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【みんな生きている】早坂勝男さん/JNN

《拉致は人権侵害の総本山!早坂勝男さんたちを救出しろ!》

【1月29日木曜日】
北朝鮮に拉致された可能性が否定できない、いわゆる「特定失踪者」の家族たちが、東京都内にある失踪者の勤務先等の現地調査に訪れました。
これは「特定失踪者問題調査会」(調査会)が2011年から全国各地で行っている「1万キロ現地調査」の一環で、29日、荒木和博代表たちが都内で失踪したとされる男女5人の失踪した場所や当時の勤務先を訪れました。
このうち、47年前の1968年に墨田区内で失踪したとされる宮城県出身の印刷工・早坂勝男さん(失踪当時24歳)の家族も調査に同行しました。
荒木代表によりますと、男性4人は、当時の年齢が20代前半、印刷関係の仕事をしていた等の共通点があるということです。
「特定失踪者」の中で、印刷関係者は今回の5人を含め、10人に上るということで、北朝鮮で作っているとされる偽ドル札「スーパーノート」の製造に関与させられた疑いが持たれています。

《特定失踪者・中塚節子さんについて》
◆氏名:中塚 節子
(なかつかせつこ)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年6月16日
◆生年月日:昭和20(1945)年6月5日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:155cm~158cm
◆当時の身分:印刷会社勤務
◆特徴:
1)色白
2)富士額
◆失踪場所:東京都文京区の会社の近く

【失踪状況】
仕事を終えて「ちょっと出かけてくる」と同僚の男性と小銭を持ってサンダル履きで出かけたまま行方不明。
おやつでも買いに出た感じだったという。

《特定失踪者・小林 榮さんについて》
◆氏名:小林 榮
(こばやしさかえ)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年8月21日
◆生年月日:昭和18(1943)年4月29日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:160cm
◆体重:60kg
◆当時の身分:印刷会社社員
◆当時の住所:東京都千代田区神田猿楽町
◆特徴:
1)昭和41年頃、「ボクシングをやるためにジムに入る」と言っていた。
2)活動的で中学時代は陸上部に入りマラソンなどをしていた。
◆失踪場所:東京都千代田区

【失踪状況】
数日来体調を崩し仕事は休んでおり、当時住み込みで働いていた印刷会社から「医者に行く」と会社の者に言い残し外出したまま行方不明になっている。
失踪する心当たりはなく、身の周りのもの、荷物などいつもの通りだった。
失踪1カ月して勤務先の社長から失踪した旨の手紙が実家に来た。
昭和35年頃から失踪当時の印刷会社で働いていた。

《特定失踪者・日高信夫さんについて》
◆氏名:日高 信夫
(ひだかのぶお)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年9月
◆生年月日:昭和19(1944)年11月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:155cm
◆体重:50kg
◆当時の身分:印刷工
◆特徴:印刷機による事故のため、右手人指し指第2関節と中指第1関節欠損
◆失踪場所:東京都台東区上野駅

【失踪状況】
当時東京都新宿区の印刷会社に勤務していたが、「大阪で新しい仕事場が決まった」というので、友人が上野駅まで見送りに行った。その後行方不明。
平成18年11月6日、警視庁に告発状を提出。

《特定失踪者・早坂勝男さんについて》
◆氏名:早坂 勝男
(はやさかかつお
◆失踪年月日:昭和43(1968)年4月頃
◆生年月日:昭和19(1944)年1月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:東京都墨田区石原
◆身長:156cm
◆体重:55kg
◆血液型:A型かO型
◆当時の身分:印刷会社社員
◆特徴:印刷の仕事で指を怪我し、親指と人さし指がやや変形している
◆失踪場所:東京都墨田区

【失踪状況】
墨田区の下宿先から失踪。
正月に兄弟とその家族7人で過ごしている。別の兄の話によると2月か3月にケガで入院した。
失踪後数ヶ月して、会社から本人の友人に荷物を引き取ってくれと電話ある。

《特定失踪者・小谷幸夫さんについて》
◆氏名:小谷 幸夫
(こたにゆきお)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年7月21日
◆生年月日:昭和22(1947)年2月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆身長:170cmより高め
◆体重:55kg~56kg
◆当時の身分:大学4年生
◆失踪場所:山形県飯豊連峰・飯豊本山付近

【失踪状況】
拓殖大学4年生在学中の夏休み、北海道へ帰省する途中に、飯豊連峰に登山中行方不明に。
19日に上野駅を出発し、翌日郡山を経て8:30に磐越西線山都駅に到着。
バスで登山口の一ノ木登山連絡所に行き、9:30頃に登山者名簿に記録を残す。
そこから飯豊山(2,205m)へ向かい、同日は手前の小屋に止まる。
21日朝3:30に同宿した4名とともに飯豊山を目指し、4:40頃に飯豊山着。
ここからガスがかかりだしたことから、同行の4人は引き返したが、小西さん一人御西岳に向かい、そのまま行方不明。
地元警察などが捜索を行ったが遺留品など一切なし。
その後2年にわたって捜索が続けられたが全く手掛かりがなかった。
同泊した登山者の話では、小谷さんは「北股岳を通る」「朝日連峰にも登りたい」と話していたという。
※小谷幸夫さんに関する情報を御存じの方は、どんな小さなことでも結構ですから、山形県警察本部警備部警備第一課に情報をお寄せ下さい。

《特定失踪者・布施範行さんについて》
◆氏名:布施 範行
(ふせのりゆき)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月
◆生年月日:昭和29(1954)年2月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:アルバイト(プレハブ工事現場)
◆当時の住所:愛知県名古屋市
◆特徴:やせ型
◆失踪場所:不詳

【失踪状況】
3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。
3カ月前に実家で会ったときとは別人の様相。
「2カ月で帰る」とあったがその後連絡なし。
預金通帳、印鑑も一緒に妹に送付。
昭和53年2月までは実家に電話、手紙あり。同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。
失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。
平成17年1月31日、山形県警に告発状提出。
※布施範行さんに関する情報を御存じの方は、どんな小さなことでも結構ですから、山形県警察本部警備部警備第一課に情報をお寄せ下さい。

《特定失踪者・齋藤 武さんについて》
◆氏名:齋藤 武
(さいとうたけし)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年10月30日
◆生年月日:昭和20(1945)6月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆身長:168cm
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:神奈川県横浜市
◆特徴:子供の時、凍傷で左手親指の爪が欠落。
◆失踪場所:神奈川県横浜市

【失踪状況】
昭和60年1月にアパートの大家から家賃未納の手紙が届き、失踪していることが判明した。
家人が会社に問い合わせたところ、昭和59年10月で退職し、以後行方不明であるとのことであった。
失踪者の部屋の様子は衣服にカビが生え、缶詰は錆び付いているなど数年間も住んでいなかったような感じで、荷物もそのままの状況だった。
※齋藤 武さんに関する情報を御存じの方は、どんな小さなことでも結構ですから、山形県警察本部警備部警備第一課に情報をお寄せ下さい。

山形県警公開特定失踪者・大宮のぶ子さんについて》
◆氏名:大宮 のぶ子
(おおみやのぶこ)
◆当時の年齢:36歳
◆当時の職業:新聞配達員
◆当時の住所:京都府京都市
◆:身長166cmくらい

【失踪状況】
平成3年5月上旬、当時住んでいた京都市内のアパートから姿を消して、以来行方不明になっています。
※大宮のぶ子さんに関する情報を御存じの方は、どんな小さなことでも結構ですから、山形県警察本部警備部警備第一課に情報をお寄せ下さい。



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.