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【みんな生きている】日比谷公会堂(23)/西岡 力編

西岡 力(救う会会長。東京基督教大学教授)


■各党で北朝鮮に未来を描かせないプロジェクトチーム立ち上げを

拉致被害者救出のために実力行使は出来ないのか]
一つ、まず申し上げたいことがあります。我が国は被害者を助けるために、武力行使ができないのかということです。
家族会・救う会では、北朝鮮が崩壊した時に、何ができるのか。崩壊した時に備えて、米軍、韓国軍は既に作戦計画を立て、軍事演習までしています。その時自衛隊は何をするのか。
アメリカの国防総省に行って、「崩壊した時の軍事作戦が立てられていると聞いているが、その作戦のミッションに被害者救出が入っているんですか」と直接聞いたことがあります。
国防総省の幹部は、「プロフェッサー西岡の言うことはよく分かる。しかし、作戦内容は秘密だ」と言われました。
第1次安倍政権以降、緊急事態にどうするかということを検討してくださっていると聞いています。ですから、手の内を明かす必要はないのですが、できる限りすべての手段を使うということの中に、色々なことが入っているんだということを北朝鮮に伝えておきたいと思います。

[「未来を描けない」ことをはっきりと北朝鮮にわからせてやれ!]
そして、今の状況についてですが、今日総理は、4月3日に続いて、「北朝鮮拉致問題を解決しなければ未来を描くことは困難だと認識させる」とおっしゃいました。これは大変重い発言だと思います。しかし、本当にそれができるのか。口だけになってはならないと思います。
ここで先生方にお願いです。自民党は既に、古屋対策本部長のもとに、先ほども発表がありましたが、制裁強化をするためのプロジェクト・チームができる。
連休明けにスタートするとおっしゃいました。その目標は、拉致を解決しなければ未来を描けないということを示すために、未来を描かせないプロジェクトにしていただかなければならない。
是非、民主党も維新の会も、公明党も、次世代の党、元気にする会も、順不同で申し上げましたが、拉致議連としても、未来を描くことを困難にすると総理が繰り返しおっしゃっていることが絵に描いた餅ではないことを示すための政策を作っていただきたい。そして法改正が必要なら、法改正もしていただきたい。
今まさに、安保法制の議論がされていますが、そういう中で日本は何ができるのか。できることを持っておいて、いつ発動するかというのを総理のポケットに入れなければ、「未来を描くことを困難にする」という総理の発言が向こうに通じません。

[署名の数は北朝鮮の人口の半分に達した]
そして先ほど、地方議連の松田会長が、「我々は諦めていない。地方で世論を盛り上げていく」と言いました。ここにいる全国の救う会の仲間もそうです。
毎月定例でずっと署名運動をやっています。寒い中でも、暑い中でもやってきたのが先ほどの署名の数です。もちろん、特定失踪者の家族や、色々な団体の方もしてくださったすべての署名を集めて日本の人口の10%になりました。北朝鮮の人口の半分です。
我々は怒っている、本当にあなたたちの未来はないんだぞということを、この数か月で示すことができるかどうかが勝負だと思います。総理が言ったことを向うが、「そんなことは口先だけのことだ」と思われてしまったらこれは負けです。
それだけ重いことをおっしゃったわけです。国会議員の90%を代表する党の先生方がここに集まって、「やる」と言ってくださっています。日本を甘く見たら何が起きるかわかりませんよと。

[DNAを調べればどこのマツタケなのかすぐわかる]
しかし、まだまだ北朝鮮は甘く見ています。日本が経済制裁をかけて、貿易を全部止めているにもかかわらず北朝鮮産のマツタケが日本に入ってきていたんです。
北朝鮮、そして朝鮮総連は、自分たちは不正輸出をしていないと争っていません。なぜならDNA鑑定してマツタケが中国産か北朝鮮産かわかるからです。朝鮮総連が今言っているのは、自分たちは関係ないと。しかし、そんなことはありません。
2011年に1.2トンの不正輸出があったと問題になっていますが、2012年には、全体の消費量が1,450トンの時に、200トンも北朝鮮産が入ってきているという有力な情報を私はつかんでいます。全体の消費量の14%です。堂々と制裁を破って彼らは外貨を稼いでいる。こういう状況では金正恩に未来を描くことは困難だと思わせることはできないんです。
朝鮮総連が組織ぐるみで不正輸出に加担していた可能性が高いから、議長と副議長の自宅が家宅捜索されたんです。去年の5月には、議長の次男の自宅と会社が家宅捜索されているんです。我々は厳格な法執行をするんだ、配慮なんかしないということを是非、示してほしいと思います。

[ほら見ろ!拉致被害者は「みんな生きている」!]
そしてみなさんの手元にあるチラシを見ていただきたいんですが、チラシの裏には被害者が生存しているという根拠が書いてあります。先ほどから、「調査結果なんかもう必要ない。生きてる人を返せ」と言っているわけですが、それには根拠があるんです。官房長官も、「もちろん生存していると私どもは確信しています」とおっしゃっています。
高兄弟を入れて14人ですが、日本政府が、北朝鮮が「死亡」と通告した14人について、客観的証拠が一つもないと言っているんです。
それだけではなく、市川修一さんについては1996年まで生きていた、めぐみさんについては2001年まで生きていた、田口八重子さんについては去年まで生きていたという情報があるんです。これはごく一部の情報です。


■まさに「最終決戦のとき」、ここ数か月で北朝鮮に未来を描かせない政策実施を

[死亡の根拠を作ってきたら、その瞬間に「殺したんだ!」と叫ぶ]
ですから先ほど増元さんが心配したように、もしも死亡の根拠を作ってきたら、その瞬間に「殺したんだ!」と我々は叫びます。なぜなら生存情報を持っているからです。生きている人を返しなさい。そうしなければあなたたちのほしいものは一切与えられませんよ、全員返すという決断をしなさい、ということを外務省は北朝鮮に言っているのか。
例えば北朝鮮に対して、菅官房長官は、「拉致被害者はすべて北朝鮮が管理していると私たちは思っています」と言いました。これは国会で松原 仁先生の質問に答えたものです。管理しているということは再調査委員会は必要ないんです。
というふうに菅官房長官は言っていますがどうなっているんですか、と局長は北朝鮮に迫っているのか。
あるいは総理が繰り返し言っている、「未来を描くことを困難にしますよ」と言っているのか。言っていないのだとすると、残念ながら中山先生の指摘が正しいことになる。つまり、中山先生は、「もう外務省ははずして拉致だけを専門に交渉するチームを作るべきだ」と繰り返しおっしゃっています。
それが間違っていると外務省の方々が言うのであれば、少なくとも総理が言っていること、官房長官が言っていることをまっすぐ、交渉の場で北朝鮮に伝えているのか。そしてそれをバックアップするためにも、国民は怒っている、本当に未来はない、朝鮮総連はこのままいったら潰れる、北朝鮮も世界中から孤立する、外貨が入ってこなくなる、日本はそれくらいのことはやるという具体的な政策をここ数か月で見せることができるかどうか。それが勝負だと思っています。
まさに「最終決戦のとき」です。
不退転の決意で全員救出に向け共に頑張りましょう。



拉致事件に関する北朝鮮の嘘】
北朝鮮が「1979年に死亡した」と日本側に伝えた市川修一さんは、1996年まで金正日政治軍事大学から龍城招待所まで日本語を教えに行っていた。
北朝鮮が「1994年に死亡した」と日本側に通報した横田めぐみさんは、2001年まで平壌の龍城区域の七宝山招待所で暮らしていた。1987年に順安区域招待所に移り、そこで金英男(キム・ヨンナム)氏と会って同居し、結婚した。1993年に夫との不和で離婚した。1994年4月、めぐみさんは義州の49号予防院に入院させられたが、1日後に呼び戻され平壌の49号予防院に入った。1994年9月、対日工作員と再婚。1996年11月に男子を出産した。
北朝鮮が「1986年に死亡した」と日本側に通報した田口八重子さんは、2014年に肝臓の病気で治療を受けていることがわかっている。



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.