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【みんな生きている】日比谷公会堂(5)古屋圭司編

古屋圭司自民党拉致問題対策本部長。前拉致問題担当大臣


■トンネルの先には必ず明かりがある

私は1年8か月、拉致問題担当大臣を勤めましたが、1年8か月前、思い起こ
してください。拉致問題北朝鮮関係者と話した時に、ちゃぶ台ひっくり返して帰りましたよ、彼らは。(拉致問題は)匂いも香りもしない。そういうところから安倍政権は始まりました。
先ほど安倍総理が話したように、国際社会に訴える。これは政府も外務省も党も、あるいは拉致議連も名実共にオールジャパンでやってきました。そして総理ご自身も常に首脳会談では入れる。共同宣言にも入れる。
それが今度のCOIの報告書では、「100人の単位で拉致が行われた」、「人道に対する罪である」。これは北朝鮮に効きましたね。政治も安定し、非常に強い意思を持つ総理大臣がいる。だからこそ日朝協議のドアをこじ開けることができたと思います。
実は5月22日、これは小泉訪朝で金正日キム・ジョンイル)と首脳会談をやって10周年の時、私は政府ともしっかりすりあわせをして、拉致担当大臣としての談話を出しました。
その中のいくつか。
例えば、日本政府は徹底的な調査をしていますよ。だから拉致被害者の皆さんの状況もかなり詳細につかんでいますし、チェックしていますよ。そして、かつてのように北朝鮮がいい加減な態度で不誠実なことをやってきたら、もうそれは自らチャンスを逸することになりますよ。そして、「もう拉致被害者は亡くなった」とか、そういうピリオドを打とうというようなことをしたところで、一切通用しませんよ。
日本の世論は、そんなことに返って大きな反発と北朝鮮に対する強い抗議をしますよ。だからこそ、今回しっかり解決をしないさい、と。そしてもう一つ。これは金正恩キム・ジョンウン)に対するメッセージです。親父さんが拉致をした。これは遺訓で残っていますよね。だけどその遺訓をそっくりそのまま引き継ぐだけでは、いつまで経っても親父を越えられないんですよ。だからこそ、北朝鮮がこの拉致問題で解決をしていくことこそが、北朝鮮の尊厳を回復して国際社会から認められていく端緒になっていくんですよ。こういうことも、私はメッセージで出しました。
その後、ストックホルムの協議、あるいは7月4日(対北朝鮮措置の一部解除)というふうにつながりました。私はこの日朝協議は、いよいよこれから胸突き八丁の協議が始まると一番最初に言いました。まさしく今、その段階に入っているんです。
だからこそ、政府そして与党、拉致議連、政府・野党連絡協議会、こういう方々が密接な連携をしていくことが大切です。
私は今後は、党の対策本部長として、さらに密接な連携をとりながら、それぞれ司、つかさで役割、任務があります。命がけで、拉致問題解決のために具体的な行動をしていきたいと思っています。
今年もこうやって皆さんと一緒にこの会をするのは本当に忸怩たる思いです。
しかし、必ず解決できるはずです。しなくてはなりません。トンネルの先には必ず明かりがあります。私たちはそれに向けて、政府、与党、議連、地方議会、そして家族会、救う会、そして拉致問題の応援をしていただいている皆様方が一体になって北朝鮮に圧力をかけていく。これが解決につながります。
是非頑張って、今度こそすべての拉致被害者を取り戻すために頑張っていこうではありませんか。
宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。



《特定失踪者・塚腰義正さんについて》
◆氏名:塚腰 義正
(つかごしよしまさ)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年11月
◆生年月日:昭和24(1949)年8月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:163cm
◆体重:58kg
◆当時の身分:大学生(東京経済大学3年生)
◆特徴:
1)髪はくせ毛
2)左足の甲と脛に2歳の時の火傷の痕がある
◆失踪場所:パキスタン・クエッタか?

【失踪状況】
同年6月、東京を出発して東南アジア一周を目指し1人で旅に出る。
フィンランド、西ドイツ、フランス、イタリア、トルコ、イランなど20カ国を廻り、パキスタン1973年11月8日付の便りを最後に消息を絶つ。
予定ではパキスタン、インド、タイ、ベトナムシンガポールを経て1974年1月に帰国すると便りにあった。

《特定失踪者・尾方 晃さんについて》
◆氏名:尾方 晃
(おがたあきら)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年2月14日
◆生年月日:昭和30(1950)年12月12日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:168cm
◆体重:65kg
◆当時の身分:立命館大学学生
◆当時の住所:京都市北区
◆特徴:
1)右胸部と右背中に右胸部にリンパ腺炎の縦型の手術跡あり
2)右手中指第3関節の骨が突起している
◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】
京都市北区の下宿先から失踪。
直前の正月には郷里の岐阜に帰省した。
その後アルバイト先から実家に「アルバイト代を払いたいが、家へ帰っていないか」と電話。
家族が下宿先に行くと、荷物やお金がそのまま残されていた。
2月13日に預金を引き出した形跡がある。

《特定失踪者・林 雅俊さんについて》
◆氏名:林 雅俊
(はやしまさとし)
◆失踪年月日:平成10(1998)年5月12日
◆生年月日:昭和50(1975)年1月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:169cm
◆体重:50kg
◆当時の身分:岐阜大学大学院生(土木科)
◆当時の住所:岐阜県不破郡垂井町
◆失踪場所:福井県丹生郡越前町梅浦の海岸

【失踪状況】
午前9時頃いつもどおりに大学へ車で向かった。22時30分に大学の指導スタッフと別れる。
この日の夜は帰宅しなかった。それまでも卒論などで朝帰りや泊まり込みがあったので帰宅しなくても不思議ではなかった。
5月13日福井県越前町の海岸に車が止まっているとの電話が四ケ浦駐在所から自宅にある。
車は海岸の釣り場に下りて行くところ(本人は釣りはやらない)で、下りて行く道を塞いだように停まっていた。当日早朝から止めてあった模様。
ドアはロックしてあり、中にパソコン、財布、免許証などすべて置いてあった。座席のリクライニングは倒れていた。
パソコンには次のようなメッセージが残されていた。

[いやあ、もう疲れちゃったよ
少し道をはずしてしまったような気がする
何も考えずにここまできてしまった
このままゼネコンへ入ったとしてもやっていく自信はぜんぜんありません
修論も考えるとぞっとします
今までさんざんわがまま言ってごめんね
先生にもよろしく
このパソコンは○○さんにあげます
本当にすんません]

メッセージの残された時間は13日午前2時04分だったが、友人の証言や多数の遺書を見てきた川人 博弁護士の見解など、本人のものでない可能性が少なくない。
その後無言電話が1~2カ月間続いた。
1回女性の声で「雅俊さんいませんか」という電話があった。
車が置いてあった場所は山下 貢さんの車が置いてあった場所から直線距離で10キロほどのところで、置かれていた状況も類似している。
また、北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

岐阜県警公開特定失踪者・鷲見孝司さんについて》
◆氏名:鷲見 孝司
(すみたかし)
◆当時の年齢:27歳(昭和47年当時)
◆現在の年齢:68歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市中村区宿跡町
◆職業:自営業(給排水工事業)
◆身長160cmくらい
◆特徴:中肉

【失踪状況】
昭和47(1972)年3月3日、自宅から「仕事の集金に行く」と言って外出した後、行方不明となっています。