買った。そしたら50億円の抵当権を、事実上朝鮮総連の管理下になる白山の出版会館が付けています。事実上、朝鮮総連が再びロンダリングをして、あの会館を取り戻したような図式になっている。
おかしい!
私はこのことに関しては、あらゆる法的手続きを取りながら、日本はそんなに甘くないぞというメッセージを北朝鮮に伝えなければいけないと思っています。
最終的には、政府の力強いリーダーシップ、外務省の気合の入った交渉、また古屋さんを中心とする議員外交にゆだねるわけですが、我々もオールジャパンで協力する。
もう時間がないんです。共に気合を入れて、取り戻すために行動して行きましょう。



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.