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【みんな生きている】曽我ひとみさん/NHK[新潟]

《拉致は人権侵害の総本山!曽我ひとみさん、「調査団派遣しないで」》

北朝鮮による拉致被害者曽我ひとみさんが10月15日で帰国から12年になるのに合わせて署名活動を行い、政府が拉致被害者等の調査の詳細を聞くために北朝鮮に担当者を派遣する方針であることについて、「調査結果が出ていない段階での派遣はやめて頂きたい」と話し、政府に慎重な対応を求めました。
昭和53年、19歳の時に新潟県佐渡市の自宅近くで母親のミヨシさんとともに北朝鮮に拉致された曽我ひとみさんは平成14年に帰国を果たしましたが、母・ミヨシさんの消息は今も分かっていません。
曽我さんは今月15日で帰国から12年になるのに合わせて12日、地元で拉致被害者の救出を求める署名活動を行い、多くの人が足を止めて応じていました。
曽我さんは

「この12年間は大変なことやうれしいことがたくさんありましたが、多くの人の支えで今は落ち着いた暮らしができています。働いている介護施設では、お年寄りを自分の母と重ね合わせてお世話をしています。母の一刻も早い帰国のために何ができるか毎日考えていますが答えが見つかりません」

と話していました。
また、政府が拉致被害者等の調査の詳細を聞くために北朝鮮に担当者を派遣する方針であることについて曽我さんは、

「はっきりとした調査結果が出ていない段階で向こうに行って話し合うのは本当に不安です。いま派遣するのはやめて頂きたい」

と話し、政府に慎重な対応を求めました。

◆昭和53(1978)年8月12日
母娘拉致容疑事案
被害者:曽我ひとみさん(拉致被害時19歳)
被害者:曽我ミヨシさん(拉致被害時46歳)
「2人で買い物に行く」と言って出かけて以来失踪。
ひとみさんは平成14年10月日本に帰国。
ひとみさんの夫(ジェンキンス氏=アメリカ人)と2人の娘も平成16年7月に渡日・帰国。
北朝鮮側は、曽我ミヨシさんは北朝鮮に入境していないとしている。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称キム・ミョンスクについて、平成18年11月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

※「私は、1978年北朝鮮に拉致されました。ちょうどお盆の前の8月12日の土曜日でした。私は看護師の仕事をしながら、決まって土曜日には家に帰り、日曜日の午後にまた寮に帰るという生活が続いていました。ちょうどその日も土曜日で、午後家に帰りました。お盆前ということで、母が少し足りないものがあるので買い物に出かけようということになりました。その時、6つ違いの妹がいたんですが、妹も母と一緒にでかけたい、私も1週間会えなかったので1週間にあったことを色々話をしたかったので、一緒に行くより母親と二人きりで行きたいなという気持がありまして、妹とちょっとだけけんかをした覚えがあります。それで結局、私と母と一緒に買い物にでかけることになりました。行きは病院であった話などを色々しながら、楽しく店まで着きまして、店で買い物を終えてまた家に帰る途中のことでした。歩道を歩いていたんですが、もう薄暗くなっている時間帯で7時は過ぎていたと思います。夏場ですので、7時を過ぎてもまだぼんやりと明るいくらいの時間帯でした。母と話をしながら歩いていましたら、何かちょっと後ろの方から人の気配を感じまして、一
度後ろを振り向きました。そうしたところ、男の人が三人、縦並びじゃなく、横並びで、私たちのあとをゆっくりとついてくるのが見えました。“なんか変な男の人たちが後ろから付いてくるね”と母と話しながら、“気味が悪いから早く帰ろう”と、少し足早に歩き始めた時でした。後ろから三人の男の人が急に駆け寄ってきまして、道端にある植え込みの中に私と母親を引きずりこみました。その時私は口を塞がれて、袋を被されました。一緒にいた母親は、そのとき以来一度も声を聞くこともなく、姿を見ることも今までありません。本当に夢のような話で、自分自身もよく分からないところがいっぱいあります。その後ですが、私は袋に入れられたまま小さな船のところまで行きました。その船の上にしばらくいましたが、ちょっと離れた所で日本語を話している声が聞こえてきました。その日本語は佐渡の人が話している佐渡弁ではなく、日本人でもない、ちょっと発音が違う、そんな印象を受けています。私も袋を被されたままの状態だったので、話している内容というのはよく分かりません。その後、しばらくしてから大きな船に乗せられて、次の日の夕方北朝鮮清津(チョ
ンジン)というところに着きました」
曽我ひとみさんの証言)



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。