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【みんな生きている】藤田 進さん・田口八重子さん/TVK

《拉致は人権侵害の総本山!藤田 進さんと田口八重子さんを救出しろ!》

北朝鮮による拉致被害者田口八重子さんの出身地である埼玉県川口市で1月31日、拉致問題を考える集いが開かれました。
集いでははじめに田口八重子さんと同じく川口市出身で、北朝鮮による拉致の疑いが強い特定失踪者・藤田 進さんの弟・藤田隆司さんが講演しました。
藤田さんは

拉致被害者は氷山の一角で、拉致問題は知っていても特定失踪者を知らない人は多い。世論や国際社会を巻き込んでなんとしても家族を取り戻したい」

と述べました。
このあと、田口八重子さんの兄で、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表の飯塚繁雄さんが

「政府間協議が進められているが、私たちがほしいのは経過ではなく結果。国際社会と日本が連携して取り組めるよう国民からの怒りの声をあげてほしい」

拉致問題の解決に向けて呼びかけました。

※「アメリカはローラ・リンさんとユナ・リーさんのときはクリントン元大統領、アイジャロン・マーリ・ゴメスさんのときはカーター元大統領が直接平壌に乗り込んだ。日本にも元総理がたくさんいる。その中の一人でも拉致被害者のために平壌に行ったらどうなんだ。誰かいないのか」
上田清司埼玉県知事)

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《埼玉県警公開特定失踪者・片岡 清さんについて》
◆氏名:片岡 清
(かたおかきよし)
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:埼玉県草加市
◆身長:160cmくらい

【失踪状況】
昭和44年6月頃、埼玉県草加市内で行方不明になっています。

《埼玉県警公開特定失踪者・宮坂昭二さんについて》
◆氏名:宮坂 昭二
(みやさかしょうじ)
◆当時の年齢:27歳
◆住所:埼玉県戸田市美女木
◆当時の職業:清掃員

【失踪状況】
昭和50年7月上旬、会社から家族に「二人とも出社しなくなった」と連絡があり行方不明になっていることがわかりました。
(弟の宮坂昭三さんと一緒に行方不明となりました)

《埼玉県警公開特定失踪者・宮坂昭三さんについて》
◆氏名:宮坂 昭三
(みやさかしょうぞう)
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:埼玉県戸田市美女木
◆当時の職業:清掃員

【失踪状況】
昭和50年7月上旬、会社から家族に「二人とも出社しなくなった」と連絡があり行方不明になっていることがわかりました。
(兄の宮坂昭二さんと一緒に行方不明となりました)

《埼玉県警公開特定失踪者・南 繁治郎さんについて》
◆氏名:南 繁治郎
(みなみしげじろう)
◆当時の年齢:47歳
◆当時の住所:埼玉県越谷市大字平方
◆当時の職業:自営業
◆身長:168cmくらい

【失踪状況】
昭和62年7月20日、「集金に行ってくる」と言って車で出かけたまま行方不明になりました。

《埼玉県警公開特定失踪者・金井健一郎さんについて》
◆氏名:金井 健一郎
(かないけんいちろう)
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:埼玉県上尾市谷津
◆当時の職業:無職
◆身長:168cmくらい

【失踪状況】
平成4年8月下旬、自宅を出たまま行方不明になりました。

拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。