もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】日比谷公会堂(10)/井上義行編

井上義行(日本を元気にする会拉致問題対策本部長)


■今は、話し合うんじゃなくて、「拉致被害者を返せ」だ

みなさんこんにちは。
まず、ここにおられる家族の皆さんの家族が、未だに帰ってきていないことに対して、議員の一人としてお詫びを申し上げたいと思います。
これまで私も、10何年間拉致問題に取り組んできました。昨年も申しあげました。

[外務省よ、安倍首相の真意を正しく伝えろ!]
先ほど、中山先生や松原先生からも話があったように、ストックホルム合意によってむしろ北朝鮮を有利にしてしまったのではないかという気持ちでいっぱいですと。
あのストックホルム合意は、確かに拉致問題を話し合うことにはなっています。
しかし、北朝鮮から見れば、優先度については同時併行だと言いながら拉致問題を一番最後にしようとしている。
特に最近、北朝鮮から聞こえてくるのは、「安倍総理だけが拉致問題にこだわっている」という言葉です。私は、エッと思いました。それはやはり、安倍総理拉致被害者を帰国させることが最優先だという思いを、私は外務省が言っていないのではないかと思います。
拉致問題というのは、松原先生からもお話があったように、本当にテロですよ。私も国会で、「まさにイスラム国と同じじゃないか」ということを安倍総理に質問したところ、「拉致被害者を返さなければ北朝鮮は未来を描くことはできない」という答弁をされました。

[対話は拉致被害者を救出したあとのこと]
やはり、拉致被害者が帰ってきて初めて北朝鮮の様々な問題が話し合われることになるんだろうと思います。今は、話し合うんじゃなくて、「拉致被害者を返せ」ということなんです。
拉致被害者は存在し、政府も認めています。さらにリストもある。それを出すか出さないかの話です。私は、拉致問題においては、対話って本当にあるんだろうか、出すか出さないかという話なんですね、皆さん?これこそが不退転の決意なんです。話し合いで、「そうですか」ということではない。
外務省がもし話し合うのであれば、「私の腹を切ってまでも拉致被害者を返すまではここから戻らない」。こういう不退転の決意で臨まなければ、彼らは絶対動くことはありません。そのために、是非、全国の皆様に、本当に心の底からこの不退転の気持ちを伝える必要があると思います。

[選挙で拉致問題解決を訴える候補者が少なくなった]
最近の地方選でも、あるいは国政選挙でも、拉致問題を訴える人がすごく少なくなった。そんなことで拉致被害者が帰ってくるかと私は思います。是非、ここにいる皆さんが、一人ひとりに拉致問題の大切さ、そして拉致被害者を取り戻すこと、北朝鮮に向かって拉致被害者が帰ってこなければあなた方の未来はないということを、訴え続けようではありませんか。
皆さんに重ねてお願いがあります。
毎回この場でお願いばかりですが、私も北朝鮮拉致被害者を救出する法案を既に作っています。こうした法案で圧力をかけて、北朝鮮に向けて、拉致被害者の帰国なしに決して妥協することはないということを、言い続けることをお誓いし、ご挨拶とさせていただきます。
皆さん戦っていきましょう。



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.