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【みんな生きている】横田めぐみさん/産経新聞

《拉致は人権侵害の総本山!横田めぐみさんを救出しろ!》

北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさん(拉致当時13歳)が10月5日に誕生日を迎え、50歳になった。
今年7月に拉致被害者らの再調査が始まったが、報告時期は当初の予定から遅れ、帰国のめどは立っていない。
誕生日前に開かれた集会で、両親や同級生はめぐみさんの早期帰国実現を訴えた。
めぐみさんが拉致前によく歌っていたという「翼をください」に祈りを込め、めぐみさんが自由を得る日を待ちわびている。


■「最後まで信じている」

日本中が熱狂した東京五輪(昭和39年)が開幕する5日前の10月5日、名古屋市でめぐみさんは誕生した。体重3260グラム。元気な女の子だった。
誕生日前日の今年10月4日、神奈川県川崎市中原区で開かれた集会で、めぐみさんの母・早紀江さん(78歳)は

「いつもこのころになると、長い時間がかかってやっと生まれた大きな女の子を抱いた感触を思いだす」

と当時を振り返った。
誕生から13年後の昭和52年11月15日、めぐみさんは中学校からの帰り道、自宅近くで北朝鮮工作員に連れ去られた。それから37年になるが、北朝鮮はめぐみさんを拉致したことを認めながら、「死亡した」と主張。今もその立場は変わっていない。
だが、めぐみさんを「死亡」とする北朝鮮の説明は何の根拠もない。
だからこそ、父・滋さん(81歳)は

「死亡している可能性は非常に少ないと思っている」

と、めぐみさんの生存を信じ続けている。
10月4日の集会でも早紀江さんは

「女親というのは、命をつないでいるという感覚がある。毎日『どうしたら助けてくれるのだろうか。私は今日にでも命がないかもしれない。早く』という声が聞こえるんです。姿は見えないけど」

と明かした。
7月に始まった拉致被害者らの再調査の結果報告について、日朝両政府は当初「夏の終わりから秋の初め」で合意していたが、北朝鮮は9月18日、一方的に遅れることを通告。今後、いつ報告が行われるかも不透明なまま。今年も帰国のめどが立たないまま、めぐみさんは50歳になった。
4日の集会終了後、めぐみさんが50歳になることについて、早紀江さんは

「50歳になったなんて考えられない年なんです。私たちにとっては…」

と話した。
夫妻には50歳のめぐみさんの姿を確認するすべがないからだ。
めぐみさんの同級生と会うたび、今の50歳は若く感じられるという。
早紀江さんは

「一年でも早く日本で良い時間を過ごしてもらいたい。それだけです」

と話し、滋さんも

「一刻も早く顔が見られる日が来るよう願っている」

と今後の事態進展に期待を寄せた。


■「あの笑顔にもう一度」

めぐみさんの早期帰国を願う気持ちは小中学校時代の同級生も変わらない。同級生たちは平成22年から毎年、新潟市でめぐみさんの早期救出を願うチャリティーコンサートを開き、世論啓発を続けている。
同級生の会の代表、池田正樹さん(50歳)は新潟市立新潟小、市立寄居中でめぐみさんの同級生だった。24年に待望だった長男を授かった。

「子供ができ、自分よりも大事な存在ができて、改めて(めぐみさんの)両親のつらさが分かった」。

その思いで救出活動を続けている。
拉致のため、同級生の記憶には13歳までのめぐみさんしかいない。それでも、明るく、優しかったというめぐみさんの印象は今も同級生たちの心に強く残り続けている。
小、中学校の同級生でバドミントン部でも一緒に活動した清水雅生(まさお)さん(50歳)は中学の入学式直後、学校の桜の木の下で、制服を着ためぐみさんを滋さんが撮影したときの様子を今も思いだすという。めぐみさんは病気のため入学式を欠席していた。そのため、別の日に記念写真を撮っていたのだ。

「当時、私は部活で学校にいて、(めぐみさんが)制服だったからどうしたのかなと印象に残っている」

と清水さん。
新潟で同窓会に参加し、昔話をするたびにめぐみさんの不在を感じ、

「拉致がなかったら本当は一緒にいたんだろうな。一緒に騒いでいたんだろうなって。あの笑顔にもう一度会いたい」

と話す。


■「どんな翼でもいい」

今年から同級生の会に加わり、活動を始めた同級生もいる。
新潟市に住む主婦、佐藤龍子さん(49歳)は、全国各地でさまざまな人たちが活動する姿を見て

「同級生の会を盛り上げることが自分の役割だと思った」

と参加を決めた。
今も全国を飛び回り、めぐみさん救出を訴える両親の姿を見るにつれ、思わず涙がこぼれるという佐藤さん。

「拉致された日から、両親に『ただいま』といえない状態が続いている。めぐみさんにただいまと言って帰ってきてほしい」

と訴える。
今年7月、拉致被害者らの再調査が始まったが、今のところめぐみさんらの帰国につながるような進展は見られない。
小中学校の同級生で神奈川県平塚市に住む角田雅子さん(50歳)は

「間もなくだと思っていたのに、また延びそうでがっかり。これ以上、時間稼ぎのようなことはやめてほしい」

と訴える。
今年は9月21日に新潟市でめぐみさん帰国を祈るチャリティーコンサートが開かれた。
毎年、バイオリンを演奏している同級生の吉田直矢さん(50歳)は毎回、

「今回で本当に最後にしたい」

と願っている。
だが、その思いはかなわず、今年もステージの上で早期救出を願うメロディーを奏でた。コンサートの終盤、同級生たちはステージに立ち、「翼をください」を合唱した。めぐみさんが自由になる日を夢見て、歌い続けた同級生たち。
その歌声を会場で聞いた早紀江さんはめぐみさん帰国への思いをこう吐露した。

「白い翼でも、黒い翼でも、赤い翼でも、青い翼でも何でも結構です。本当に帰って来られる翼を与えてください」。

同級生たちも思いは同じだ。めぐみさんが「翼」を得るその日を待ちわびている。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。