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【みんな生きている】賀上大助さん/NHK[徳島]

《拉致は人権侵害の総本山!賀上大助さんを救出しろ!》

北朝鮮による拉致問題への認識を深めてもらおうという講演会が徳島市で開かれ、拉致された疑いが排除できないとされている賀上大助さんの母親が、「全面解決に向けて多くの人が声を発し続けてほしい」と訴えました。
徳島県が開いた講演会にはおよそ120人が集まり、この中で、平成13年に勤務先の大阪で消息が途絶え、民間の団体「特定失踪者問題調査会」が北朝鮮に拉致された疑いが排除できないとしている徳島県阿南市出身の賀上大助さんの母親・文代さんが講演しました。
文代さんは、息子が行方不明になって以降の心境を振り返り、

「息子がいなくなった悲しみの涙より、周囲を動かすことができない無力感による悔し涙のほうが多かった」

と述べ、問題解決への多くの人の理解を呼びかけました。
そして、

「失踪者たちは迎えに来てくれることを信じて待っていると思います。妥協することなく、1日も早い全面的な解決に向けて多くの人たちが声を発し続けてほしい」

と強い口調で訴えると、会場に集まった人たちは真剣な表情でうなずいていました。
警察が北朝鮮による拉致の可能性が排除できないとしている行方不明者は、徳島県関係の8人を含め、全国で881人いて、徳島県は、解決に向けて啓発活動を続けていきたいとしています。

《特定失踪者・賀上大助さんについて》
◆氏名:賀上 大助
(かがみだいすけ)
◆失踪年月日:平成13(2001)年12月22日
◆生年月日:昭和53(1978)年8月17日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:大阪府大阪市淀川区、阪急十三駅近くの社員寮
◆身長:169cm
◆体重:64kg
◆当時の身分:会社員
◆特徴:
1)左目下に小さいほくろ
2)近眼
3)本来は左利きだが筆記と箸は右
4)虫垂炎の手術跡
5)音楽好きでピアノが弾ける
◆失踪場所:大阪府大阪市の会社の寮

【失踪状況】
22日午後2時頃帰寮したのを防犯カメラで確認。
午後9時に電子メールを出している。
午後10時18分、部屋のドアを施錠したあと、足取り不明。
夜出歩くタイプではない。
眼鏡、携帯充電器が残されている。
財布、携帯電話くらいしか持って出ていない。
預金も手つかず、携帯からの発信は22日午前零時以降なし。
友人との約束、上司との会話から年末は徳島県の実家に帰るつもりでいたことが窺える。
帰省に備え預金5万円を別の銀行に移している。

《特定失踪者・戸島金芳さんについて》
◆氏名:戸島 金芳
(としまかねよし)
◆失踪年月日:昭和30(1955)年1月14日
◆生年月日:昭和10(1935)年12月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆身長172cm~173cm
◆当時の身分:農家手伝い。農閑期には山口県に出稼ぎに行っていた
◆失踪場所:徳島県貞光駅

【失踪状況】
東京に住んでいた弟に会いに行くと言って、暗くなって徳島県美馬町の自宅から出かけた。
母親が小遣いを持たせたが、翌日に家に全額送られてきた。
残された写真の裏には書き置きのようなものがあった。
失踪の何ヶ月か前から、夜中に部屋から朝鮮語のラジオの放送が聞こえていた。
悩んでいた様子があった。

《特定失踪者・正木冽子さんについて》
◆氏名:正木 冽子
(まさきれつこ)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年9月24日
◆生年月日:昭和17(1942)年12月23日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:157cm
◆当時の身分:看護師
◆当時の住所:香川県
◆特徴:丸ぽちゃ
◆失踪場所:徳島県徳島市眉山公園山頂

【失踪状況】
徳島市眉山公園山頂で行方不明。
前日9月23日、香川県大川郡引田町のバーで友人が目撃。

《特定失踪者・七條 一さんについて》
◆氏名:七條 一
(しちじょうはじめ)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月10日
◆生年月日:昭和23(1948)年8月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆身長:165cm
◆靴のサイズ:24.5cm
◆当時の身分:明治大学政経学部政治学科3年生
◆当時の住所:東京都杉並区
◆特徴:
1)中肉中背
2)右利き
3)眼鏡着用
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:石川県金沢市

【失踪状況】
北陸方面を旅行。
8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市ユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。
9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市ユースホステルに再度宿泊。
10日朝出発し、以後消息不明。
「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。
2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。
事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・松岡伸矢さんについて》
◆氏名:松岡 伸矢
(まつおかしんや
◆失踪年月日:平成元(1989)年3月7日
◆生年月日:昭和59(1984)4月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:4歳
◆当時の住所:茨城県牛久市
◆特徴:
1)左利き
2)右眉上に米粒大のうすい傷跡
◆失踪場所:徳島県美馬郡貞光町の親戚宅前

【失踪状況】
前日3月6日、両親と共に徳島県小松島市で祖母の葬式に出席。その夜は親戚宅で就寝。
朝起きて8時15分頃、父・姉・弟・従姉妹と親戚宅前を数分散歩。玄関から入ってこなかったので、父は抱いていた弟を家の中の母に渡し、すぐに玄関先に出てみたが、そこにいたはずなのにいなくなっていた。
すぐに家族で手分けして探し、昼過ぎには警察に通報し、警察犬も出動。警察・消防・地元市民による大規模な山狩りもしたが消息不明。
3月15日頃の夜、親戚宅にいる母親宛に徳島弁の女性から不審な電話があった。
13年間テレビ番組などを通じ探したが手がかりなし。
また、平成元年4月の終わりか5月の終わりに徳島県海部郡日和佐町の弁天浜の岸壁で「伸矢さんによく似た子供を抱いて海を見ていた不審な男性を目撃した」という情報がある。
日和佐は北朝鮮の船が来航する港の一つ。

徳島県警公開特定失踪者・和久一美さんについて》
◆氏名:和久 一美
(わくかずみ)
◆当時の年齢:21歳(行方不明当時)
◆当時の職業:無職
◆当時の住所:徳島県徳島市
◆身長:162cm
◆特徴:痩せ型

【失踪状況】
和久一美さんは、昭和49年12月29日夜、「ちょっと出掛ける」と自宅を出た後、行方不明になっています。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。