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【みんな生きている】労働新聞写真編

《三代世襲のレジテマシーに疑問符。金日成主席と正恩氏の2ショット写真なし。面識もなかった》

【ソウル聯合ニュース
北朝鮮朝鮮労働党機関紙『労働新聞』は4月15日に故・金日成(キム・イルソン)主席の生誕103年を迎えるのに合わせ13日の紙面に金主席の写真を大きく掲載したが、孫に当たる金正恩キム・ジョンウン)第1書記と共に写っている写真はなかった。
北朝鮮メディアは金主席や故・金正日キム・ジョンイル)総書記の誕生日、朝鮮労働党朝鮮人民軍の創建記念日には通常、金主席と金総書記、または金総書記と金第1書記が共に写っている写真を紙面の複数のページに掲載する。
金第1書記は外見から市民とのスキンシップを強調する統治スタイルまで、祖父の金主席を真似ているが、2人が一緒にいる瞬間を捉えた記録は公開されていない。
北朝鮮が、2人が共に写っている写真を公開しないのは、もともとそういった写真がないからだとする指摘が出ている。
金第1書記は政権に就いてから常に金主席を意識した外見や政策を取ってきており、金主席と撮影した写真が1枚でもあればすでに公開されているはずだ。
ある北朝鮮消息筋は

「金第1書記は祖父の金主席に一度も会ったことがないため一緒に撮った写真もあるはずがない」

と話した。
また、別の北朝鮮消息筋は

「金第1書記の母親、故・高英姫(コ・ヨンヒ)氏が生前、自分が産んだ息子のうち1人を金総書記の後継者にするため金主席に近づこうとしたが、金総書記が強く制止したため接近できなかったようだ」

と述べた。
金総書記が父親である金主席の前で正式に結婚式を挙げた夫人は2番目の妻の金英淑(キム・ヨンスク)氏だけ。金総書記は他に同居した夫人との間にできた子どもが金主席に近づくことを固く禁じたとされる。
金主席が生前、金総書記と他の夫人との間に子どもがいたことを知っていたかどうかは定かではないものの、会ったことは一度もなかったようだ。
金第1書記だけでなく、実兄の正哲(ジョンチョル)氏、妹の与正(ヨジョン)党副部長、異母兄の正男(ジョンナム)氏も金主席に会ったことがない。
ソウル大統一平和研究院の張容碩(チャン・ヨンソク)上級研究員は

「金主席と金第1書記が一緒に撮った写真が1枚でもあれば、世襲の正当性を強調するために金第1書記が政権に就いた初期に公開されているはずだ」

と説明した。
その上で

「2人が一緒に撮った写真がないというのが定説」

とした。



《参考・全巨里教化所》

脱北者が証言する北朝鮮教化所での「狂気の沙汰」(2011年)】
「遺体から流れた血や体液でぐちゃぐちゃになった床を歩いたことがあるだろうか?私は毎日がそうだった。遺体を食べて丸まると太ったネズミを見たことがあるだろうか?私はそれを毎日見かけていた」
脱北者のイ・スボクさん(55歳)は北朝鮮北東部の咸鏡北道会寧市にある全巨里(チョンゴリ)教化所に収監されていた当時、遺体の処理を担当していた。教化所は刑務所に相当する施設で、政治犯や経済犯が収容されているとされる。
イさんは

「教化所では遺体を50体~60体ずつ積み上げていた。これほどの地獄は他に無い」

と当時の残酷な光景を思い起こした。
イさんは1990年半ばに先に脱北した異母兄弟から生活資金の支援を受けていたことが保衛部に発覚、「スパイだ」として拷問を受けて教化所に連れて行かれた。
イさんは「密輸犯」として1999年6月~2001年1月まで服役した。その後、北朝鮮で外貨稼ぎをしていたところ「反動」扱いされ、昨年8月に脱北して韓国に渡った。
イさんは

「1年6ヶ月の服役期間に教化所で850人の遺体を処理した」

と証言した。
当時、全巨里教化所には最大約1,200人が収容されていた。イさんが担当していた遺体保管所は3m四方で、床はセメントだった。また、収容者は栄養状態が極度に悪く、病気になっても治療を受けられないまま重労働をさせられていた。

「年齢や性別を問わず、ほぼ毎日麻袋やビニール袋に入った遺体1、2体が運ばれて来た」

遺体は保管所に積み上げて置き、1ヶ月に1回ほど火葬場にトラックで運んで処理されていた。
イさんは

「遺体をすぐに火葬せずに積み上げるのは、遺体を運ぶトラックの燃料が足りないためだ」

と説明した。
イさんは6月21日、こうした北朝鮮の人権侵害状況を韓国国家人権委員会北韓人権センターに届け出た。6月22日で設置から100日目を迎えた同センターには23件、申し立て人数計718人の届け出が寄せられた。
イさんは

「遺体を食べるネズミの姿が今でも忘れられない。体が30cmにも達するネズミもいて、丸まると太っていた。積み上げられた遺体はネズミやウジ虫に食べられて軽くなるほどだ」

と語った。
教化所内部でも遺体保管室は秘密施設だったという。教化所の病院に隣り合う遺体保管室の横では常に武装した軍人が警備にあたっており、一般の収容者は中を覗き見ることが出来なかった。
教化所で人の死は日常の出来事だったという。
イさんは

「腹が減ったまま働いて倒れたり、山で毒草を食べて死んだりするケースも多かった。拷問を受けたり、殴り殺されたりする例も頻繁にあった」

と語った。
収容者が死んでいくことは全く問題視されなかったという。
イさんは

「教化所の収容者は『どうせ反動分子だ』と思われていたため、収容者が死ぬことを気にかける人はいなかった」

と話した。

【反動、反動分子】
北朝鮮では反体制のことを反動と呼ぶ。また、反体制者のことを反動分子と呼ぶ。
ちなみに、日本人は「日本反動分子」。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。